コブクロの奏でる楽曲は、ちょっと優しく、エモーショナルなものも多く、『蕾』や『桜』など、卒業シーズンに聞こえてくる曲や、『夕紅』等の秋の歌、夏を感じる『summer rain』
又、冬に聴きたくなる『雪の降らない街』など、季節を感じさせてくれる楽曲が沢山あります。エネルギッシュな曲から、胸を打つバラードも心に染みる曲は多くあります。
黒田俊介さんと小渕健太郎さんが出会ってから丁度28年が過ぎました。そんなコブクロの紆余曲折の軌跡を追います。
コブクロ出身や黒田身長は?黒田俊介の身長エピソードが多すぎ!
人気デュオのコブクロの二人が出会ったのは、1998年頃、出会いの場所は大阪府堺市の堺銀座商店街。
先ずはメンバーの黒田俊介さんについて
黒田俊介(くろだ しゅんすけ)さん、1977年3月18日生れで、大阪府堺市南区のご出身。ボーカル担当です。身長193cmと言う事で、かなりの高身長です。血液型O型。
「黒ちゃん」等の愛称で親しまれております。三兄弟のまん中でお兄さんと弟さんがおります。ご兄弟の方は二人とも一般の方のようで細かな情報はありません。
黒田俊介さんが育った大阪府堺市南区槇塚台という所は、自然も残されているニュータウンでした。
小学校は、最初は地元の「堺市立晴美台小学校」へ通いますが、その後「堺市立槇塚台小学校」へ転校しました。その辺りの時期に引っ越されたのだと思います。
小学生の頃から野球少年で、野球に熱中していたそうですが、背の高い黒田俊介さん、子供の頃から背が高かったそうですが、エピソードも高身長な故のモノが多いようです。
小学生の頃から身長が高く、小学校4年生くらいになると、担任の先生から、「ランドセルを背負ってると『ドリフ』みたいだな!」と言われたそうです。
その頃、既に大人に近い身長があったのだと思います。先生も見るに見かねたのか、黒田俊介さんは、手提げ型のカバンで通学していたと言う事です。
地元の「堺市立晴美台中学校」へと進学しますが、中学2年生の頃に体調を壊し、調べてみると、身長が伸びるのが早すぎて、内臓の成長がついて行かない状態だったそうです。
身長が伸びる時期は、骨と筋肉の成長のバランスが取れなくなる成長痛などと呼ばれる、オスグッド・シュラッター病がありますが、黒田俊介さんの場合は、急激な成長が内臓にも負担になったようです。
やはり、中学二年生の頃に、カラオケで歌った尾崎豊さんの『I LOVE YOU』を歌ったところ、友人が絶賛します。
実はこの時の経験が、黒田俊介さんを音楽の道に導くことになります。その時の高揚感を黒田俊介さんは大事に温めていたのだと思います。
高校は「大阪体育大学浪商高等学校」に進学します。子供の頃から続けていた野球部に入部しますが、あまりにも練習がキツく、退部してしました。
高校生の頃も、やはり高身長だったが為に、普通の大きさの自転車に乗っていると、自転車と体のバランスが悪く、不釣り合いに見えた為、警察に盗難自転車じゃないかと疑われ止められることが頻繁にありました。
高校2年まで身長は伸び続け、去年の服が今年も着れることがどんなに嬉しいかを語っておりました。
高校を卒業すると、「大阪聖徳学園社会体育専門学校」(現・大阪車体スポーツカレッジ)と言う専門学校に進学し、様々なスポーツ系の資格を取得します。
高校時代には、スポーツのトレーナーや、体育教師などを目指していました。在学中より、学業の傍らストリートミュージシャンとして、街角に立ちます。
毎月、4~6万円の稼ぎになったようですが、実家通いだった黒田俊介さんには、程よいお小遣いになったようです。
黒田俊介さんは高校時代に、休み時間になると女子が寄ってきて、歌って欲しい、録音を取らせて欲しい。と要望を受けていたそうで、自分の歌で、ストリートミュージシャンとしてやれそうな気がしていました。
専門学校卒業後は、アルバイトをしながら、ストリートミュージシャンとして本格的に活動を始めました。
ご家族は概ね、理解があり、特に母親は、「やりたいことやったらいい。」と言ってくれたのだそうです。
こうして黒田俊介さんは、様々な場所で歌っていたのだそうですが、ホームにした場所が大阪府堺市の堺銀座商店街でした。
コブクロ出身や黒田身長は?小渕健太郎実家は?黒田との身長差は?
さて一方の小渕健太郎さんですが、生まれは宮崎県宮崎市。1977年3月13日生れ。なんと黒田俊介さんと5日違い。
よくコブクロの小さい方と言われるそうですが、身長は168cmと言う事で、普通の背丈ですが黒田俊介さんが193㎝と大きすぎるのです。
身長差は凡そ25㎝ですね!
両親とお姉さんのご家族で、お父さんは小渕八郎さんと言う方で、民謡を教えていました。絶えず三味線や太鼓などの楽器が間近にあり、叔母さんも民謡大会などでは名の知られる方でした。
そんな風に音楽と関わりのあるご家庭だったと言う事で、子供の頃は、三味線や民謡の手ほどきを受けていたそうですが、小学5年生の頃になるとギターを始めます。
着物を着て歌うのが恥ずかしくなったと言う事で、民謡からは離れてしまいますが、音感などは幼少期の頃から培われていたのですね。
小渕健太郎さんは、宮崎市立宮崎中学校に入学。中学時代は(1989年4月~1992年3月)は水泳部に所属していました。
中学卒業後は、1992年4月、宮崎県立宮崎工業高等学校電子科(現・電子情報科)に入学します。
高校時代(1992年4月~1995年3月)はバドミントン部に入部しますが、2年生になる頃に退部しています。
小渕健太郎さんは、18歳の時に母親を亡くしました。母の事を想って作詞・作曲した楽曲は「蕾(つぼみ)」です。
のちの2007年にリリースされ、第49回日本レコード大賞を受賞したコブクロの代表曲の一つです。
高校卒業後に服飾関係の専門学校を希望しますが、親に反対され、サニックスと言う当時は衛生関係、シロアリの駆除から廃棄物処理を中心にしていた会社の営業員として就職します。
研修期間が終わると、配属になったのは、大阪府の貝塚の営業所でした。小渕健太郎さんとしては、地元宮崎県で働くつもりをしていたのだそうです。
大阪では飛び込みの営業を行っていたと言う事で、一軒一軒、チャイムを鳴らし、シロアリなどの駆除の話を聞いてもらっていたのだと思います。
高校を卒業して2年目の1997年に、二十歳の時に中学の同級生の女性と結婚します。翌年には会社では主任となり、堺の営業所に配属されます。
元来、人当たりが良く、営業トークも身に付け、辛抱強く営業を続けているうちに、関西トップの成績をはじき出す敏腕営業マンとなります。
(音楽活動に専念することになり辞表を出すと、会社から辞めないで欲しいと8時間にわたって説得されたそうです。)
部下には、自分の父親くらいの年代の人も多くいたと言いますから、若干20~21歳の青年にとっては、ストレスも大きかったのでしょう。
堺の街で、気晴らしにギターを片手に週末ストリートミュージシャンとして、活動を始めます。
その商店街が、大阪府堺市の堺銀座商店街でした。
コブクロ出身や黒田身長は?出会いは路上ライブ!デビューの経緯
大阪府堺市の堺銀座商店街で、黒田俊介さんは、既に「歌が上手い」と評判になっていたそうです。
人通りが少なくなった商店街では、ストリートミュージシャン達が、集まってきて盛り上がっていました。
そんな中、必然的に小渕健太郎さんと黒田俊介さんは出会います。「自分、歌ホンマ上手いな!」「いやいや、自分もメッチャ上手いやん!」そんな風に褒め合いながら二人の距離は短くなります。
しばらくすると、黒田俊介さんは、ギターケースを抱えたまま、自分は一曲も歌わず、商店街で歌う小渕健太郎さんの曲を聞き入るようになります。
一方の小渕健太郎さんは、ストレスのはけ口の様に、『ゆず』や『ユニコーン』『T-BOLAN』や『尾崎豊』等を中心に6時間くらい歌い続けます。
又、二人とも好きだと言う、『ミスチル』も加わっていたかもしれません。
ある時、同じストリートミュージシャンの仲間でオリジナルの曲を出している方がいて、その人の曲を二人で聞いていて、
黒田俊介さんから、「こんな曲できないかな?」切り出された小渕健太郎さんは、「このくらいなら、書けると思うよ。」と答えました。
一週間くらい練って、曲を書き上げ、歌詞が途中までの時に黒田俊介さんの同級生と3人で集まって、詞の続きを書いたそうです。
「じつは一緒に組みたいんや。」と切り出した黒田俊介さんに、小渕健太郎さんは「全然OK!」と答え、初めて作った楽曲が、あの『桜』でした。
歌詞カードに書く名義として、「こぶち」と「くろだ」で『コブクロ』と言う名義となりましたが、そのままユニット名として定着します。
さてコブクロの所属する事務所は、個人事務所ではないのですが和歌山県和歌山市のゲームセンターの会社です。
ミノスケオフィス・コブクロとなっていて、その他のアーティストは所属されていないようです。不思議な感じがしますが、こんな出会いがありました。
コブクロの二人は結成後、堺銀座商店街以外でも、路上ライブを行います。
1998年の12月に、大阪心斎橋で路上ライブをしていたときのこと、休憩時間に座り込んでいるコブクロの二人に、声を掛けてきた男性がいました。
この声を掛けた男性は、和歌山市に本社があるゲームセンターを運営する会社の社長さん坂田美之助さんと仰る方でした。
ゲーム業界の会合があって大阪へ行ったんです。それが終わって帰ることになり、同じ駐車場に車を止めていた仕事関係の人達と一緒にひっかけ橋(大阪:ミナミの戎橋)を渡りました。夜9時か10時だったか、心斎橋通りの店はみんな閉まって、ストリートミュージシャン達がずーっと並んでましたね。その中にコブクロという2人組がいて、そこでちょっと足を止めて聴きました。それから駐車場まで行ったんだけど、僕はなんとなく「もう一回戻ってみるから」と。みんなは「じゃあここで」と言うので、ひとりで戻って、20分間くらい橋の上で小渕と黒田の歌を聴いていた。20〜30人くらいの聴衆がいたかな。僕が聴いたのは「桜」と、あとはカヴァーだったと思います。その「桜」に突き抜かれて、すごいなあ、と動けなくなってしまったというかね。年末の寒い晩でした。
出典:KOBUKURO.com 5296 -10 YEARS ANNIVERSARY-』出版社:(株)ヤマハミュージックメディアより
普段なら急ぎ足で駆け抜けて、ストリートミュージシャに目もくれなかったと言う坂田社長でしたが、彼らの歌に突き動かされていました。
3月に催される坂田社長の会社のイベントに、全く無名のコブクロをゲストとして招きます。これがコブクロとしての初仕事となります。
坂田社長はこんな良い曲を持ち、実力もあるのに事務所が無い事を知ると、会社として応援する事を決めました。
活動に勢いが付いてくると、ある日、黒田俊介さんは、「東京のテレビ局に電話する!」と言い出すと、各テレビ局の有名な『ミュージックステーション』『HEY!HEY!HEY!』を始め『NEWS23』まで電話をかけまくります。
「大阪に、スゴいミュージシャンがいるんですよ。すごいですよ。この二人は!」担当者は、「なるほど、そしてお電話を頂いている方はどういうご関係ですか?」
「本人です。」恐らく、それ以上の会話にはならなかったのではないでしょうか?
少しずつ、知名度が上がり、ラジオ番組なども担当し始め、近畿全域で知られ始めた頃の1999年秋に東京で路上ライブを決行します。
明治神宮への神宮橋では誰も集まらなかったのですが、渋谷の駅前で、桜を歌い始めると今まで見た事も無い人だかりができます。
人だかりは、車道まではみだし、スクランブル交差点の周辺まで、人波であふれだします。この路上ライブは、ファンの間では”伝説の”路上ライブとなります。
坂田美之助社長とのバックアップもあり、2001年3月21日、コブクロは『YELL〜エール〜』でデビューを果たし、いきなり25万枚のセールスを記録します。
その後、安定したヒットメーカーとして歩み始めます。
2007年2月28日に発売された『WINDING ROAD』(ワインディング ロード)は、絢香さんとのコラボレーションで絢香×コブクロの名義で人気の楽曲となりました。
コブクロ出身や黒田身長は?二人の病気や奥さんや子供はいるの?
小渕健太郎さんは、20歳の時に中学時代の同級生と、黒田俊介さんは、2005年の27歳の頃に一般人の女性とご結婚されています。
小渕健太郎さんは、2008年12月9日に双子のお子さん(長女と長男)が誕生した事が知らされています。
黒田俊介さんは、男の子が3人、2007年9月に長男が誕生、2011年4月に次男が誕生、2016年4月28日三男が誕生しています。
お二人ともお子さんがいて、幸せそうなご家庭を築いていらっしゃるようですが、さてそんなコブクロのお二人ですが、
10年ほど前の2016年10月に週刊誌(週刊新潮)いわゆる、新潮砲なんて呼ばれる週刊誌報道で、小渕健太郎さんが、2009年頃、大阪・北新地のホステスを含む複数の女性と親密な関係にあったと報じられました。
この時は、本人からのコメントも事務所にしても、古い話だったこともあるのでしょうが、スルーしており、
奥さんとも円満に(実際の所は解りませんが)過ごされていらっしゃるようなので、中学生の時からの絆は簡単には、揺るがないのかもしれません。
真面目で実直なイメージを受ける小渕健太郎さんなので、また楽曲のイメージから、一部のファンにはイメージダウンになったのかもしれません。
しかしその後、2021年5月になると、今度は『週刊文春』にて、黒田俊介さんの不倫騒動が報じられます。
週刊誌では、不倫相手が戸田恵梨香さん似の美女で、黒田俊介さんとの関係が悪くなり、自殺未遂を図り救急搬送された事を報じると、さすがに、コブクロへの批判も起こります。
その時は、黒田俊介さんは、2021年5月10日に文春が報じると次の日の事務所の公式ホームページで謝罪しておりますが、ネットの中ではその事について、言及するコメントなどが相次ぎます。
しかし、黒田俊介さんも、奥さんとの関係を報じるマスコミなどは無く、円満に解決されたのかと思います。
昭和の時代であれば、『芸の肥やし』なんて言われる女性問題ですが、さすがに令和の時代にはそんな風にみられることは少ないと思います。
小渕健太郎さんは2011年に「発声時頸部ジストニア」と言う発声する時に、首の筋肉が硬くなり、声が出にくくなる病気でコブクロの活動をおよそ半年間活動休止しております。
又、黒田俊介は2023年10月に「急性肝炎」を患ったことを公表しており、普通に血液検査をしていたら、数値を見た先生が急に慌て出して、緊急入院となったそうです。
急遽マネージャーに電話をすると、パニックになったマネージャーの一言目が「死ぬヤツですか?」だったと笑っておりました。
その後、無事お二人とも療養を経て、よりパワフルに活動されております。芸能界では、事務所の大きさなどが、売れる売れないを決めるなんて事がよく言われますが、
芸能事務所でもない事務所から大きく羽ばたいたコブクロのお二人の実力は多くの人の心を掴むものですね。
いかがだったでしょうか?今回はコブクロのお二人に焦点を当ててみました。

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