”ジュンスカ”の愛称で親しまれる「ジュンスカイウォーカーズ JUN SKY WALKER(S)」のベーシストで、プロデュースなどを手掛けていた寺岡呼人(てらおかよひと)さん。
実は、複数のバンドで活躍なさっておられる方です。今回は例のジャニーズ事務所から巣立った男闘呼組のリードギター、ボーカルの成田昭次さんを始め男闘呼組のメンバーとの展開をリサーチしてきます。
寺岡呼人、結婚相手は?高校はどこ?ジュンスカ卒業理由は?
寺岡呼人(てらおかよひと)1968年〈昭和43年〉2月7日に岡山県津山市で生まれで5歳までそこで暮らし、引っ越し広島県福山市で育ったとの事です。2024年現在56歳。
寺岡呼人さんは、広島県立松永高等学校を卒業後、帝京大学文学部を出ておられます。
寺岡呼人さんの奥さんは一般の方のようで、詳細は解らないのですが、2009年頃ご結婚なさったようですお子さんが4人いらっしゃいます。
寺岡呼人さんは、元めざましテレビのお天気のキャスターの吉田恵さんとの密会をフライデーに抜かれた事などもありましたが、殆どプライベートな事は情報が無い方です。
寺岡呼人さん、ライブのMC等はフランクで親しみの持てる方です。1988年6月21日、JUN SKY WALKER(S)ジュンスカは寺岡呼人さんがバンドに加わりだしてすぐに『歩いていこう』のメジャーデビューにしてヒット曲が出ております。
その後1989年11月には『白いクリスマス』がスマッシュヒットとなりました。
そんな寺岡呼人さんの2021年のジュンスカの卒業の理由は
今回の決断は、お互いにとって残りの音楽人生でより自由に、やりたいことに集中するための決断だと考えてます。 メンバー1人が離れますが、話し合いを通じて、バンドとしてより結束が強まったと確信しています。 世の中はまだまだ大変だけど、音楽(ロック)は止めずに打ち鳴らして行こう、かき鳴らして行こう、そう思ってます。
とジュン・スカイ・ウォーカーズのメンバーである森純太さんのコメント。
そのままに受け入れれば、とても前向きな事だと思いますし、寺岡呼人さん自身も「脱退」ではなく「卒業」と言う風にコメントを出されています。
さかのぼると、1991年に奥田民生さんとのユニット「寺田」とか、1999年にゆずと結成したユニット・The Little Monsters Familyなど、更に寺岡呼人 & Golden Circle of Friends名義での音源リリースを行ってます。
2007年(平成19年)松任谷由実さん、ゆずのお二人と組んだGolden Circleの『ミュージック』はオリコンシングルチャート1位を獲得しました。
寺岡呼人さんにとってオリコンシングル1位はJUN SKY WAKER(S)時代の『白いクリスマス』以来となりました。
寺岡呼人、結婚相手は?50歳代のバンド「カーリング・シトーンズ」
そんな様々なユニットの中でも、異彩を放つのが「カーリング・シトーンズ」ではないでしょうか?このバンドは、寺岡呼人ソロ・デビュー25周年を記念して集まったバンドです。
カーリング・シトーンズのメンバーは、独自の名前で紹介される( )内
フライングキッズの浜崎貴司氏、(浜崎シトーン)
ユニコーンの奥田民生氏 (奥田シトーン)
真心ブラザーズのヨーキング氏 (キングシトーン)
ウルフルズのトータス松本氏 (トータスシトーン)
斉藤和義氏 (斉藤シトーン)
そして、元ジュンスカの寺岡呼人氏(寺岡シトーン)と言う豪華メンバー
この6人で全国ツアーとかやっちゃうのだからすごい。みんなほぼ同世代で全員がリードボーカルをとれ、作詞作曲も出来、あらゆる楽器の演奏が可能な方ばかり。
寺岡呼人、結婚相手は?50歳に『50祭』ライブのすごいメンバー
寺岡呼人さんの人脈は留まるところなく、本人の50歳の誕生日に行われた「50祭」と言うライブは誕生日当日に行われた。
さだまさし氏、桜井和寿氏(Mr.Children)、ゆず、K‐POPの大御所K氏という彼の盟友や憧れのアーティストらが集結。さだまさしさんの「北の国から」では、「ルルル・・」のシンガロングで会場が一体となりました。
それぞれの持ち歌を、思いを込めて熱唱した。アンコールの最後はステージに桜井和寿さんが現れると、寺岡呼人さんは、
「91年、僕の家に自転車でやってきて、一緒にカセットテープに録音した曲。未だにこの曲がいろんな人の支えになっていると聞いて、本当に音楽の力って素晴らしいなと思う」
と語り、2人で「星になれたら」を歌い上げ、温かな雰囲気のままフィナーレとなりました。
寺岡呼人結婚相手は?男闘呼組の成田昭次が、とんかつを揚げている。
ある日突然、寺岡呼人さんに男闘呼組の成田昭次さんとユニットを組めませんかと言う話が降ってわいてきます。
寺岡呼人さんにとっては、男闘呼組は名前を知っている程度、知識も面識もありませんでした。
最初に昭次くんと出会ったのは…20年の11月かな、Little Black Dressのゲストに出るライブを見に行った時だと思います。突然、今の男闘呼組のプロデューサーから、「成田昭次知ってます? 今日ライブなんで見に来てください」って連絡が来たんです。ライブを見た後、唐突に「昭次さんとユニットをやってくださいよ」と言われて、「どういうことですか?」と面食らいました(笑)。 日経クロストレンドより
寺岡呼人さんは、ジュンスカと男闘呼組がデビューの年が1988年で同じ年だと言う事はなんとなく覚えていた程度だったと言う事です。
当初は「この話はないな。」と寺岡呼人さんは思っていたようですが、そのプロデューサーを合う為にお店に行くとそのお店で、とんかつを揚げている成田昭次さんの姿が!
成田昭次さんは、芸能界を引退して会社員をしていたのですが、プロデューサーの経営する飲食店で働いていたと言う事でした。
寺岡呼人さんは、ユニットは無理だが、プロデュースでは力になれると言うように話をして、後日成田昭次さんと会って、その時に、次のライブまで一曲書く約束をしました。
『パズル』と言う楽曲を寺岡呼人さんは書きました。
「なくしたパズルのピースが今ごろ出てきた」「砕け散った夢のかけら/もう一度見つけに行こう」 【パズル】
不器用で、散り散りになった昔の仲間と再び歩き出そうと言うストーリーに、1980年代を彷彿とさせる懐かしいメロディの楽曲は、程なく有線でランキング1位となります。
2024年3月15日(金)
2023年8月に日本武道館と日比谷野外大音楽堂で行われたライブ映像を収録したディスク2枚に、1年間の軌跡を追ったドキュメンタリー映像を収めた特典ディスクを加えた豪華3枚組BOX仕様の男闘呼組のLIVE Blu-ray&DVDが発売されます。
寺岡呼人さんのプロデュースのちからと今後、見つかった『パズル』を組み合わせて行く男闘呼組のメンバーに注目が集まりますね。
以上、寺岡呼人さんのご結婚の相手と、沢山の音楽仲間、男闘呼組のプロデュースの噂などをまとめてみました。
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