怒髪天のメンバーと増子直純が選んだ決断!歩み続けた40年の年に!

メッセージソング

『怒髪天』(どはつてん)と言うバンドの名前を聞いたのは、ザ・ブルーハーツのトリビュートアルバムの中でだったと思います。

『世界のまん中』と言うザ・ブルーハーツの楽曲を怒髪天のアレンジで聞きごたえのある演奏でした。

その後も、亜無亜危異(アナーキー)と言うバンドや、憂歌団、氣志團などのちょっとヤンチャな漢気あふれるバンドと音楽フェスなどを行っていたので、やや強面のロックバンドと言うイメージでした。

しかし、あまり知られていないのかなと言う事もあり、フューチャーしてみたいと思います。




怒髪天メンバーは、全員、北海道出身、プロフィール紹介!

怒髪天のメンバーは全員北海道出身です。

フロントマンとなるのは、

★増子 直純さん(ますこ なおずみ)北海道札幌市白石区出身で1966年4月23日生まれです2025年4月2日現在で58歳ですね。 ボーカルとほとんどの楽曲で作詞を務めてます。

血液型はA型です。

ギターを担当しているのは、

★上原子 友康さん(かみはらこ ともやす)北海道留萌市の出身で1967年2月26日生まれ2025年4月現在58歳です。 又、ほとんどの楽曲で作曲を務めています。

血液型はA型で、王子と呼ばれています。

ドラムスは?

★坂詰 克彦さん(さかづめ かつひこ)北海道幌加内町出身で、1966年8月18日生まれ2025年4月現在58歳ですね。
血液型は、O型で、『坂さん』と呼ばれています。

旧メンバーとしてベーシストの清水 泰次さん(しみず やすつぐ)北海道千歳市のご出身で
1968年5月4日で、2025年4月現在56歳です。                     血液型はO型でシミさんと呼ばれていました。しかし2024年2月に解雇と言う形で怒髪天を離れる事になります。後述にて。


怒髪天メンバー、札幌の音楽シーンからメジャーへ!

さて、怒髪天のボーカルでフロントマンを務める増子直純さんですが、父は新潟県、母は東京の下町の西日暮里の商家のご出身だそうで、幼い時から東京に行く機会は多かったのだそうです。

増子直純さんの弟さんは、増子真二さんというDMBQ(ディー・エム・ビー・キュー)と呼ばれる「Dynamite Masters Blues Quartet(ダイナマイト・マスターズ・ブルース・カルテット)」と言うロックバンドのメンバーです。

また作曲家・編曲家のマシコタツロウは従兄弟に当たる方だと言う事でびっくりです。マシコタツロウさんといえば、一青窈さんの『ハナミズキ』の作者として有名です。

怒髪天は1984年に、バンドが結成されます。当時高校生だった増子直純さん以外は現在とは違うメンバーで構成されていたようです。

 当初はハードコア・パンクバンドとして活動されてましたが、1986年に一時解散しましたが、すぐに増子直純さん、上原子友康さんが中心となり、再び活動を始めました。

増子直純さんは、高校を卒業してから2年間自衛隊に入隊後、1991年に札幌から上京します。

クラウンレコードよりアルバム『怒髪天』(タイトル題字 / 北島三郎氏)でメジャーデビューを果たします。

そう北海道出身の怒髪天のリズム&演歌と言われるロックと日本の音楽の要素を取り入れたデビューアルバムにぴったりの題字だと思います。


怒髪天メンバー、アルバイトで食いつなぎ、視野が変わる!

札幌から上京し、メジャーデビューと言う事になるのですが、当時、爆発的なバンドブームでしたが、丁度、ブームが過ぎ去るタイミングでした。

さらに、上京後わずか数日で事務所も倒産すると言う前途多難な活動状況が続きました。バンド活動は、1996年まで活動を続けますが、活動休止してしまいます。

 活動休止の理由は、それぞれにアルバイトを掛け持ちしていて音楽家活動を行っていましたが、1996年に、遂に行き詰まりを覚え一時休止となってしまいます。

怒髪天の活動休止中には増子直純さんは、プロレスのリングアナウンサーや、穴空き包丁の実演販売、輸入雑貨屋さんの雇われ店長、露天商の集金係を行って生活を繋いでいたようです。

露天商の集金をしていた時には、組の用心棒のような二人の黒人とけんかに巻き込まれ、一人はやっつけたものの、もう一人からボコボコにされたと言います。

雇い主からは度胸を認められて稼業人(渡世人)の道に誘われたが、弱者から搾取することで成り立つその世界の実態を知り、断ったと言います。

その頃は毎日、今日殺されるかもしれないという思いで、家を出ていたと言います。ケンカが強く、男気にあふれる増子直純さんは普通に生活出来ることがどれだけ有り難いことかも痛感しました。

しかし、その時代を経て、怒髪天の歌詞世界観につながる経験となったと言います。その時代にご増子直純さん自身の視野が広くなり、改めて世間一般への認識が変わったとの事です。


怒髪天メンバー、40周年にどうして?ベースの清水の解雇!

そんな中で、1999年に「もう一度、怒髪天やろう」と旧メンバーである清水 泰次(しみず やすつぐ)さんが、活動休止中のメンバーに呼びかけます。

他のメンバーより2~3歳若い清水泰次さんでしたが熱い思いはあったようです。その後、ドラマ挿入歌『アストロ球団応援歌』になった『俺達は明日を撃つ!』

アニメ「銀牙伝説WEED」オープニングテーマとなった同題名の楽曲など、少しづつですが、露出度が増えてきます。

先に書いたザ・ブルーハーツの『世界のまん中』が収録されたのも2002年の事です。その後の『オトナノススメ』と言う曲は怒髪天ファンならずとも、ちょっと笑えて、頷いてしまう歌詞です。

怒髪天のリズム&演歌を表している楽曲ですね。又、楽曲提供も多く、他のアーティストのカバーオムニバスアルバムやトリュビュートアルバムに参加しています。

楽曲提供している方には関ジャニ∞、ももいろクローバーZ、寺嶋由芙さんなど若い方から、川中美幸さん、TUBEなど大御所にも楽曲提供されています。

又、吉田拓郎さんのトリュビュートアルバムでは『落陽』を披露してます。

グレイとの対バンなども話題となります。

さて、そんな風に、露出度や音楽的にも認められることになりましたが、増子直純さんは、

デビュー当時はその厳ついスタイルのせいか、ライブハウスや当時バンドブームで盛り上がっている他のバンドから敬遠されがちだったそうです。

しかし、その時代に『怒髪天』を大事にしてくれた、ライブハウスや、バンド仲間には恩義を感じ、地方の小さなライブハウスでも現在も、毎年ライブを行っていると言います。

そんな波に乗り続けていた怒髪天に衝撃が走ります。2024年2月9日、数年来に渡る過度の飲酒と素行不良を理由に清水泰次さんが解雇されます。

具体的に、決定的になった事については、「本人の名誉の為」と言う事で伏せていますが、怒髪天の公式ホームページの中でそれぞれのメンバーが、「怒髪天より大切なお知らせ」として

清水泰次さんは、『一生謝っても謝り切れません』と謝罪しています。

増子直純さんは、「酒を止めるか?怒髪天を辞めるか?」と話をするも、怒髪天を選んでもらえなかったと嘆き、

上原子友康さんは、同じ夢を追って長年やっていて悲しいし、悔しいと、坂詰克彦さんは、怒髪天が前を向き皆様に偽りない姿を見て頂きたい為の決断としています。

そこから、3人体制で活動を行ってゆくと言う『怒髪天』それぞれのメンバーが馬鹿正直に、人情を大切にする人達だからこそ、ファンやメンバーを傷つけるような行為は許せなかったのでしょう。

前を向いて2025年から新体制の怒髪天。周りに温かい春の風が吹くことを期待しています。

以上、怒髪天のメンバーや紆余曲折について調べてみました。

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