米倉利紀の若い頃と現在。病気の女友達の為の楽曲と結婚しない訳は?

ラブソング

米倉利紀さんは、私moonも若い頃、よく耳にしたアーティストです。英語の題名の付いた楽曲が多く、軽快な曲が多かったと思います。

歌手活動と共に、作詞や作曲、又、舞台などでも俳優としても活躍されています。

今回は、『病気』なんてキーワードが出てきたので、本当なの?と思い調べてみる事にしました。

なかなかミステリアスで、長身、イケメンの方で、現在、結婚されているのでしょうか?

そんなプロフィールにもフォーカスしてみます。




米倉利紀の若い頃、芸能界入りのきっかけは、あの大物コンビ?

米倉 利紀(よねくら としのり)さんの、本名は米倉 利徳(よねくらとしのり)と言います。読み方は同じですが、漢字が違うのですね。

誕生日は1972年10月21日と言う事なので(2025年2月現在)52歳ですね。

血液型はB型です。身長は181㎝、体重は少し前の情報だと63kgという事ですが、今の体形だと筋肉の分想いかもしれません?

ご家族は、両親とお姉さんがいらっしゃいます。出身は大阪府豊中市というところです。
『豊南市場』という有名な市場がある近所で生まれ育ちました。

中学3年の時(高校への進学間際)の1988年、『4時ですよーだ』(ダウンタウンが司会を務めた毎日放送制作・関西ローカルの公開生放送番組)と言うローカル番組の「2丁目ナイス小僧」と言うマスコットボーイのオーディションに合格します。

学業と並行しながら、『4時ですよーだ』の最終回(1989年9月29日)まで「2丁目ナイス小僧」の一員として活動していました。

又、いいとも青年隊(フジテレビが制作した全国ネットの生放送番組『笑っていいとも!』のマスコットボーイ)のオーディションも受けていたようですがこちらは不合格だったようです。


米倉利紀の若い頃。渡米からブラックミュージックの影響が!

関西地方では『4時ですよーだ』の終了後もタレント活動を続けていましたが、1991年に上京します。

上京後まもなく、二十歳になる年の1992年4月25日にシングル 『未完のアンドロイド』で歌手デビューを果たしています。

デビューと同時期に単身渡米、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどの主要都市と日本を往復する生活を送っていいました。

そんな米倉利紀さん、徐々に自作の曲を増やし始めてきたのが1995年頃から、J-POPシーンの中でも早い段階からR&Bシンガーとして君臨してきました。

現在では、R&Bやファンク、ソウル音楽を軸としたブラックミュージックのイメージの楽曲が多い米倉利紀さんですが、

始めの頃はポップスやロック系の他の作家からの楽曲を歌う事が多かったようです。

渡米によりアメリカで、ブラックミュージックの影響を強く受け、アメリカ人プロデューサーや海外のミュージシャンを起用・現地レコーディングをすることが多くなりました。

デビューから30年以上研鑽を積んでいるミュージシャンの方です。メディアでの登場は少なめですが、ライブツアー活動は精力的に行っており、多くのファンを魅了しています。

又、EXILEのHIROさんやSHOKICHIさん。久保田利伸さん、CHEMISTRYの川畑要さん、鈴木雅之さん、中西圭三さん、林田健司さん等のj-popとブラックミュージックの融合させているアーティストからのリスペクトは計り知れないものがある方です。

2008年から俳優としても舞台やミュージカルに数多く出演しており、2013年になるとフジテレビ系ドラマ「ガリレオ」にゲストで医師の役で登場する場面もありました。


米倉利紀の若い頃。ハーフなの?多くのアーティストと交友が!

米倉利紀さんは、ハーフなのか?という疑問もある様ですが、顔のホリの深さや、英語力などで言われているのかもしれませんが、確証になるような情報は見つかりませんでした。

米倉利紀さんの交友に関しては、芸能界入りのきっかけとなったお笑いの『ダウンタウン』の浜田雅功さんとは今も、親交があり、プライベートでも食事に行ったりすることもあるようです。

又、米倉利紀さんの代表曲の1997年にリリースした『Yes, I do.』は、EXILE ATSUSHIさんがオーディションでも歌った曲としても紹介されています。

その後も、EXILEとの親交は度々、情報として見えるようです。

デビュー曲の『未完のアンドロイド』もそうですが、商品のイメージソングやCMソング、アニメーションの中の楽曲、バラエティ番組のオープニング曲などで起用されています

「Love in the sky」や「きっとできない じっとしない」「Emergency」「SPARK」「愛してる 愛してない」などのヒット曲があります。

1990年代後半以降は、KinKi Kids、TOKIO、SMAP、和田アキ子さん、中山美穂さん、郷ひろみさん、宇都宮隆さん、MISIAさん等への楽曲提供やプロデュースも担当しています。


米倉利紀の若い頃。末期がんの女性の為に作った応援歌が!

そんな米倉利紀さんは、今も、玄人好みをするアーティストとして活動されてます。歌い方も独特なクセの強さがありますが、その辺りもファンにはたまらないのでしょう。

ライブでは明るく前向きになれたというファンの声も多くありますが、一方、米倉利紀さんのプライベートに関しては、情報は少なめです。

ご自宅の情報は、”屋上のある”世田谷区上野毛にある大きなご自宅らしいという事と、アメリカに自宅があるらしいという事が、ネットの中では言われています。

又、次のようにインタビューで語られている事もあります。

僕は家の中の水回りをめちゃくちゃ綺麗にしているんですよ。キッチン、洗面所、シャワールーム。水を使ったあとは必ず水滴を拭き取るんです。なんでそんな面倒なことを毎回やるかというと、大掃除が面倒くさいから。(笑)大掃除で2〜3時間かけるよりも1分にも満たないことを毎日コツコツやる方が僕はいい、楽。僕の歌に対する考え方も、本番前に楽屋に一人閉じ篭って集中する時間を作らなきゃいけないという心の負担よりも、普段から出来る小さな積み重ねでステージに立つ自分を作っています。普段からの体力作りもそうですね。

出典*2017年9月28日付DISK GARAGE発!ライブ・エンタメWEBマガジン

少し前のインタビューですが、こういう日常の習慣は変わらないので、恐らく現在も几帳面な方なのではと思います。

ご結婚については、触れられておらす、ファンやネットの中では、『ゲイ』ではないかとささやかれています。

今時なのでLGBTなどについて、どうとも思いませんが、しぐさや、筋肉モリモリのマッチョ体系、無精ひげなどでそんな風に勘繰られているのかもしれません。

確かに、最近のお姿は、若い時と比べて、かなりのマッチョ体系、イギリスのバンド、クイーンの亡くなったフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)さんを彷彿とさせます。

過去に経緯は解りませんが、ゲイの方のイベントに登場したり、舞台上で相手役の男性俳優の田中ロウマさんとキスしたりするシーンがあった事も関係しているのかもしれません。

しかし、2004年6月9日に発表している『smile again』と言うミニ・アルバムの一曲目の『大丈夫っ!』という曲は末期の癌を患って闘病していた女友達に向けて作った曲だそうです。

この女性の方は、医者もサジを投げていたようですが、必死に頑張って生きようとする姿に米倉利紀さんは、お見舞いに行くたびに明るく励まされていたそうです。

性的なセンシティブな情報はさておき、皆さんに優しくされていらっしゃる方なのではとも思います。

以上、米倉利紀さんの若い頃の活動や、プライベートについて考察してみました。

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