街角から、ふと聞こえてきた音楽で、悲しみが込み上げたり、逆に嬉しい気持ちを盛り上げたり、前向きにさせてくれたり。そんな経験はありませんか?
様々な音楽シーンの中で、j-popに励まされてきた私『moon』がそんな音楽たちの心を深読みしてみたいと思います。
今回は、斉藤和義さんの楽曲から斉藤和義さんの妻に対する思いを紐解いてみたいと思います。
斉藤和義の妻。せっちゃんの訳と実家と音楽オーディション番組
第一回目は『斉藤和義』さんをチョイス。
先ずは、ご本人のプロフィールから斉藤和義は本名です。1966年6月22日栃木県都賀郡壬生町のご出身です。181cmの長身です。
斉藤和義さんご自身は、お姉さんと妹さんがおります。
『せっちゃん』と呼ばれていますが、高校の頃に下ネタが多く「SEX」の『せっ』ちゃんらしいです。(笑)
お父さんは栃木県のおもちゃ工場で長年勤務されていたとの事。斉藤和義さんも地元愛があり、フライングキッズの浜崎貴司さんと斉藤和義さんで『オリオン通り』と言う楽曲もありますね。
山梨学院大学を2年で中退し、22歳で上京の際に、親から25歳まで何とかならなければ、ちゃんと就職をするとタイムリミットを付けられたと言う事です。
もっとも斉藤和義さん自身は、そんな気はなかったと語っているのですが。
その後、1992年にTBSのオーディション番組「期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!」で勝ち抜きを果たし、1993年に1stシングル「僕の見たビートルズはTVの中」でデビューしています。
筆者moonはてっきり、『いかすバンド天国』かと思っていたのですが、正確には後継の流れの番組でした。
1995年に一般の方とご結婚されています。
妻の名前は加茂佳子さんと言うスポーツ報知のライターの方ではないかと言われています。
ボクシングの記事を担当されていて、ボクシング好きの斉藤和義さんと奥さんは雑誌の取材で訪れた現場で出会ったことがきっかけで意気投合したのではないでしょうか?
斉藤和義の妻。歌うたいのバラッドは、もしかしたら妻の為に?
『歌うたいのバラッド』が発表される2年前の1995年にご結婚されていることから、その辺りの心境がこの楽曲になったのでは、もしかしたらこの歌詞は妻の為の楽曲では?と、moon(筆者)は勘ぐるのであります。
巷では、斉藤和義さんの楽曲「彼女は言った」や「やわらかな日」は、奥さんの為に、奥さんの事を歌われた楽曲ではないかと、ささやかれていますが。
「彼女は言った」の歌詞は、斉藤和義さんらしいし、彼女が奥さんなら、それはそれで、斉藤和義さんと波長が合うのだろうと思います。
「柔らかな日々」も、奥さんだとすれば、日常的だけど、実際の会話かなと思えます。これは、斉藤和義さんの家にはテレビが無いと言う噂もあり、
日常的にライブで話をするときのようなテンションで、奥さんと話をされているのではないだろうかと思います。
どちらの方も、気になる方は歌詞を検索してみてください。
正式な発表ではありませんが、2012年にリリースされた『月光』と言う曲に斉藤佳子と言うクレジットがなされていますが、これはスタッフとしてより、special・Thanksとして奥さんの名前が入っていると思われます。
ご夫婦共に猫好きな事でも知られていて、都内の住宅で数匹の猫と結婚後15年目にして授かった2010年6月3日に生まれたご長男と3人暮らしです。
車庫は、時折、ギター工場と化して、ご自身でギターの制作などもやっておられるようです。ギターって作れるの?
息子さんは、中学生くらいになっている方ですが、ギターに詳しくなっているのではと勘繰ります。
斉藤和義の妻『歌うたいのバラッド』と『上を向いて歩こう』
斉藤和義さんと言えば、沢山の楽曲をアーティストさんに提供されてるのも、ご存じの方も多いはずです。
色々なアーティストさんの声に乗ってメディアから流れてきます。
スマップや、シシド・カフカさんをはじめ、kemuriの伊藤ふみおさん、鈴木雅之さん、夏木マリさん、パフィー、小泉今日子さんなどジャンルを超越して色んな方が彼の曲を歌っています。
この『歌うたいのバラッド』も『BANKBAND』で、ミスチルのボーカルでもある桜井さん、クリスタル・ケイさんやBeni(ベニ)さん、河口恭吾さん。
最近だと優里さん(ストリートライブで)、演歌の島津亜矢さんまでこれまた、ジャンルを超えた歌手の方がカバーしています。
数年前のラジオの中で岡本真夜さんが最も好きな歌として、取り上げていたのも印象的です。
この『歌うたいのバラッド』と言う曲は『月影』をシングルにという中、斉藤和義さん自身が、こちらの曲にしたいという事でそうなったという経緯があるようです。
斉藤和義さん本人が『歌うたい』と言う言葉が好きだという事、又、あまり具体的な風景で、固定観念を作らないようにしたそうです。
彼自身カバーしている『上を向いて歩こう』のように、語らずに歌の力でメッセージを届けようとする気持ちがとても感じられる楽曲となっています。
斉藤和義の妻。『歌うたいのバラッド』は長く広く口ずさむ人がいる曲に
私、moonが、最初に斉藤和義さんのライブに初めて行ったのはメジャーデビューの2年後、1995年頃、仙台の街中のちいさなライブハウスでした。
3枚目のアルバム『ワンダフルフィッシュ』を引っ提げて、その頃には『歩いて帰ろう』のスマッシュヒットですでに、広い層のファンがいたようです。
まだ、『歌うたいのバラッド』はこの世に出ていなかった頃です。
~嗚呼歌うことは、むずかしい事じゃない~で始まるこの楽曲が生まれたのは1997年11月12日と言うから今からちょうど26年前の事。
四半世紀を超えても古くなりません。斉藤和義さんが31歳の頃の作品だと思います。
長く広く口ずさむ人がいる曲になると思うと言っていた当時のご本人の想いは、やがて現実となり、沢山の人がこの曲のストレートさにやられているのは間違いない事のようです。
のちの「ウエディングソング」でも~誰もが幸せしかいらないだろう、それだけを祈るだろう~♬と言う歌詞があります。
その言葉は、歌うたいのバラッドのストレートさに磨きをかけたアンサーソングのように感じる事もできますね。
そう、変にねじ曲がっちゃうより、妻に対しても幸せしかいらないって言い切る事、伝えたい言葉は愛しているって事だけ。
心にいつも熱い思いを抱きつつ、ひたすら淡々と職人のように楽曲を紡ぎだす姿は、人として見習いたい姿勢だと思います。
何度かライブで拝見しましたが、独特のしゃべり方、決めつけない言い方で、いつもちょっと疑問形で投げかけてくるそんな彼の言葉は、ユーモアを持っても果たせない楽しさを感じてしまいます。
長身で甘いマスクを兼ね備えて
♬~どうやてあなたに伝えよう、雨の夜も、冬の朝もそばにいて~♪なんて言われたら、それはどんな女性でもYESと言ってしまうのでは?なんて思ってしまうのであります。
以上、斉藤和義さんの妻と『歌うたいのバラッド』について考察してみました。
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