銀色夏生、吉高由里子 『バイバイまたね』と『そして僕は途方に暮れる』

カバーソング

さて、今回は、銀色夏生さんと吉高由里子さんのダブルヒロイン。しかも、どちらも歌手ではありませんが、まるで年代も世代も違う銀色夏生さんと吉高由里子さん、お二人の関係とは?

銀色夏生さんは、1980年代に沢山のヒット曲の歌詞を送り出した作詞家の方です。私moonが認識するには本業は詩人や、エッセイストの方だと思っております。

写真集なども拝見したことがあります。

銀色夏生さんの楽曲のヒット曲の一つ『そして僕は途方に暮れる』を取り上げつつ、吉高由里子さんとのご縁と吉高由里子さんの小学生の頃の写真を用いた銀色夏生さんの詩集『バイバイまたね』のエピソードを交えて、お話をさせていただきます。




銀色夏生と吉高由里子。『銀色夏生』って誰?と言う方に。

銀色夏生(ぎんいろ なつを)さんは1960年3月12日生まれの、日本の女性詩人、エッセイストで写真家。更に作詞家としては1980年代からのJ‐POPシーンを彩りました。

1982年頃から、銀色夏生さんは本格的に作詞家として登場するのですが、その頃は、少なくとも私moonとしては、謎の人でした。

大体、何とお読みするのだ?と言う疑問から、男性か?女性か?まるで謎でした。当時、流行っていた、漫画家の吉田秋生(よしだあきみ)さんのように、【なつみ】なのか?

【なつお】なのか???まさかの『なつを』さんでした。(笑) 当時、楽曲(歌詞)(一部作曲も)を提供した歌手は、

EPOさん、伊藤銀次さん、大澤誉志幸さん、柏原芳恵さん、小泉今日子さん、斉藤由貴さん、沢田研二さん、シュガー、早見優さん、松田聖子さん、松永夏代子さん、松本典子さん、森尾由美さん、山下久美子さん、吉田拓郎さん。

そして初期に作詞されていた太田裕美さんに関しては山本みき子や山元みき子と言うペンネームでしたが、このどちらかが銀色夏生さんの本名ではと言われています。

又、アニメーション、『マクロスF』の コンセプトアルバムや、2011年の第78回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲まで銀色夏生さんは手掛けております。

いやはや、恐らく、1965年から1970年くらいに生まれた方なら、え~!と驚くような大御所ぞろいです。中の何曲は、銀色夏生さんが作曲されている作品もあるようで多才な方ですね。


銀色夏生と吉高由里子。『そして僕は途方に暮れる」の名言。

中でも、個人的に大好きなのは、銀色夏生さんの詞と、大沢誉志幸さんの曲の1984年(昭和59年)9月21日にEPIC・ソニーよりリリースされた、大沢誉志幸さんの「そして僕は途方に暮れる」(そしてぼくはとほうにくれる)です。

大沢誉志幸さんの代表曲ともいえるヒット曲ですが、のちに多くのミュージシャンがカバーしています。

この曲は、元々、作詞が先で曲を後に付ける予定でしたが、大沢誉志幸さんが上手く曲作りに入れず、行き詰った時、

大沢誉志幸さんが、前に作った「凍てついたラリー」と言う曲の最後とこのフレーズがとても調和している事にプロデューサーが気が付き、再度、銀色夏生さんが曲に合わせて部分的に詞を作り直したと言う事です。

この大沢誉志幸さんの楽曲「そして僕は途方に暮れる」は、1984年(昭和59年)発売のシングルカットされ、日清カップヌードルのCMソングに起用されました。

日清カップヌードルのCMは翌年1985年に、中村あゆみさんの『翼の折れたエンジェル』でもスマッシュヒットとなり、当時の企業、アーティストともにウインウインの関係になったのではと思います。

のちに多くのアーティストがこの曲をカバー、桃井かおりさんから、甲斐よしひろさんまで、色々なジャンルの方が、カバーしております。

moonは、ハナレグミ・永積タカシさんのバージョンが大好きで、あのアレンジは、恋人より親子や、肉親に向けた歌詞としても聞こえてくるので不思議です。

「君が選らんだ事だから、きっと大丈夫さ♬」そう、進路を選び巣立つ子供に、かけてあげたい言葉ですね。何気ない言葉ですが、親目線からの名言かと思います。

大沢誉志幸さんご自身もお気に入りの曲だと言っておられます。


銀色夏生と吉高由里子。国民的女優の小学生時代

吉高由里子さんのご実家は、都内でセブンイレブンを経営されています。現在もお父さんが切り盛りをしているのだとか。

ウワサでは、セブンイレブン日本体育大学店と言う事ですが。

吉高由里子(よしたか ゆりこ)さんは、東京都世田谷区出身、1988年7月22日生まれの(2024年6月)現在、間もなく36歳と言う事になります。

実は本名は非公開だそうです。由里子は本名で、苗字は芸名だそうですが、父と兄の名前から一文字ずつもらったとの事。又、画数を決めるのに一家で悩んだのだとか。

仲の良いご家族のようです。苗字も調べればわかりますが、あくまでも推測なので、ご本人が伏せておきたいものをあえて書かなくてもよいかなと思います。

さて、セブンイレブンの看板娘として、小学生の頃から店番をしてレジを打つこともあったと言います。

父親から貰うハーゲンダッツの報酬で手伝ってくれたそうです。そんな小学生の吉高由里子さんは、大人の間でも話題になったそうです。

物怖じせず、明るく挨拶をしてくれる超美少女。レジは届かないので踏み台を置いたりしていたと言いますから可愛いですね。

ある日、取材中の国分太一さんが、テレビで「すげー、美少女だった。」と吉高由里子さんの事を話していたと言います。

小学生の頃の頃お小遣いをもらうと、昼間から飲んでいる人がいるような焼き鳥屋さんに行き牛タンなどを買っていたと言います。肉好きらしいです。

近所の人に、「由里子ちゃん、酒場に出入りしてるよ。」と言われて、参りましたとお父さんは振り返っておりました。

実は天真爛漫な吉高由里子さんですが、吉高由里子さんが中学生のころに両親は離婚し、父、兄、父方の祖母と暮らしていました。

おばあちゃん子で、時には厳しく、時には優しく接してくれるおばあちゃんの事を今でも大切に思っているのだとか。

デビューしてからは、コンビニエンスストアーの『ミニストップ』のポスターに起用され、お父さんがミニストップの前で、ポスターを見つけ、ショックを受けたと言う話もありました。


銀色夏生と吉高由里子、銀色夏生の娘がきっかけ『バイバイまたね』

銀色夏生さんには、2度の離婚経験があり、お子さんがお二人いらっしゃいます。上の方が娘さんで『カーカちゃん』下の方は男性で『さくくん』と言う方のようです。

銀色夏生さんの前夫との間の娘さんと、次の旦那さんとの息子さんだと言う事です。

銀色夏生さんの『つれづれノートシリーズ』には、そんなお二人のエピソードも載っているのですが。

実は吉高由里子さんと銀色夏生さんの娘さんが同じ小学校に通っていました。吉高由里子さんの少し下の学年だったそうです。

吉高由里子さんが上級生としてお世話をしたことがあり、その姿を見た銀色夏生さんから『作品用に写真を撮らせてほしい』という申し出があり、駒沢公園で撮影を行いました。

その時の謝礼が、結構な額だったので、お父さんは内心「これはおいしい」と思ったと冗談めかして週刊誌のインタビューに答えておりました。

吉高由里子さんが小学生の頃の写真集が、銀色夏生さんの撮りおろしの作品『バイバイまたね』と言う詩集です。

吉高由里子さんが、中学生になり、原宿によく出かけるようになると、芸能プロダクションの方が放っておかないようでした。

しかし、お父さんが高校生になるまではと、芸能界入りに対して首を縦に振りませんでした。

吉高由里子さんが高校に入ると、「もういいでしょ?」と父に見せたスカウトの人からもらった名刺は、トランプくらいの量になっていたと言います。

2006年、映画「紀子の食卓」でデビューを果たすと、水を得た魚のように勢いのまま、映画『蛇にピアス』では、衝撃的なシーンが多いながら、体当たりのシーンも多く、展開も楽しめる映画でした。

天真爛漫で物怖じせず、二日酔いをしたことが無いと言う酒豪の吉高由里子さん。偉ぶらず、天狗にならないように、スタッフさんや人を大事にするようにと言うお父さんの教訓を守っているようです。

どの世界でも、立場を関係なく人を大事にする人は、ご自分も、大事に扱われるのだと思います。銀色夏生さん、吉高由里子さん、お二人のお名前は、今後もよく聞くことになる事でしょう。

以上、銀色夏生さん詩集と吉高由里子さんのご縁と楽曲のお話でした。

 

 

 

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