大槻ケンヂさんは、私moonとほぼ同世代。自分も20代の頃、毎日のようにテレビでお見掛けするくらい売れておりました。
大槻ケンヂさんの『筋肉少女帯』と言う、果てしなく、よく解らないネーミングですが日本のビジュアル系パンクロックでは筆頭と言っても過言ではないバンドのボーカリストです。
単純に、急激にテレビの露出が少なくなった大槻ケンヂさん、いやいや、現在はリアルなライブや、ネットではなかなか話題が豊富そうです。ちょいと、確かめに行ってまいります。
大槻ケンヂ現在の年齢。生い立ち、身長、結婚しているの?
大槻 ケンヂさん(おおつき ケンヂ)1966年2月6日に、東京都中野区野方でお生まれになります。2024年の現在は58歳ですね。
本名は大槻 賢二(おおつき けんじ)愛称は「オーケン」。現在の事務所は有限会社オーケン企画に所属しております。
インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」などで楽曲を書いております。身長178cmの長身で、血液型はB型。
東京都立田柄高等学校出身(1期生)として卒業後、日本デザイナー学院中退、2浪し東京国際大学へ進学後中退しております。
父、母、兄の4人家族。父は信用組合の理事で支店長をしています。お兄さんはTVカメラマンの大槻慎一さん。
ご親族には、故人ではありますが、映画監督の大槻義一(おおつき よしかず)さんがいらっしゃいます。
又、大槻ケンヂさん、どうもご結婚をなされたことは無いようで、過去に菅野美穂さんと交際していたことが報道されていますが、真偽を語られていることは無いようです。
大槻ケンジ現在、漫画家を目指していた若い頃にバンドを結成
大槻ケンヂさんは、少年時代には中学校の同級生の内田雄一郎さんと共に漫画家を目指していましたが、当時人気のあったキング・クリムゾンやピンク・フロイドら王道のプログレッシブ・ロックを聴き、
YMOやヒカシューなど当時のニュー・ウェイヴ、遠藤賢司や頭脳警察、JAGATARA、ザ・スターリン、INUらの日本語詞のロック、パンク・ロックなど多方向の音楽に影響を受け、次第に音楽の世界へとのめり込んでいったと言う事です。
大槻ケンヂさんは、漫画家は蛭子能収氏や諸星大二郎氏の影響を受けていると言う事なので、結構、ヲタク的サブカルチャーの要素が十分感じられますが、その手のサブカルチャーの書籍も多く出版されております。
大槻ケンヂさん、1982年2月に、前述の内田雄一郎さんと「筋肉少女隊」のちの「筋肉少女帯」を結成します。
大槻ケンヂ現在も若い頃から愛するサブカルチャーとブースカ!大炎上の『高木ブー伝説』!
大槻ケンヂさんはサブカルチャーへの造詣が深く、多くの書籍も出されています。又、13歳の頃からサブカルチャーの雑誌への投稿でその中で常連として、活躍していたと言うからなかなかなモノです。
又、昭和40年代に人気となった『快獣ブースカ』を愛し、ぬいぐるみを我が子と称し、ライブなどにも連れて行くと言う熱の入れぶりです。
一方、大槻ケンヂさんは筋肉少女帯は1982年の結成後、インディーズでの活動を続け、1980年代後半には、かなりテレビ番組での出演も増えだしました。
そんな時、当時の人気深夜番組(と言っても23時からでしたが)「11PM」(イエレブン・ピーエム)に出演した際に演奏した「高木ブー伝説」、「ドリフター」の2曲にドリフターズの事務所と名乗るクレームの電話が入りました。
当然、「高木ブー伝説」は自主回収という形で販売中止となりました。しかし、その電話は後にいたずら電話である事が分かったそうです。
その直後、筋肉少女帯はトイズファクトリーからのメジャー・デビューに際し「高木ブー伝説」を再録音しましたが、今度はドリフターズの所属事務所から正式な抗議が来て、(笑)ファースト・アルバム『仏陀L』に収録されず結果、その時点では世に出ませんでした。
翌年の1989年、大槻ケンヂさんまで、この一件を聞きつけた高木ブーさんからの許可が出て、ようやくメジャーで発売が決定。改めて録音され、12月5日に『元祖高木ブー伝説』として無事リリースされました。
このドタバタ劇は、今だったらネットで大騒ぎになった事でしょう。それにしても、高木ブーさんの懐の深さを感じます。芸風なのに、結構ひどい事言われてます。(笑)興味のある方はぜひ。
大槻ケンヂ現在、兄との不幸な別れや病気に打ち勝ち、春の弾き語りライブツアー真っ只中
大槻ケンヂさんの30年以上のバンド生活の中では、こんな事件もありました。1991年頃に、タイのレストランでマジックマッシュルーム入りのオムレツを食べて、
バッドトリップして心的外傷後ストレス障害【PTSD】になってしまい、しばらく病んでいたと言うような報道もあります。
しかし結構その辺りはテレビに出ておられたように記憶しているので、どのくらいの症状なのかは解りませんが、じっくりと治療したとの事です。
又、2012年の10月に大槻ケンヂさんの兄でテレビカメラマンの大槻慎一さん46歳が、千葉県沖でウインドサーフィンの撮影中に不慮の事故で水死されています。
ご遺体が見つかった日の渋谷リキッドホールの筋肉少女帯のライブでは、お兄さんの話は一切することは無く、
大槻ケンヂさん、楽屋でも悲しみを見せなかったそうで「ステージを楽しみにしてくれているお客さまに私情を持ち込むのは失礼」とコメントなど一切せず、ステージを熟していたと言うから、凄いプロ意識だと思います。
大槻ケンヂさんご本人が語るには、元々、原因不明のうつ気味になる事が多く、あまり体が強い方でもないと仰ってます。
又、舌が痛くなる「舌痛症」という原因不明の病気を持っていました。
色々な事を乗り越えて、現在は、アニメソングの根強いファンや、他のミュージシャンへの楽曲提供などに加えて、
『大槻ケンヂ・オーケン(注・大槻ケンヂさんの呼称)春の弾き語りツアー2024』と銘打って、ツアーの真っ最中。
以上、オーケンこと、大槻ケンヂさんの現在の活動や、お病気の噂などを調査して参りました。
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