先日、CDアルバムのデーター整理をしておりましたら、宇多田ヒカルさんのトルビュートアルバム『宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-』と言うのが出てきました。
その中の『光』と言う楽曲をLOVE PSYCHEDELICO【ラブ・サイケデリコ】が、歌っておりました。
おっ!ラブ・サイケデリコ、2000年初頭の代表的なアーティストだよなぁ?かっこよかったな!といささか過去形になりながらも、お二人は息もぴったりでしたが、ご夫婦だったのかな?という疑問。
今、現在の展開を見に行ってまいります。
ラブ・サイケデリコ夫婦なの? 女性ボーカルはKUMI
LOVE PSYCHEDELICO(ラブ・サイケデリコ)は、ボーカルのKUMIとギターのNAOKIの男女二人による日本のロックデュオです。
先ずは、ラブ・サイケデリコのボーカルのKUMI(クミ)さんから、1976年4月11日に東京で生まれです。出身は千葉県と言う事になってますが、生まれは東京のようです。ボーカルとギターなどを担当しています。
帰国子女で2歳から7歳までアメリカのサンフランシスコに住んでおりました。その為、ネイティブな英語が話せると言うのがラブ・サイケデリコの強みとなっています。
又、逆に日本語(イントネーション)が少しおかしいと言われる事もあるようで、これが歌詞の日本語の部分のラブ・サイケデリコの持ち味とも言えます。
日本に戻ってからは、千葉県の渋谷教育学園幕張中学校に入学しておりますが、超難関の中学入試だと言う事です。
又、高校も、同じ敷地に併設されている渋谷教育学園幕張高等学校に通っておられますが、こちらも、毎年、東大や京大に進む方の多い千葉県でも優秀な進学校で、多くの帰国子女の方や留学生も多いと言います。
そのような環境で、KUMIさんの英語のスキルが磨かれたのではないでしょうか?
因みにこの高校の卒業生には、アナウンサーの水卜麻美さんや、俳優の田中圭さん、その他多くのスポーツ選手も輩出されています
ラブ・サイケデリコのKUMIさんが、音楽をちゃんと聴き始めたのは大学以降。大学に入っていろいろ聴いていくうちに、自分がビートルズ、ボブ・ディラン、ローリングストーンズ、レッドツェッペリンといった70年代の音楽のテイストが合っている事に気が付きます。
ギターを始めたきっかけはボブ・ディランの「ミスター・タンブリン・マン」で、ギターを弾きながら歌うスタイルに魅かれた事がきっかけでした。
確かに、ボブ・ディランのブルースハーモニカを首に下げ、ギターを弾きながら「ヘ~ィ、ミスタータンブリンマン♬」と薄い紙を通したような声で歌う姿は、しびれますね。
ラブ・サイケデリコの二人は夫婦? 男性ギタリストは、NAOKI
ギターやベースなどを熟すラブ・サイケデリコのNAOKI(ナオキ)さんは、静岡県出身。1973年7月21日のお生まれです。今年51歳でしょうか?
本名は佐藤直樹(さとう なおき)さん。初期のリリース作品にはNAOKI SATOと表記されておりました。
敬愛するミュージシャンはヴァン・ヘイレン、ビートルズ、ジョン・レノンなどを聴きこんでおられたと言うだけあって、その辺りのテイストは充分に感じます。
ビールが好きなようで、ライブ中に缶ビールを飲むパフォーマンスをよく行っているようです。THE BAWDIESと言うバンドのプロデュースも行っています。
ラブ・サイケデリコのNAOKIさんは、映画好きでもあり、一流のレコーディングエンジニアでもあり、音楽業界では”機材マニア”としても知られております。
その手腕が広く認められていて、数年前から映画館の音響技術を手がける事もなさっています。人間の耳が聞き分けられる部分の細部にまでこだわった音作りをしておられます。
人の耳は「10万分の1秒の違い」がわかると、NAOKIさんは言います。
僕が目指す映画館というのは、どんな映画でも気持ちよく“聞ける/観られる”状態である場所。
出典:AERA dot
と語り、男性女性の声の周波数や、ゴジラの歩く音や爆撃音などのストレスのかかる音等の表現も、映画のシーンを何度も見て、
パソコンの画面を見ないで周波数をヘルツ、デシベルの調整をスタッフに伝えて、表現すると言うのだからすごいですね。
ラブ・サイケデリコ、夫婦なの?現在のバンド名は、長すぎて縮めた?
しかし、ラブ・サイケデリコの曲は、そう尖がっている訳ではなく、どこか懐かしい70年代を感じさせる楽曲が多く、英語と日本語の韻の踏み方が、絶妙なわけです。
そんなラブ・サイケデリコ。元々のバンド名は「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」(ラブ サイケデリック オーケストラ)でしたが、長すぎるためORCHESTRAの頭文字「O」のみをPSYCHEDELICの後ろにつけ、現在の名称になったそうです。
サイケデリックと言う言葉は、幻覚作用のある薬などによるトラップで起こる幻覚や妄想を思い浮かばせる派手な色使いや、幾何学的な模様、映像、音楽などを指す言葉で1960年代に流行しました。
そんなラブ・サイケデリコですが、1997年に青山学院大学の音楽サークルで結成されました。
もともとは青山学院大学の音楽サークルACM(Aoyama Creative Music)でNAOKIがKUMIに声を掛けたことをきっかけになにげなく始まったバンドで、当初はプロデビューなどという野心はまったく考えていなかったようです。
そもそも、1997年当時の青山学院大学と言えば、(現在もですが)富裕層が多い事でも知られていますが、おしゃれで洗練された方が多くおりました。
moonは大学構内の学生食堂で時折、安い定食をいただいておりました。
そんなお二人を中心にバンド形態で活動をスタートさせますが、メンバーが入っては辞めての繰り返しでした。
ファースト・アルバムも、バンドが無くなって後任のベースとドラムとキーボードを探すまでの間にデモテープのつもりで2人だけで作っていたものでしたが、
たまたまレコード会社に渡り、アコースティック・ギターとボーカルを録り直した以外はほとんどそのままの形でCDになり、2000年4月21日、シングル『LADY MADONNA 〜憂鬱なるスパイダー〜』でビクターエンタテインメントよりデビューと言う事になります。
ラブサイケデリコの楽曲は、作詞作曲共に『ラブサイケデリコ』と書いてあるので、NAOKIさんとKUMIさんでの共作と思われます。
ラブ・サイケデリコ、ご夫婦ではありません。では、ご家族は?
ラブ・サイケデリコは、その後、2004年にアジアツアーを敢行すると2008年にはロスアンジェルスに拠点を設けて、インディーズレーベルでのアメリカデビューを果たします。
それを足掛かりに、エルトン・ジョンら大物アーティストをブレイクさせたハリウッドの伝説的なライブハウスであるトルバドールで公演する事など、大きな波に乗っているようでした。
その後、アジア圏でも人気は沸騰します。香港、上海、台湾などのアジア圏では2000年のデビュー当時から「愛的魔幻」の呼び名で親しまれ、
香港のロック・フェスティバルにヘッドライナーとして出演するなど絶大な人気を誇っているバンドとなりました。
さて、個人的な情報としては、KUMIさんは2010年3月9日に、10歳年上の一般男性と結婚した事が解っています。
お相手の方は一般人と言う事で詳しい情報は明かされていないのですが、約1年間の交際を経て結婚したことが発表されました。
自ら公式サイトにて、KUMIさんが夫について「とても信頼できる一般の方」と発表されておりました。
しかし、結婚から5年後の2015年に離婚しています。バンド活動が忙しくなり、すれ違いの生活の中で、離婚となってしまったようです。
その後、2018年1月1日にKUMIさんがロックバンド「PLAGUES」のボーカル・深沼元昭さんと再婚したことが発表されました。
新たに旦那となった深沼元昭さんは、公式サイトで「昨年、私、深沼元昭とLOVE PSYCHEDELICOのKUMIは結婚いたしました」と結婚したことを発表しました。
披露宴は行わなず、親族のみで小さな式を挙げたことを報告しています。
PLAGUES(プレイグス)は1990年に結成されたロックバンドで、深沼元昭さんは、ヴォーカルとギターを担当されています。
2002年3月に一度活動休暇を宣言していますが、2012年に再始動しています。
又、ソロユニットMellowhead(メローヘッド)やGHEEE(ギー)と言う4人組のバンドで、ヴォーカルとギターを担当されています。
お子さんについては、深沼元昭さんや、KUMIさんから正式な報告はありませんが、2018年10月12日に、ラブサイケデリコのNAOKIさんが、
自身のSNSで「KUMIも子供が生まれたばかり」と言う投稿があり、正確な誕生日や性別などは不明ですが、どうやら、お子さんがいらっしゃるようです。
一方、NAOKIさんについては、その手の話題は無く、全く不明ですが、可能性としてご結婚されていれば、何らかの情報は出てくると思われる為、独身なのではと推測されます。
いずれにしても、多才な才能を秘めたご両人、様々な分野でご活躍ください。
そんな訳で、ラブサイケデリコのお二人は、ご夫婦ではありませんでした。
以上、ラブサイケデリコのお二人がご夫婦かと言う疑問とご家族についてのお話でした。
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