井上陽水の若い頃、現在の年齢や妻や娘との暮らしは?突然消えた理由

フォークソング

ここ数年、気になっている方が、井上陽水さん。言わずと知れた方ですが、メディアで見かけることがなくなり、年齢のこともありますし、ちょっと気になってます。

フォークソング全盛期から一時代を築き上げた方ですが、意外と謎の部分も多く、そもそも年齢と書きましたが、今、お幾つなんだろう?

生活感が無い方ですが、ご家族は?・・・など。いろいろ気になる事もあるので、改めて、今回は井上陽水さんにCheck it now! 奥が深そう・・・。




井上陽水の若い頃、本名や現在の年齢、出身は福岡、父は歯科医!

井上陽水(いのうえ ようすい)さんは、本名は『陽水』と書いて”あきみ”と読みます。1948年8月30日 生れなので2026年1月現在は、77歳になりますね。

福岡県嘉穂郡幸袋町(現・福岡県飯塚市幸袋)のご出身。本籍地は高知県幡多郡佐賀町となっており、

これは井上陽水さんのお父さんで、軍医を務めた若水(わかみ)さん(のちの歯科医)の故郷のようです。

お父さんの若水さんは大変苦労をされ、戦争中に一時、朝鮮に渡り医療や福祉の手伝いをしていたそうですが、帰国後、歯医者の親族の女性(のちの陽水さんの母)フジさんと出会い、結婚。

井上陽水さんが生まれてすぐに、福岡県田川郡糸田町へ引っ越し、歯科医院を経営します。

井上陽水さんは糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学します。井上陽水さんには8歳年上のお姉さんがいらしたそうです。

小学生の頃から、お姉さんの影響でエルビス・プレスリー等の洋楽を聞き始めたと言います。

井上陽水さんが小学3年生の頃には、姉には彼氏がいて、田舎の街で噂が立ちにくいようにダシに使われ、隣町で、「あんたは映画を見てなさい。」と言われ、1人で映画を見たそうです。

その時、見た映画が、石原裕次郎さん主演の『嵐を呼ぶ男』だったそうで、2001年にカバーアルバムとして出した『UNITED COVER‐ユナイテッド カバー‐』と言うアルバムの中で、映画の同名のテーマソング『嵐を呼ぶ男』のカバーをされています。


井上陽水の若い頃、ビートルズに衝撃を受け、大学は三浪していた

井上陽水さんは、小学生の頃からラジオのヒットチャート的な番組と言っても当時は、歌謡曲だったと思いますがよく聞いていたそうですが、中学生3年の頃にやはりラジオから流れた

当時リリースされたばかりのビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』に衝撃を受け、それ以来、ビートルズマニアとして、学校はもとより、近所でも知られるくらい熱狂していたと言います。

その頃は、父の跡を継いで歯科医になるつもりをしていたと言う井上陽水さんでしたが、九州歯科大学を3年に渡り不合格となってしまいます。

そんな中、やはり深夜ラジオからフォーククルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』と言う早回しの録音技術を使った楽曲が流れ、技術的に自分でも出来ると思い、二十歳の頃に音楽を仕事に出来ればと思い始めました。

独学でギターを練習し、ラジオ番組の一般の人が持ち込んだ楽曲を流す企画があり、井上陽水さんは応募し、ラジオから流れます。

その時の曲が『カンドレ・マンドレ』と言う曲で、韓国語でベロンベロンに酔っぱらうなんて言う意味があると言います。

恐らくお父さんが、朝鮮で仕事をしていた時代があった為に聞いたことのある言葉だったのかもしれません。

しかし、ほぼ意味は無く、井上陽水さんの感性の音の響きや、ゴロなどで決めたのではないかと思います。

この曲を聞くと、すぐに井上陽水さんだと解るくらい後の曲にも通じるものを感じます。

その時の芸名が『アンドレ・カンドレ』と言う芸名ですが、これはその時の番組ディレクターの方と相談して決めたようです。

番組でカンドレ・マンドレが流れると、多くの反応があり、丁度その頃、3度目の大学受験にしくじり、レコーディングの為と父には東京に出て勉強を進め大学を目指すと言い1969年の夏に上京します。


井上陽水の若い頃、芸名アンドレ・カンドレ!再婚相手は石川セリ

上京後、ホリプロに所属し、1969年9月1日にアンドレ・カンドレとして『カンドレ・マンドレ』でデビューしますが、簡単に売れるものではありませんでした。

その後3枚ほどシングルを出しますが、ちっとも売れずに、ほぼ仕事もない状態だったと言います。

しかし、この売れない時期に小室等さんやモップスと言うバンドは鈴木ヒロミツさんと言う司会や、コメンテーター、俳優としてお見受けする事が多かった2007年3月14日亡くなられた方ですが、この方がボーカリストのバンド、

忌野清志郎さんが率いるRCサクセション等との出会いがあります。そしてこの時代に知り合った人たちと井上陽水さんは長くお付き合いする事となりました。

売れない状況の中、所属の音楽事務所が変わり、アンドレカンドレと言う芸名も、漢字の読みを変え、「ようすい」と読み、再デビューする事になります。

これはその頃、巷に知れ渡っていた『拓郎』(よしだたくろう)に寄せてきたようですが、関係者との話し合いでは、軽く受け入れたと言います。

その間に制作したアルバム『断絶』の中に『人生が二度あれば』と『傘がない』と言う曲が入っていました。

徐々に話題になり始めた頃、1973年3月に、映画『放課後』主題歌として起用された『夢の中へ』と言う楽曲がありました。

実はこの映画の音楽担当は、先述のモップスのギターリスト星勝さんでした。そして、この映画の主演の高校生を演じたのが当時16歳の栗田ひろみさん(1957年9月2日生まれ)でした。

この映画の中の挿入歌として、井上陽水さんは栗田ひろみさんをイメージして『いつの間にか少女は』と言う楽曲を書き下ろして、こちらは栗田ひろみさんが歌います。

その時、井上陽水さんは25歳。栗田ひろみさんは、この映画がヒットし、他の映画でも話題になりトップアイドルに名を連ねる存在になります。

同様に『夢の中へ』も『いつの間にか少女は』もヒットチャートを揺るがします。

あの頃のことを、ご存じの方なら、栗田ひろみさんと言うお名前や姿を覚えている方も多いと思います。

子供の頃、いつの間にかテレビに出なくなっちゃったなと思っておりましたが、栗田ひろみさんはこの映画がヒットする前後に知り合った、

当時早稲田大学の学生さんだった方と、交際を続け23歳の時に結婚して芸能界を引退しています。

浅田美代子さんに誘われて一緒に行ったバーベキューで出会ったと言う事です。

さて、話は井上陽水さんに戻りまして、1974年に井上陽水さんは、熊本出身の一般女性と結婚しています。

井上陽水さんの最初の奥さんは、井上陽水さんのアルバム『二色の独楽』の中の歌詞カードにお写真が載っている方です。

しかし、芸能界とは無縁の方で、熊本のホテル経営者の一族の方で地元の名士のご家族の様でした。

その後、日本の音楽界を激震させる、関係者に取っては事件とも言うべき、フォーライフレコードの設立に小室等さんを筆頭に、吉田拓郎さん、泉谷しげるさんらと名を連ねます。

(フォーライフレコードの詳細は、泉谷しげるさんのページで)

同じ時期に、のちの奥さんとなる歌手の石川セリさんと出会う事になります。井上陽水さんが最初の奥さんと結婚して、1年程度の時期です。


井上陽水の若い頃、現在は、孫娘を溺愛!故郷の福岡県で隠居生活!

井上陽水さんと歌手の石川セリさんの出会いは、石川セリさんと松任谷(荒井)由実さんがラジオ番組『パック イン ミュージック』に出演していたところ、

井上陽水さんと吉田拓郎(当時はよしだたくろう)さんが、押しかけていったと言う話があります。パックインミュージックはTBSの深夜ラジオで、よしだたくろうさんもレギュラーだった時期もあります。

アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフの石川セリさんを一目見た井上陽水さんは、完全にひとめぼれだったようです。

その後に、石川セリさんの気を引くために目の前で30分ほどで書き上げた曲が『ダンスはうまく踊れない』でした。

この曲は石川セリさんの代表曲となり、この曲がきっかけとなり、石川セリさんは井上陽水さんの事を強く意識するようになったと述べています。

この曲は1977年4月に発売されていますが、前年の1976年には奥さんと離婚されているようです。

多忙を極めていた井上陽水さんとの生活の中のすれ違いや、石川セリさんの存在も原因の一つだったのではと言われています。

この曲を作った半年くらい経った1977年9月10日、井上陽水さんは大麻所持容疑で逮捕されると言う事件もありましたが、お酒が飲めないので、リラックスの為に吸ってしまったのだそうです。

友人から譲ってもらった10本ほどの大麻たばこを使っていた容疑でした。友人の筑紫哲也さんなどが、大麻は違法だが、井上陽水の作品まで批判されるべきではない。

そんな風に、井上陽水さんの再活動の背中を押してくれたのだそうです。

執行猶予が付いた判決で、翌年の1978年8月30日に石川セリさんと結婚なさってます。石川セリさんはその時妊娠していました。

その後、1980年代にはバックバンドを務める安全地帯のデビュー曲『ワインレッドの心』や中森明菜さんの『飾りじゃないのよ涙は』等のヒット。ご自身も『いっそセレナーデ』のヒット曲の連発となります。

印象的だったのは、その頃の日産のセフィーロと言う車のCMで「皆さ~ん、お元気ですか?」と言うアドリブのセリフが、かなり話題になります。

しかし直後に、昭和天皇のご容態が悪くなり、セリフ付きのCMはほんの少しの間しか流れませんでしたが、アラカンの方なら皆さん覚えているのではないでしょうか?

1990年代に入ると、奥田民生さんやパフィーとも繋がり、2000年代には仕事をスローダウンさせます。

私生活では、石川セリさんとの間に、第一子は男の子(准介‐じゅんすけ‐さん)、現在、井上陽水さんの事務所社長、長女は、1983年12月22日生まれの歌手の依布サラサさん、それに次女(杏奈さん)を設けています。

依布サラサさんは、2003年頃に娘さん(ユユちゃん)が生まれましたが、2010年にはシングルマザーである事を明かしております。

2011年の東日本大震災後に、井上陽水さんの故郷でもある福岡に引っ越し、母である石川セリさんも、福岡について行きます。

実は長いこと別居状態にあると言う井上陽水ご夫婦。結婚直後から、温和な生活では無かった様で、あまり仲の良い夫婦関係では無かった様です。

依布サラサさんは2013年9月に再婚し、2015年7月27日、第2子となる女児を出産すると、孫に首ったけになっているご様子。

「俺は今までこんなに女性を愛したことは無い。」と公言している辺りは、ちょっと笑ってしまいますが。

都内で一人気ままに過ごしていた井上陽水さんも、2020年11月には福岡に新築のマンションを購入し、毎日ウォーキングに勤しんでいる生活の様です。

実はタモリさんを福岡から東京に呼び出した仲間の一人でもあると言う井上陽水さん。タモリさんが【Pen 2020年5月1日・15日合併号】で次のようにお話されています。

そろそろ新曲を聴いてみたいですよね。つい最近も「また飲もうよ」とメールを送ったばかりです。でもいまはコロナウイルスの問題もあって、氷の世界に閉じ籠っているみたいですね。まさに断絶です(笑)

出典:Pen 2020年5月1日・15日合併号

井上陽水さんの楽曲やアルバムタイトルを入れて、しゃれたコメントを書いてますが、実際に元マネージャーでさえ、余程のことがないと、隠居から抜け出してはくれないのではないかと語っております。

不思議なメロディとこれ又、不思議な歌詞、『リバーサイドホテル』の”夜明けが明けた時”や”金属のメタル”なんて絶対に意味不明な言葉遊びも、『アジアの純真』の無茶苦茶な歌詞も、

唯一無二と言うしかない才能だと思います。ちらっとでいいので、気まぐれにメディアに出てくれたらと思う人は沢山いるのだと思いますし、そんな可能性を感じさせる方でもありますね。

いかがだったでしょうか?今回は、急に消えてしまった井上陽水さんの若い頃から、奥さんやご家族の現在のお話でした。

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