仲井戸麗市さんといえば、『チャボ』の愛称で長くに渡り、RCサクセションのギタリスト、ボーカルとして活躍した事でも、アラカンの音楽ファンではお馴染みではないでしょうか?
又、自らのユニットなどでも活躍されておりますが、この方は、ライブ中心の活動が多く、あまりプライベートな事はあまり知られていません。
日本のロックの黎明期ともいえる時代を、仲井戸麗市さんはどのように駆け抜けてきたのでしょうか?
仲井戸麗市の息子?麗市は読みは『れいち』本名は?出身は新宿区
仲井戸 麗市(なかいど れいち)さんの本名は、加藤 秀明(かとう ひであき)さんといいます。1950年10月9日に、今も東京都新宿区にある早稲田大学にほど近い戸山ハイツで生まれ育ちます。
れいちと言う芸名には、大好きなフォーク・シンガーの、ドノヴァン・フィリップ・レイチのファミリー・ネームから付けたそうです。正確には、『れいいち』さんではないのです。
現在(2025年6月)74歳になられます。冒頭に書きましたが、個人的にはRCサクセションのメンバー、ギタリストとしての印象が強い方ですが、他の音楽ユニットもお持ちです。
CHABO (チャボ) の愛称で知られていますが、これは、仲井戸麗市さんが、ライブなどでも細かく動き回る様子を、鶏のチャボにとらえて、『チャボ』と呼ばれ始めたとの事。
ギタープレイ最中の首の動きとか、忌野清志郎さんと動き回っている様子なのでしょうね。いつの間にか『CHABO』とかっこよく(笑)英語表記になっていました。
そんな仲井戸麗市さんは、戸山教会幼稚園に入園しますが、ここでの出会いが、のちの楽曲『さなえちゃん』に繋がります。
幼稚園では、近所のカズオちゃんとガキ大将の地位に君臨していた仲井戸麗市さんでしたが、ある日転校(園)してきた、外人のジョージ君に砂場で投げ飛ばされます。
その日から、その大将の座をジョージ君に引き渡すこととなったとの事です。この幼稚園の“みず色組”時代、“さなえちゃん”にひと目ぼれし、初恋の人となります。
仲井戸麗市の息子?実家は印刷屋さん、あこがれは長嶋茂雄さん。
仲井戸麗市さんのご実家は、印刷屋さんをやっておりました。従業員の「クボさん」が昼休みにギターやウクレレを弾き歌っていたのに興味を持ったのが、ギターを始めるきっかけになったのだそうです。
又、父の仕事の関係で家には、『ソノシート』と呼ばれる印刷物に付録の様についてきた薄い片面のレコードのようなモノがたくさんあり、音楽に触れる機会が多かったそうです。
桐朋(とうほう)学園中学に入学後、お亡くなりになった長嶋茂雄さんに憧れ、野球部に入りますが、成績が低下したことを理由に野球部を先生に退部させられます。
中学2年生になると、隣のかっちゃんと街のクラッシックギタ-教室へ通いだし、その頃、ビートルズ、エレキギーターと、その時代の大人たちがいぶかしげに見るものに仲井戸麗市少年はのめり込んでゆきます。
エレベーター式の中高一貫校の桐朋学園の高校へ入学するときには、バンドで文化祭などで披露するくらいの経験を重ねてましたが、漠然とした虚無感があったようです。
3年生の頃、奥津光洋さんと『古井戸』と言うバンドを結成します。
その後、大学は全て落ち、なんとなく興味がある程度のデザインの専門学校・御茶ノ水東京デザイナー学院に入学します。
ある日、お兄さんから貰ったチケットで、渋谷・宮益坂の生演奏の店“青い森”を訪れます。
そこで唄っていた加奈崎芳太郎さんと出会い、『古井戸』に招き入れます。
古井戸はその後メンバーチェンジを繰り返しながら、古井戸としてデビューする時は4人いたメンバーは、仲井戸麗市さんと加奈崎芳太郎さんのディオとなっておりました。
仲井戸麗市の息子?気軽に作った曲がヒット!テレビ番組出禁の顛末
古井戸は、ヘビーな感じのブルース志向で、アルバム『古井戸の世界』を発表しますが、前後して、なんとなく作った『さなえちゃん』と言う曲がヒットします。
テレビ出演の話などもあり、ある時、フジTV生放送で愛川欽也氏の司会の“リブヤング”と言う番組がありました。
各出演者が自身のヒット曲を演奏させられる中、いよいよ「さなえちゃん」を求められていた古井戸のステージの番です。
本番中のTVカメラに向かい「♬俺はこんな歌なんか歌えねえよ。こんなところじゃ唄えねー、俺達の違う他の唄もききやがれ♪」などとアドリブで唄い仲井戸麗市さんは絶叫します。
当然のように、白い視線飛び交う中、そのままスタジオから出て、独りTV局の廊下を駆け抜け、『全員を敵にまわした』と思う心境で帰ろうとすると、仲井戸麗市さんに、声をかけてきた男がいました。
「おまえ良かったぞ、俺もアタマにきていたんだ、うん、良かったぞ」そう声を掛けてきたのは、なんと泉谷しげるさんでした。
それ以降、番組へは出入禁止となりますが、その時、声を掛けてきた若き日の泉谷しげるさんとは長きに渡るお付き合いになったようです。
その後、仲井戸麗市さんは、RCサクセションのメンバーとしても活動していましたが、1979年(昭和五十四年) 古井戸は久保講堂において、ラストステージを終え、解散します。
RCサクセションの無期限活動休止後、1991年になると別のレコード会社だったザ ・ストリート・スライダーズの蘭丸こと土屋公平さんと業界の壁・掟を超えて、麗蘭(れいらん)と言うブルース・ユニットも結成しています。
仲井戸麗市の息子?妻はカメラマン。息子だと言うアーティストたち!
仲井戸麗市さんを検索すると『息子』と言うキーワードが出てきます。奥さんはカメラマンの「おおくぼひさこ」さんという方。
仲井戸麗市さんも、おおくぼひさこさんも結婚についてや、おおくぼひさこさんのプロフィールは情報が少なく、検索してもお仕事のギャラリーなどが出てくる程度です。
しかし、色々調べてみると、女優の山口いづみさんが原宿にあったご実家に暮らしていた頃、山口いづみさんの実家の離れを借りていたのが、おおくぼひさこさんで、その頃、結婚前の仲井戸麗市さんとお付き合いされていたと言う事です。
山口いづみさんは1982年の28歳の時にご結婚されていらっしゃるので、それまでご実家にいらっしゃったようです。
また同ブログの中で、デビュー間もない頃からのお付き合いという事も書かれているので、恐らく1970年代の中頃に、仲井戸麗市さんとおおくぼひさこさんは、ご結婚されたのかと思います。
そして山口いづみさんが、おおくぼひさこさんの事をお姉ちゃんと呼んでいる事からおおくぼひさこさんの方が、幾分、年上なのかと思います。
そして、恐らくお子さんはいらっしゃいません。『息子』と言うキーワードは、2011年3月5日に、2009年に亡くなった忌野清志郎さんの意志を継いで、仲井戸麗市さんの還暦祝いをと、
寺岡呼人さんが幹事となり呼びかけて、土屋公平さん、クロマニヨンズや、曾我部恵一さん、斉藤和義さん、奥田民生さん等など、紅一点となったLeyonaさん以外すべて男性の12組のアーティストがZEPP東京に集いライブを行いました。
その時、寺岡呼人さんが
「ここに参加したアーティストはチャボの子供たち。親の還暦を祝えるなんて、こんな嬉しい事はない」
と発言した事や、
先述の山口いづみさんのブログの中で、山口いづみさんご自身の息子さんとおおくぼひさこさんの写真展に行った事を書いておられ、その事などが相まって「仲井戸麗市 息子」と言うキーワードのなったのかと思います?
さて、デビューからなんと50年越えのアーティスト仲井戸麗市さん。多くの次世代、さらに次の世代のミュージシャンにじわじわと浸透して行く。そんな素敵な連鎖がこれからも続くように思います。
いかがだったでしょうか?古井戸、RCサクセション、麗蘭と様々なユニットで活躍し、今も尚、多くのミュージシャンに敬愛されるCHABOこと仲井戸麗市にフューチャーしてみました。
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