宮本浩次の息子?エレファントカシマシのメンバーと妻のウワサの真相

カバーソング

ダイナミックでパワフル、圧倒的な歌唱力、多くのファンを魅了する宮本浩次さんは、前から書こうと思ったのですが、多方面に造詣の深い方のようで、

おいそれと、書きだす勇気がありませんでした。音楽は当然ですが、建築についても特にル・コルビジェさんの建物などをみて、強くインスピレーションを受けたりと言う事も聞いた事があります。

その他にも、お茶や、急須などの道具も深いこだわりがある様です。

幼少から歌を歌っていたと言う宮本浩次さんの息子さんがいると言う噂?現在やご家族、敷いてはエレファントカシマシの若い頃を追ってみたいと思います。




宮本浩次の息子?若い頃はNHK東京児童合唱団でボーイ・ソプラノ

宮本浩次さん(みやもと ひろじ)さんは本名ですね。東京都北区赤羽のご出身です。1966年6月12日 生まれと言う事なので、もうすぐ還暦です。(2026年5月現在)

還暦!斉藤和義さんやイエモンの吉井和哉さんたちと同じ年ですね。皆さんお若い。

言わずと知れたロックバンド・エレファントカシマシのボーカリストであり、ギタリストの方です。その他にも、ライターや、音楽プロデューサーなどでも手腕をふるっています。

身長は170cm 血液型はO型です。

 宮本浩次さんは、小学校3年生から5年生までNHK東京児童合唱団に入団して、声楽指導を受けていました。

NHK東京児童合唱団の団員は、130~180名ほどが4つのコースで活動していると言う事ですが、その中でもソロパートを任されるほど歌が上手く、ボーイ・ソプラノのスター的存在でした。

ウィーン少年合唱団との交流もあったと言う位なので、2年間でしたが本格的に合唱表現の基礎を学んだものと思われます。

それと言うのも、宮本浩次さんの母が、「この子は歌うのが好きなんだ!」と見抜き、合唱団に通わせてくれたのがきっかけだったと言います。

宮本浩次さんの母も又、歌うのが好きで、家族で出かける際などは、車の中で、良く歌を歌っていたと言います。

そんな宮本浩次さんのデビュー曲は宮本浩次さんが二十歳でエレファントカシマシが結成される1986年から遡る事10年前。宮本浩次さんが10歳の時でした。

1976年にNHK「みんなのうた」8~9月度「はじめての僕デス」をソロでデビューしています。

幼少期の実家のご家族は、両親と年の離れたお兄さんがおりました。

検索すると、過去のインタビューなどでお兄さんが若くして亡くなられ、その手紙を心の支えにしていると言う文言が出てきますが、 そのインタビュー記事は見当たらず、真偽は解りませんでした。

子供の頃は、クラシック音楽や、童謡などから歌謡曲と様々な音楽を聴く機会があったようです。特に沢田研二さんが好きでよく歌っていたと言います。

のちにアルバムに収められている『サムライ』のカバーもこの頃の沢田研二さんのヒット曲ですね。


宮本浩次の息子?バンド・エレファントカシマシは中学校の仲間で!

宮本浩次さんと言えば、冒頭で書いたように、エレファントカシマシのボーカルでギタリストの方です。

改めてエレファントカシマシのメンバーの詳細を紹介します。

🔵宮本浩次(みやもと ひろじ)さん、東京都北区赤羽台出身。ボーカル&ギター担当。身長170cm。血液型O型。ファンやメンバー間では「ミヤジ」の愛称で呼ばれています。

🔵石森敏行(いしもり としゆき)さん、1967年3月18日(59歳)東京都北区赤羽育ち。ギターを担当しています。石君と呼ばれています。宮本浩次さんを心から尊敬しているようです。

🔵冨永義之(とみなが よしゆき)さん、1966年4月14日(60歳)東京都北区赤羽出身。楽器はドラムスを担当してます。愛称は「トミー」と呼ばれています。現在は無口な方ですが、子供の頃は、鉄塔に登ったり、台風の日の海に飛び込んじゃう向こう見ずな子供だったとか。

🔵高緑成治(たかみどり せいじ)さん、1966年4月15日(60歳)東京都中央区月島出身。エレクトリックベースを担当されています。愛称は「成(せい)ちゃん」です。エレカシきっての美形で、宮本浩次さんは初対面の時は照れてしまう程だったとか。月島の銭湯の息子さんだそうです。

1981年に北区立赤羽台中学校に入学すると、1年6組の石森敏行さんと冨永義之さんが中心となって、バンド活動を始めます。

少し遅れて、中学3年生の時に宮本浩次さんが加入します。

 宮本浩次さんが中学3年生の時は女子もいて6人構成のバンドだったようです。RCサクセションや、海外のロックバンドのディープ・パープル等のコピーをやっていました。

その後、高緑成治さんは、富永義之さんと高校の同級生で二十歳の頃に加入します。そこからメンバーチェンジもなく続けているのは、凄い事だと思います。

気になっている方もいらっしゃるかもしれませんが、このエレファントカシマシというバンド名の由来は?

その頃のノリで、当時、流行っていた映画の『エレファントマン』と女性の往年の漫才トリオ『かしまし娘』をくっ付けただけという事です。


宮本浩次の息子?デビューは10歳。母の言葉に救われていた20代。

宮本浩次さんのソロデビューの1976年NHK「みんなのうた」8~9月度「はじめての僕デス」は、なんと10万枚を売り上げるヒット曲となりましたが、

小学校で、からかわれたりした事などがきっかけで、男の子が少なかった合唱団に通うのが「女の子みたいでいやだ。」と言う理由で辞めてしまいます。

その頃、

 母に、「あんた、あたしに絶対感謝するわよ。合唱団に行っていて良かったと、思う時があるんだから。」とよく言っていたんですね。

出典:日刊スポーツ2017年12月28日付

結果的に、宮本浩次さんは74歳で他界する前の年までコンサートに来てくれていた母の事をリスペクトすることになります。

その他にも

なんだかんだ言っても、母の言葉は自信を与えてくれました。レコード会社の契約を切られたとき、「なんで俺たちの歌は売れないんだろう?」とぼやく僕に、「大丈夫よ。だってあなたは大器晩成型だもの」って。「母さん、なんで俺、人望がないんだろう?」とこぼしたときも、「人望なんて、これからよ」って即答してくれて、ありがたかったな。

出典:婦人公論JP 2020年02月25日付

そんな風に母親の事を振り返っております。そして、1986年12月、「CBS/SONY SDオーディション」に入賞した事でデビューのきっかけをつかみます。

しかし、そこからレコード会社からの契約打切り、事務所の社長が急病で倒れるなどの不運が続きました。

代表曲と言うかヒット曲が出たのは、レコード会社との契約が切れて、一度、インディーズ活動を余儀なくされますが、新しいレコード会社からメジャー再デビューとなった時期だったようです。

 20代の終わりの頃、ある人から「宮本君の歌は母性愛の強い女の子にしか受け入れられない。もっと普通の女の子の心に届く歌を作れたらいいね」

出典:婦人公論JP 2020年02月25日付

そんな風に宮本浩次さんは、アドバイスを受けたのだそうですが、この意味自体は、『俺についてこい!』のような気質の男性についてくるような女の子を指していたのだそうですが、

そのアドバイスを受けて、どうしたらいいのか分からなくなってしまって、作ったのが『悲しみの果て』だったそうです。

1996年と言う事なので、デビューしてから10年もの歳月が経過していました。

想像するに、その女性は、宮本浩次さんの恋人だったのか?少なくともどちらかが、好意を持っていたのではないだろうかと思います。

 その後は、『今宵の月のように』などで日本全国にエレファントカシマシという名前が知れ渡る事になります。


宮本浩次の息子?妻はいない。噂の出どころ?結婚しない理由とは?

宮本浩次さん、若い頃は、実家の赤羽の団地の別な部屋で、「実家と近いと便利だから」と言う理由で一人暮らしをしていたそうです。

実家にいた頃は、年上の彼女がいたそうですが、一人暮らしをするようになり始めたあたりに、別れてしまったそうです。

男子校の出身でどうも、女性とフランクに話をしたりするのが、苦手で、彼女の誕生日プレゼントに図書券を渡したら「親戚の叔父さんみたい。」と言われたりしたのだとか。

そして、宮本浩次さん自身は、今も独身です。少なくとも結婚された報道はありません。宮本浩次さんご本人も独り身を自称されていらっしゃるので、独身と思われます。

独身の宮本浩次さんをインターネット検索で検索すると少なからず、息子と言うキーワードが出ますが、宮本浩次さんに息子さんは居ないと思われます。

検索の出どころは、Instagramの中で、自分の息子の後ろ姿が宮本浩次さんに似ていたと言う投稿や、宮本浩次さんの子供の頃の写真、息子がエレファントカシマシにハマっているなんて言うブログの断片的なログを拾ったものと思われます。

若い頃は、マンションの購入費用に貯蓄していたお金を信頼していた人に全額持ち逃げされ、車を売ったり、趣味で集めていた古地図や古書、売ったりした事もあり、多少、人間不信になった事もあったかと思います。

しかし、その女性の事を、訴えることもせず、渋谷を散歩中、偶然、再会した時には「元気そうで何より。」と伝えたと言います。

時々、キレることもある宮本浩次さんですが、若い頃は、ライブの照明関係でカメラマンにキレたり、観客の拍手や声援にも「うるせー!バカヤロー」等と返す場面も多く、些かエキセントリックな部分も魅力なのかもしれません。

又、2009年4月18日。鈴木真由子さんがパーソナリティをつとめるTOKYO FMの生放送番組『TOYOTA SOUND IN MY LIFE』に、宮本浩次さんがゲスト出演した時には、

リリースされたばかりだったエレカシのアルバム『昇れる太陽』の感想として、パーソナリティの鈴木真由子さんが「今回のアルバムはメインディッシュばかりのフルコースで、食べにくいと感じた。」と発言してしまいます。

「でも、実際飲み込んでみると『こんなに美味しいもんないや』っていう…」と締めくくったものの「人の前で『食べにくい』っていましたよ、この人。失礼なやつだ、こいつは」と、笑いながら応戦していたのですが、

その後のやり取りがかなり険悪でけんかの様相を呈し、ネットで話題になり、鈴木真由子さん、宮本浩次さん共にウェブ上で謝罪すると言う事がありました。

よく見てみると、宮本浩次さんがキレるのは、自身のパフォーマンス上の障害になる事や自身の昨品への批判に限られていて、いかにパフォーマンスを大事にされているかが、推しはかれるエピソードでもあります。

女性に関しては、同居されている、もしくは足繫くご自宅に通う女性の方がいらっしゃると言う2021年の報道がありましたが、関係については言及されていません。

そんな宮本浩次さんは、結婚へ向ける情熱より、音楽活動へのモチベーションが高いが故に、結婚を選ばず音楽に没頭する日々を送っているものと思われます。

小林武史さんとの共作ではありますが『普通の日々』と言う宮本浩次さんの曲があり、この曲の最後の一節の

『俺はきっと普通の日々から、あなたを想って歌を歌おう』

と言う事が、宮本浩次さんの普遍の一節なのかもしれません。その『あなた』は何方なのか?なんて野暮な話はやめておきましょう。

いかがだったでしょうか?今回は宮本浩次さんの息子と言うキーワードや、家族、歌う事への情熱などにスポットを当ててみました。

 

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