甲斐よしひろ病気の噂の真偽?若い頃(幼い頃)の極貧生活。父を思う母の絆

ラブソング

甲斐よしひろさんは、筆者moonが中学生の頃、ものすごい人気のあるバンド『甲斐バンド』のボーカルの方でした。

すでに「ヒーロー」「安奈」等のスマッシュヒットが出ていましたが、中学校の修学旅行の時、ちょうど今頃の時期だったと思います。

14枚目のシングル『ビューティフル・エネルギー』と言う楽曲が、ヒットしており、芝埠頭のハイウエイを走るバスの中から見える大型の看板を今でもなんとなく覚えております。

15歳当時の自分、「ビュティフォーエナジー~♬」と発音されるものが、新鮮で(笑)何とも感心して聞いていました。

そんな甲斐よしひろさん、『甲斐バンド』解散後、お病気の噂が出てますが、本当でしょうか?又、娘さん、息子さん、奥さんなど、若い頃の活躍と共に、現在の活動などを見てみたいと思います。




甲斐よしひろが病気?甲斐バンドのメンバーと解散理由は?

甲斐 よしひろ(かい よしひろ)さんは1953年4月7日生まれの71歳です。本名、甲斐 祥弘(読み同じ)福岡県のご出身です。血液型はB型。

甲斐バンド(かいバンド)は、1974年に、シングル『バス通り』でデビューを果たしており、1986年に解散しております。

甲斐バンドの初期のメンバーは甲斐よしひろさん(ギター・ボーカル)、大森信和さん(ギター)、長岡和弘さん(ベース)、松藤英男さん(ドラムス)で甲斐バンドを結成します。

その後、体調不良などでメンバーの入れ替わりがありましたが。

今にして思えば、日本でロカビリーではなく、ロックと言うカテゴリーを、お茶の間に押し出してきたのが甲斐よしひろさんではないかと思います。

イヤ、もちろん矢沢永吉さんやRCサクセション、はちみつぱいなどは活動されていたのですが、当時は一部の方の音楽と言うイメージで、テレビCMや、歌番組に出てくる事は少なく、歌謡曲と演歌が主流だったように覚えています。

そんな甲斐バンドですが、一度、甲斐よしひろさんが明言して解散しているのが1986年。ちょうど12年目に解散しております。

一番大きな原因としては、大森信和さんが、活動の中で、聴覚が悪くなり、バンドに迷惑をかけてはいけないので、脱退したいと申し出ると、甲斐よしひろさんは言いました。

「元々、大森さんと始めたバンドだ、解散しよう」その言葉を受け、解散に至りましたが、のちにインタビューで、バンドメンバー全員が疲弊していた事なども理由の一つである事を語りました。

その後、期間限定での再始動や、休止時期を経て、現在2009年から音楽活動を行っております。


甲斐よしひろ病気に?若い頃は父が借金の保証人に裕福な家が一転!

甲斐よしひろさんは、福岡県福岡市中央区柳橋(現:清川)の自宅にて、4人兄弟の四男として誕生します。

甲斐よしひろさんの生家は、地元では有名な理容室でした。店名は「ヘアーサロンKai」で、支店を持つほど繁盛店で、経済的にも裕福な理髪店でした。

父親はラテンバンドに所属しており、夜になると、マンドリンを演奏しており、甲斐よしひろさんは、幼少の頃から音楽に親しむ生活をされていたと言う事です。

しかし、甲斐よしひろさんが5歳の頃、1958年6月に、福岡市南区大橋に転居することになりました。父が借金の保証人になっていたため、膨大な借金を背負う事になります。

家や店、家具などすべて差し押さえられ、夜逃げ同然での転居だったと言います。しかも1年後に、今度は甲斐よしひろさんの父親が蒸発してしまいます。

母親は新しい店を一人で切り盛りし、生活保護を受けながらしばらく極貧の生活を送る羽目になってしまいました。

甲斐よしひろさんは兄弟たちと肩を寄せ合いなんとか生活していましたが、10年ほど経ったある日、甲斐よしひろさんが1人で店番をしていると突然父親が帰ってきたと言います。

今までの自分たちの生活が頭の中をよぎり、思わず殴ってしまったと言う事でした。そこから、わだかまりを残したまま、甲斐よしひろさんは、福岡市立福岡商業高等学校を卒業し、4カ月ほど、大手旅行代理店に務めます。

しかし、音楽の夢が捨てきれずに、上京し甲斐バンドとしてデビューを果たすことになります。

2001年に、父親が他界した際に、今までものすごい苦労をしてきたのに涙一つ見せなかった母親が大きな声を上げて号泣したと言います。

正直、甲斐よしひろさんにはあんな苦労掛けられて、どうしてそんなに悲しむ必要があるのだろうと不思議な気持ちだったそうです。

父が亡くなって1年後に、兄たちに、父が帰ってきた時の事を聞くと、母が父を思っている事を甲斐よしひろさんの3人の兄にはわかっており、父の住む小倉まで説得し迎えに行ったのだと言う事を知らされます。

母がどんな苦労をもいとまないほど、父の事を愛していた事、父親はいつも、幼い頃の甲斐よしひろさんの写真を持っていた事、甲斐バンドのコンサートがあると、そっと出かけて聞いていた事を知らされます。

実は、甲斐よしひろさんも父に対して、わだかまりもありつつ、デビュー曲の『バス通り』は、マンドリンのイントロから入ります。

もしかしたら、幼少期に聞いたマンドリンの事などを重ねていたのかもしれません。


甲斐よしひろ病気に?前妻との離婚、現在の妻は元女優。娘もシンガー

プライベートな事はあまり出てきませんが、甲斐よしひろさんの初めの奥さんは、髙橋まゆみさんと言う方です。

その方1980年に甲斐よしひろさんは、ご結婚されて、2年程度の結婚生活でした。離婚直後の1982年に女優の竹田かほりさんと言う方とご結婚されております。

甲斐よしひろさんの前妻の高橋まゆみさんとの間に、お子さんはいらっしゃらずに、竹田かほりさんとの間には一男二女のお子さんがいらっしゃいます。

甲斐よしひろさんの、長女と長男の方は一般人の為にプライベートな情報はございませんが、次女は『甲斐名都(かい なつ)』さんと言い1983年8月31日生まれですので現在(2024年5月現在)40歳と言う事です。

甲斐名都さんは2004年の大学2年生の頃から下北沢の沿線で、キーボードでのストリートでの弾き語りを続け、2006年11月「下北沢南口」でメジャーデビューを果たしております。

甲斐よしひろさんも、デビューまでは、難色を示していたそうですが、2010年2月には親子で初共演をなさっております。

その後、甲斐名都さんは30歳の時に一般男性とご結婚なさっておりお子さんもいらっしゃるようです。

詳しく調べていますが、今の所、甲斐よしひろさんのお病気の話は出てこないようです。


甲斐よしひろ、病気は『うわさ』だけ、インスタ、Xもお元気!

甲斐よしひろさんの病気のうわさの出どころは、ハッキリしませんが、恐らくバンドのメンバーの体調不良や、

やはり元メンバーのギター担当だった大森信和さんが2004年7月5日に心疾患の為に亡くなっておられる事などに起因しているのかもしれません。

そんな訳で、甲斐よしひろさんのインスタもXも、スタッフさんも含めて、バリバリ元気に更新されているようです。そしてなんと今年でデビュー49年目に突入する甲斐バンド。

甲斐よしひろさんもどう見ても、見えないけど71歳。2019年にインタビューで甲斐よしひろさんがお話されていましたが

45年間、自分たちの思い一つでここまでやってこれているってことですから、その(45年という)歴史以上に自分たちのね、その情熱みたいなものを、46年、47年、と続けていきたいんで。あの、ソロプロジェクトもずっとやってるんでね。総合的な形で、皆さんに楽しんでいただけたらと思ってます。      New Yorkビズ    2019年7月13日号

まさに、もう50年が見えて情熱を保ち続けている甲斐よしひろさん!素晴らしい!!

以上、甲斐よしひろさんのお病気の噂の真偽、若い頃、幼い頃のご家族のお話などを調べてみました。

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