大橋トリオの曲、奥さんは作詞担当。再婚?お子さんが亡くなった!?

カバーソング

大橋トリオさんは、軽やかなメロディながら、勇気づけてくれる歌詞が、おしゃれ且つ、心に響きます。

10年以上前にラジオから流れてきて、「おっ!いい感じ」っと思ったのでした。さすがにその時の曲がなんだったかは、忘れてしまいましたが。

そのインパクトのある名前は、頭の隅に残っておりました。その後、全曲英語のカバーアルバムを聴いたり、斉藤和義さんとのコラボレーションなどを耳にしました。

今回はそんな大橋トリオさん、プライベート面でも気になる情報があり、ちょっと調べてみました。




大橋トリオの曲。身長や、生い立ち。父親は、音楽関係のお仕事?

大橋トリオ(おおはしトリオ)さんは、兵庫県西宮市生まれ。誕生日は1978年7月12日の様なので、2025年6月現在、46歳ですね。

本名は大橋 好規(おおはし よしのり)さんと仰います。兵庫県の西宮市で生まれましたが、千葉県のご出身だそうです。

大橋トリオさんは長身の方のようですが、正確な情報はありません。しかし石田ゆり子さん(163cm)や斉藤和義さん(181cm)と並んでいる写真を見ると、やはり175cm以上の身長の方じゃないかと思います。

 お父さんは、音楽関係の仕事をしていて、趣味でいろんな楽器を集めていたそうです。一般家庭には珍しいローズピアノ(エレクトリックピアノ)が家に置いてありました。

大橋トリオさんは、お父さんの膝の上で、『シャカタク』等のフュージョンなどを聴いていたそうです。

お父さんが膝の上に息子である大橋トリオさんを乗せて、膝を叩きリズムを取っていて、その時の感覚が大橋トリオさんの心の中に残っているのだそうです。

幼い頃の大橋トリオさんは、テレビCMなどで流れる曲などをピアノで弾いたり、又、ピアノ教室に自ら行きたいと教室に通いだしたのだそうです。その頃まだ4歳くらいだったそうです。

大橋トリオさんご本人は、さすがに当時の詳細は覚えていないと仰ってましたが、お父さんの膝の上で、リズムを取っていた事は覚えているそうで、

大橋トリオさんの音楽が、いずれも温かな優しい空気で満たされるのは、そんな原体験の中から奏でられるものなのかもしれませんね。


大橋トリオの曲。音楽で生きる道を強く思った恩人のギタリストの方。

そんな大橋トリオさんは、小学生の頃は、流行っている『光GENJI』のアルバムを、両親に初めてお願いして買ってもらったそうです。

相変わらず、お父さんと一緒に洋楽も聞いていて、当時ビリー・ジョエルさんの『オネスティ』が好きで、家族が誰もいない時に、こっそりと弾き語りをしていたのだそうです。

こっそりやっていたのは、弾き語りがナルシストの極みみたいに見えたからだと、のちのインタビューでお話されていました。

中学生になると、一年間ドラムを習い、ギターやベースなどの楽器も練習を始めます。部活もバレー部から2年生の時には、軽音楽部に転部して、パーカッションを担当したのだそうです。

高校の時にやはり父親の仕事の関係で、ギターリストで作曲家の吉川忠英(よしかわ ちゅうえい)さんのレコーディングの見学が出来る事になったのだそうです。

大橋トリオさんは、かねてから、吉川忠英さんを日本一のギターリストと尊敬していました。

吉川忠英さんは、フォークソング時代から、小室等さんや、大滝詠一さん、中島みゆきさん、松任谷由実さんなどのレコーディングやコンサートのに参加されていらっしゃる方です。

吉川忠英さんは、高校生の大橋トリオさんに「将来何になりたいの?」と聞かれて、まだ何も決まっていなかったのですが、とっさに、「作曲家です。」と答えてしまいました。

吉川忠英さんは、大橋トリオさんが弾くピアノを「いいねぇ。」と褒め、うまく弾く事以外の大切さを知ったのだそうです。

そして、

そのとき忠英さんからCDをもらいました。「好規くん、作曲がんばれ」と書いてくれて。今も大切な宝物です。そのエールに応えるために音楽を学ぼうと決めたのです。

朝日新聞『&W』2018.03.15



大橋トリオの曲。奥さんはmiccaさん。『再婚』は検索の間違え。

その後、大橋トリオさんは父親のLPコレクションを聞き漁っているうちに見つけたオスカー・ピーターソンに影響を受けてジャズに目覚めます。

18歳になると洗足学園音楽学部ジャズコースピアノ科入学し、ハードロックやデスメタルから、邦楽、ジャズまで色々なジャンルの音楽を聴きまくっていたそうです。

あらゆる楽器を熟せるマルチプレイヤーとして、20代から本名の大橋好規で活動されていました。

さて、大橋トリオさんの芸名ですが、『トリオ』はジャズのグループでよく使われるトリオから、なんとなく日本人の名前っぽい所もあり、

ちょっとだけ、「あれ?一人なのにトリオ?」と注目してくれる部分も期待していたそうです。

大橋トリオさんは、ご結婚されています。お相手は、東京生まれのmiccaさんという方で、幼少期よりピアノを始め、クラシック音楽専門の私立中学、高校にて声楽専攻されています。

 17歳の時に渡米し、ニューヨーク、ナッシュビルなどに行きアメリカルーツミュージックや文化に影響を受けた方です。

19歳の時に大橋トリオさんと出会い、バンドを組んでいました。大橋トリオさんが映画「Colors」の音楽を依頼されると、miccaさんに作詞をしてみては?と誘ってみたようです。

そこからmiccaさんは作詞家としてもデビューしておられ、アーティストへの作詞の提供などを行っています。

大橋トリオさんを検索すると、『再婚』と言うキーワードが出てきますが、これは テレビ東京の大橋未歩アナウンサーが、10年以上前に離婚後、早い時期に再婚した事が原因のようです。

『大橋』と言う苗字が同じだけで、大橋トリオさんご夫婦は円満なようです。


大橋トリオの曲。石田ゆり子さんの楽曲も!2015年の悲しい出来事!

しかし、大橋トリオさんことを調べていると、『石田ゆり子』と言うキーワードが出てきます。これは、石田ゆり子さんが、大橋トリオさんの大ファンだと言う事と、

石田ゆり子さんは2021年から大橋トリオさんのプロデュースのもと『lily』名義で歌手としても活動されていて、作曲を大橋トリオさん、石田ゆり子さん自身が作詞を担当しています。

そんな事が検索されている理由かと思います。

そして、一番気になるのは、『子供 死因』や『子供 死亡』なんて言う信じられないようなキーワードですが、時系列を追ってみると、10年前の2015年にお子さんを亡くしているようです。

翌年に発売された今日は大橋トリオ10ten発売日。
『10 ten』と言うアルバムの発売日にmiccaさんは、Instagramに下のように投稿されています。
現在Instagramの投稿は削除されていますが、恐らく連動している『X』の方にこんな文章が。

アルバム10。 昨年は本当に人生で一番悲しい事が起きてもう生きていることさえどうやったら良いか分からなくなった。でもそんな中、沢山LIVEもやって、アルバムも無事作ることが出来た。本当に悲しくて私…

引用:https://twitter.com/

数日後の2016年2月3日には、大橋トリオさんのアルバムの発売日のXでも、下のように呟いております。

今日は大橋トリオ10ten発売日。
昨年は私達の小さな可愛い花がtenの光になりそして星になった。
全ての出来事は私を作る材料だから、また私はここで生まれ、そしてはじまりの唄。全てのアンジュリア…
午後3:46 · 2016年2月3日                   miccaさんの『X』より

10歳で亡くなられたのでは?とか『てん』と言うお名前だったのでは?などの憶測はありますが、想像の範囲でしかありません。

亡くなった死因についても、報道されているものもありません。事故や、急性の病気なども考えられますが、お子さんを失ったご夫婦が、口に出すことは無いでしょう。

ただそこには、深い悲しみがあり、癒されぬ痛みが残るのだと思います。しかし、『はじまりの唄』で懸命に前を向き始める大橋トリオご夫婦の姿があります。

涙涙押し寄せないで
もう笑って生きていたいから

はじまりの唄より

そんなフレーズに、言葉だけでは伝えきれない部分を大橋トリオさんのメロディが一緒になり、様々な痛みを持った沢山の人々を優しく包み込んでいるのでしょう。

いかがだったでしょうか?職人のように楽器を操り、ご夫婦で楽曲を紡ぎだす。そんな大橋トリオさんの情報を調べてみました。

 

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