大貫妙子さんは1953年生まれと言う事なので、71歳になられる。どんな方でも、人生の中で燃え尽きるような瞬間を経験してるのだろうと思う。そんな大貫妙子さんの夫とは?
一見、穏やかに見える人生だって、波風の立たない凪の海が続く訳ではない。自ら大波の中に身を投じたり、大きく船を揺らす出来事があるはずである。
クールな曲調、クールビューティな大貫妙子さんも、若い時、結婚を思い描いた人物がいたと言います。
大貫妙子の夫となりうる方は、クリスマスコンサートでピアノを。
大貫妙子さんは東京都杉並区久我山のご出身。元々中学・高校時代【都立桜水商業高等学校(現在の都立杉並総合高等学校)】からバンド活動を行っておりましたが、幼少期は裕福な家庭環境で、ピアノを習っていたようです。
その後、お父様の仕事の関係で、困窮した状況もあったようですが、高校時代から本格的にバンド活動に入ってられたようです。
しかし、仕事としては陶芸の方を目指しており、御茶ノ水美術学校に進学しました。その後、長時間同じ姿勢での仕事が、肩や腰を痛め、続ける事が難しくなったと言います。
そんな中、四谷にあったロック喫茶「ディスクチャート」でセッションしていたミュージシャンを紹介されます。そこで知り合ったのが山下達郎さんでした、1973年、山下、村松邦男さんらとシュガー・ベイブを結成しました。
シュガーベイブはわずか3年目の1976年まで、シングル3枚、アルバム一枚を残して解散してしまいますが、未だに色々なメディアから楽曲が流れます。
先の3人のほかに、多少メンバーが入れ替わりますが一時的に伊藤銀次さんもメンバーだったようです。
因みに伊藤銀次さんは、『笑っていいとも』のオープニング曲「ウキウキWATCHING」の作曲家の方です。
同年からソロ活動開始し始め、シュガー・ベイブ解散後、同年に初のソロアルバム『グレイ・スカイズ』をリリース。レコード会社は日本クラウン→RVC→ミディ→東芝EMIと移籍して、現在はソニー・ミュージックダイレクト所属しておられます。
75年12月、新宿厚生年金会館小ホールでシュガー・ベイブのクリスマスコンサートが行われて、その時、ピアノを弾いていた若者が、誰あろう坂本龍一であった。
大貫妙子が夫のように、親戚のように一緒に暮らした天才とは。
2022年8月号の文藝月刊誌「新潮」で昨年、逝去なさった坂本龍一さんが、20代の前半に大貫妙子さんと、同棲をしていた時期があったと告白をしています。
元奥さんの矢野顕子さん、大貫妙子さんとの関係にも触れています。大貫妙子さんとは、親戚同士のような関係だったと、ご自身のステージ4の咽頭がんの闘病中の心境と共に語っております。
大貫妙子さんの楽曲には深く坂本龍一さんがミュージシャン、アレンジャー、プロデューサーとして参加し、関わっていた作品がたくさんあるのはファンの間では周知の事実ですが、同棲までしていた事はこの告白でしか解りえなかったでしょう。
大貫妙子、夫のような存在は坂本龍一。逝去後、自身のリスペクトを。
「音楽を創る作業、作曲は身を削るような仕事です。自分の中にあるたくさんの感情、喜び哀しみを含む多様な事実と真正面から向き合わなければ、蓄積してこないものであって。だからこそ、美しいメロディーは人の心を動かすのだと思います。そうした珠玉の作品を、私達に残してくれました。なにより、気骨ある人でした。」
と最期の対面についても、触れており、坂本さんとご縁の深かった方のご好意により茶毘に付す前日、お会いすることが出来たと伝えております。
又、坂本龍一さんとの最後の別れの際には、肉体に宿ったすべての苦しみから解き放たれ本当に安らかで綺麗なお顔でした。と安らかな永眠の姿を目の当たりにして、
家族に見守られ安心して旅立ったことを伝えています。
最期に、ありがとう坂本さん。と同じアーティストとしての坂本龍一の音楽と、人間としてのリスペクトをツイートしております。
大貫妙子に夫はいらっしゃるのでしょうか?現在のご家族は?
東京出身の大貫妙子さんですが、開発が絶え間なく自然の失われてゆく東京を離れ、葉山へと両親と共に移住されております。
しかし、震災の翌年、相次いでご両親が鬼籍に入られることとなり、今はお一人暮らしだそうです。
福島原発事故のあと、原因不明の咳に悩まされ、北海道に住まいを移されているというお話もあります。
葉山のご自宅とは別に北海道に住まいを構えていると、北海道新聞の中でもお話されております。
現在も精力的に活動を続け、多くの音楽仲間に囲まれて、幸せな時間を過ごしていると言う大貫妙子さん。又、若い頃より声が良く出るともインタビューでお話されております。
大貫妙子さんの『新しいシャツ』と言う曲は、お二人が若い頃の大貫妙子さんと坂本龍一さんとの別れの曲だったと坂本龍一さん自身が語っております。
『新しいシャツに袖を通しながら、私を見つめてるあなたの心が、今はよくわかる~♬』そんな冒頭の歌詞を思い描きながら、素敵な20代のお二人の事を、思い描いてしまうのでありました。
以上、大貫妙子さんの夫とならなかった若き日の坂本龍一さんとの関係のお話でした。
コメント
スキャンダル的な意味ではなく、本人が人嫌いでもない限り、いるもんです。呑み会が終わる頃にいつも迎えに来る人とか。大御所の歌手でもそうです。
コメントありがとうございます。
坂本龍一さんとの間柄については、過去のご本人のお話の中からしか、今となっては知りえませんが、
仰るような関係も素敵ですね。
大貫妙子さんも坂本龍一さんも若い頃から大好きでした。そんなお二人にこんな素敵な関係があったなんてステキ過ぎます❗️しかも名曲新しいシャツのお相手が坂本さんだったなんてまるで小説みたいです。素敵な逸話を有難うございました。
髙橋鏡子様、コメントありがとうございます。
私も全く同じ様に感じました。
坂本龍一さんの元奥様として、矢野顕子さんも、素晴らしい方のようですが、それぞれの感性豊かな方々が切磋琢磨されていた時代の甘く切ない物語を想うとそれだけでワクワクしますね。
是非、moonの他のブログもご一読下さい。よろしくお願いいたします。