永井龍雲、名曲『道標ない旅』本名や家族は?現在は何をしているの?

フォークソング

永井龍雲さんは、恐らくアラカンのおじさん方は、青春時代に名前は見た事あるって人が多いのではないでしょうか?

1979年CMソングとして起用された『道標ない旅‐しるべないたび‐』と言うヒット曲があったのです。

その永井龍雲さんの曲のCMは長年やっていたのかと言うと、そういう訳でもなかったようですが、その商品はグリコのアーモンドチョコレート。ロングセラー商品ですね。

少し、不運でもあったこのCMソング、今でも多くの人が覚えていると思います。そんな経緯をお伝えします。

今回は永井龍雲と言う人物と、そのCMの流れていた時代背景や、現在の活動などにスポットを当ててみたいと思います。




永井龍雲、名曲。永井龍雲は本名?万人に恵みを与える人に!と父

永井 龍雲(ながい りゅううん)かっこいい名前なので芸名かと思いきや本名です。永井龍雲さんの父・丸吉さんは、

龍が天高く舞い上がり雲に乗ると雨が降り
雨が降るとお百姓さんが助かる

多くの人に恵みを与える事が出来るような人物になって欲しいと言うそんな素敵なお名前の由来だそうです。

1957年11月4日生まれなので、(2025年5月現在)67歳ですね。永井龍雲さんは、福岡県京都郡豊津町(現みやこ町)のご出身。

中学時代にフォーク愛好会を作り音楽活動を開始しますが、傍らに、野球少年でポジションは投手として活動していたそうです。

福岡県立豊津高等学校(現・育徳館高等学校)を卒業しますが、大学4校を受けるも、全て不合格となります。

受けた大学名は解りませんが、ご本人の名誉のために、当時は大学受験の難しい時代、大学を受ける方も多くは無かったのですが、かなり狭き門であったこともうかがえます。

大学受験の失敗から、本格的に歌手を目指し、1978年3月25日、20歳の時に『想い』と言う曲でデビューを果たします。


永井龍雲、名曲。家族は?亡くなった母から買ってもらったギターが!

そんな永井龍雲さんの育ったご家族は、永井龍雲さんの父は丸吉さんというお名前です。

職業は、畜産農家から家畜を買って精肉会社に売ると言う仲買のようなお仕事で、永井龍雲さんの子供の頃は裕福だったと言います。

その後、そのお仕事はやめてしまったようですが、永井龍雲さんの父・丸吉さんは、2022年8月13日に98歳でお亡くなりになりました。

亡くなる一年前から、自宅療養から入院する事になりましたが、認知障害などは無く、しっかりなさっていたのだそうです。

永井龍雲さんの母は、トミエさんといい、奄美大島のご出身だそうです。永井龍雲さんが高校2年生の時にお亡くなりになったのだとか。まだお若かったのではと思います。

永井龍雲さんは、中学時代にフォーク愛好会を作り音楽活動を開始し始めます。

永井龍雲さんの母トミエさんは、亡くなる少し前の永井龍雲さんが高校1年生の頃、当時5万円したと言うギターを永井龍雲さんの為に購入してくれます。

令和の現在なら10万円くらいのギターではないかと思います。時期としては、オイルショックと言われた時期なので、色々な物価が上昇していた時期ですが、給料も上がっていた時代ですね。

永井龍雲さんが母の事を思い作った曲が『ルリカケス』と言う曲です。

ご兄弟は、お兄さん1人とお姉さんが2人いらっしゃったようです。4人兄妹だったんですね。すぐ上のお姉さんは、音楽が大好きで、永井龍雲さんのよき理解者だったようです。

しかし、2017年8月21日に、63歳で急逝されます。仲の良かった姉が亡くなったことで、姉に捧げる為に、『静かな心』と言うアルバムを出しています。


永井龍雲、名曲『道標ない旅』は、自身も青春時代のヒット曲となる!

さて、永井龍雲さんといえば、冒頭にも書いた『道標ない旅‐しるべないたび‐』は、グリコアーモンドチョコレートのCMで全国に知られることになったのではないでしょうか?

この曲は1979年8月21日に発売された永井龍雲さんの5枚目のシングルでした。永井龍雲さんが21歳の頃でしょうか?

音楽業界では1970年代が吉田拓郎と井上陽水なら、1980年代は、松山千春と永井龍雲の時代だ!と言われるくらいの才能を感じていました。

この曲は、俳優の三浦友和さんが、青い海と青空の中、仲間とヨットに乗り、一粒一粒個包装されたアーモンドチョコレートをみんなでシェアする映像が流れ、バックに永井龍雲さんの『道標ない旅』が流れます。

♬~閉ざされた部屋の窓を
開けてごらんよ

      いつまでもそんな風に
塞いでいないで

青春を旅する若者よ
君が歩けばそこに必ず
道はできる~♪

 こんな歌詞が、永井龍雲さんの伸びやかな声と共にCMの青い空に溶け込んでゆきます。CMの中では、曲の冒頭とサビの部分を編集したもののようです。

歌詞の内容から、もう少し年上の方が、若者へのメッセージとして書いた詞なのか?と思っていたのですが、永井龍雲さんも21歳くらいの時の楽曲だったんですね。

永井龍雲さんの道標ない旅は、同じ時期に放映されていたTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の挿入歌としても使用されました。

このドラマは、武田鉄矢さんが主演となり、1979年から長年に渡り話題になったドラマなのでアラカンのみなさんならずとも、ご存じの方は多いのではないでしょうか?


永井龍雲、名曲。あの伝説のアイドルの発表がCMの差し替えに!!

グリコアーモンドチョコレートの歴代のCM曲は、松崎しげるさんの「愛のメモリー」や、松山千春の「季節の中で」など、多くのヒット曲を送り出してきました。

丁度、松山千春さんの『季節の中で』のあとのCMソングとして永井龍雲さんの『道標ない旅』が起用されます。

当然、発売当時から注目され、『道標ない旅』もヒットチャートを駆け上り、間もなく20位圏内に入りそうだと言う矢先の10月になると、山口百恵さんが、コンサートで三浦友和さんと交際してることをファンに伝えます。

一気にそのニュースは、脚光を浴びます。マスコミもこぞって、その事を報道し、グリコも少し前にCMで共演していた三浦友和さんと山口百恵さんの出演していたCMに差し替えてしまします。

当初は2クールで放映される予定の永井竜んさんのCMソングでしたが、僅か1クールで、終了してしまうのでした。

現在なら、契約等でそんなに簡単に行かないのかもしれませんが、昭和という時代背景も感じる出来事です。

ご家族は、奥さんと離婚されていて、娘さんが二人おられ、お二人ともアメリカに留学されていたと言う事です。

現在は1999年4月から沖縄県に移住しています。

永井龍雲さんの母の故郷は鹿児島県大島郡瀬戸内町という所で16歳の時に島を出て、帰る事が無かったと言います。

永井龍雲さんが高校生の頃に亡くなってしまった母への思いもあるのでしょうか?奄美大島で数回コンサートを開催しております。

 孤独感であったり、悲しみというか、その辺がデビューした時から今に至るまで自分のテーマです。そういう状況にいる人たちの気持ちを救ってあげたいっていうか、また自分自身もそれを歌うことによって救われたいっていうのがずっとありました。サウンド的にはいろいろなことを試していますけど、基本的に歌作りの言葉を探すときの姿勢は変わっていないと思いますね。

出典:2023-03-12 上越タウンジャーナル 永井龍雲インタビュー

そう語る永井龍雲さんですが、moonには、それだけじゃない前向きな心を感じさせます。

現在も、色々な方に思いを寄せ、晩年、目が悪くなり一人で歩けなくなった母が語っていた瞽女(ごぜ)【盲目の三味線を弾き唄う女性の旅芸人】の事を曲にしています。

永井龍雲さんは、デビュー曲の『想い』から名曲『道標ない旅』等も、青春時代の不安定で脆弱な若者、かつての日本にいた不幸な境遇の中で懸命に生きた瞽女さん、亡くなっていった身内の方、

孤独や寂しさ、悲しみに寄り添うように歌う永井龍雲さんは、現在もどこかの街で誰かのために歌っているのでした。

いかがだったでしょうか?僅か1クールで終わってしまったCMソングですが、moonとしては、いつでも鮮明によみがえってきて、心のどこかで”君の声を見失うなよ”と呼び掛けてくれる。そんな永井龍雲さんの名曲にスポットを当ててみました。

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