渡辺真知子現在、結婚、年齢、年収は?中島みゆきの夜会での開眼!

ポピュラー

渡辺真知子さんは、1970年代後半から、現在まで長く、独自の路線の音楽を続けられている方です。

あの時代を経験している方であれば、飛ぶ鳥を落とす勢いの彼女の偉業もご存じだと思います。

出身は神奈川県横須賀市出身、洗足学園短期大学音楽科を卒業しているとの事。洗練された伸びやかな歌声と声量は現在も健在です。

今回は、そんな渡辺真知子さんをフィーチャリングしてみます。



渡辺真知子 現在の活動?年齢?結婚は?自宅は?若い頃から年収は多かった・・・・?

1956年〈昭和31年〉10月23日生まれの68歳です。

渡辺真知子さんの夫はいるのでしょうか?実は渡辺真知子さんは一度も結婚されておりません。デビューから第一線で活動されてきた事を思うとお仕事にエネルギーが向かっていったのかもしれません。

渡辺真知子さんのご自宅は、代々木公園のドッグランに通っておられるというお話から、その周辺に住んでおられるのではないかと思われます。

渡辺真知子さんは、幼少期、ご家庭は仲の良いご家族で、6学年離れた音楽好きのお兄さんがいらっしゃるそうです。子供の頃お兄さんがギターでPPMの『パフ』を弾いてくれて、真知子さんが歌ったという思い出もあるという事です。

渡辺真知子さんは、1977年シンガーソングライターとして、同年の11月1日に『迷い道』でデビューしています。

実はmoonは、この曲と中島みゆきさんの『わかれうた』が同じ時期に流れていた事もあり、【『わかれうた』が9月10日、『迷い道』が11月1日】同じ世代と思っていたのだが、渡辺真知子さんは4歳ほど年下であった。

渡辺真知子さんは、当時フォークソング、ニューミュージックのシンガーソングライターと言われた人たちが、テレビを拒んでいた中で、明るい笑顔と、天真爛漫な性格でどんどんテレビに出て行った最初の方のような気がします。

アイドル的な扱いをされる面もあったかもしれない渡辺真知子さんですが、伸びやかな高音域の声は天性のものと、トレーニングのたまものだったのでしょう。

又、渡辺真知子さんのデビュー時のバックバンドのバンドマスターは羽田健太郎氏であった事からも、音への取り組みは周囲も深く理解されていたと思われます。

いくら天真爛漫な渡辺真知子さんでも、さすがに、ヒットメーカーである渡辺真知子さんが、ご自身の年収を明かすことは無く、広く知られることは無いと思います。

しかし、渡辺真知子さんはシンガーソングライターとして、作詞作曲を手掛けており、カラオケや、新曲のリリース、地上波、BS等のテレビ出演などに加えて、全国でディナーショーも個人事務所【カモメ ミュージック】を通して行われていらっしゃるようです。

渡辺真知子さんは25歳の時には、高級マンションをご購入されている事から考えても、日々の糧に困ることは無い余裕のある暮らしなのではないでしょうか?


渡辺真知子の現在の礎となった第20回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞

渡辺真知子さんは『迷い道』の大ヒットによって、第29回NHK紅白歌合戦に初出場を果たすと、翌年の1978年4月21日、セカンドシングル『かもめが翔んだ日』を発表するとスマッシュヒットとなります。

カモメは渡辺真知子さんご自身の事務所も『カモメミュージック』と言う事でカモメがシンボルとなっているようです。

その大ヒットによって、第20回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞する。サードシングルの『ブルー』を発表すると、これも又ヒット曲となります。

当時、女性シンガーソングライターが多く出ているが、安定してヒット曲が出せる方は少なかったように思います。

翌年の1979年1月21日に渡辺真知子さんは、『たとえば…たとえば』と言う曲を、5月21日に『別れて そして』をリリースしています。

2回目出場となる第30回NHK紅白歌合戦は『たとえば…たとえば』を熱唱しております。

この年、イタリアのサンレモ音楽祭に出演。デビュー直後から立て続けにシングルがヒットし、僅か2年少しの間に世界的な音楽祭まで出場を果たしている実力を身に着けているのはやはり才能なのでしょう。

更に渡辺真知子さんは1980年1月21日リリースのシングル『唇よ、熱く君を語れ』は、カネボウ化粧品のブランド「LADY 80」の口紅のCM曲として大ヒットとなります。

又、女性の時代と呼ばれた1980年代の『翔んでる女』を後押しする形となりました。


渡辺真知子の現在、中島みゆきの『夜会』に客演で新たな世界。

ここ数年では、2020年東京オリンピック開催に合わせ「アスリートをはじめ多くの人々に元気を与えたい」として、

既発曲の中で「希望」を感じさせる曲を集めたセルフカバーアルバムとして企画されたが、オリンピック自体の延期などで紆余曲折ありました。

しかしそのような状況の中『明日へ』がリリースされました。当時流行した歌声が、新たな音源を持って生まれ変わり、コロナ禍の人々に歌声で元気を与える形となりました。

2019年には中島みゆきさんがライフワークとしている演劇性の高い音楽舞台『中島みゆき 夜会 Vol.20~リトル・トーキョー~』に渡辺真知子さんが出演(客演)しております。

還暦を過ぎてから、渡辺真知子さん自身が全く見たことのない別な世界を垣間見たと言うくらいのインパクトだったとか。

始め、歌を2曲ほど歌って欲しいと言うようなオファーだったようですが、重要な役どころで、多くのセリフがあったと言うことで、渡辺真知子さん自身大きな手ごたえのあったもののようでした。

更に、電気化学でノーベル賞を受賞した吉野彰先生が、『影響を受けた人物』として渡辺真知子さんの名前を上げていることから、渡辺真知子さんは幅広い層の方たちに愛されているのです。


渡辺真知子、現在も明るく行動派。多くの芸能界の友人がいます。

渡辺真知子さんのデビューの年に近しい女性ミュージシャンに友人も多く『飛んでイスタンブール』が大ヒットした2年先輩の庄野真代さんとも親友です。

1978年には渡辺と2人揃って『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場しています。また1978年にデビューして『東京ららばい』がヒットした中原理恵さんとも親交があったようです。

何よりも、特筆すべきは、山口百恵さんとは仲が良く、彼女の引退後の結婚式にも出席しており、渡辺真知子さんは現役時代に、年齢は山口百恵さんは2つ下で、芸能界では5年先輩だという山口百恵さんとは『マッチ』『モモちゃん』と呼び合う仲だそうです。

又、こんなエピソードも残っています。山口百恵さんが「マッチ、これあげる。」と言って、なんでもない日に黒帯に金のあしらいがされたサンダルをくれました。

「特別な日でもなんでもない、普通の一日に突然くれたんです。だから鮮明に覚えています。本当にうれしかったなぁ。いまも大切に持っています。」

と過去に週刊誌に語っています。

恐らく10代の山口百恵ちゃんが二つ年上のお姉さんである渡辺真知子さんの為に選んだのだと思うと、微笑ましい気持ちになります。

そんな渡辺真知子さん、趣味はスキューバーダイビングだそうで、又、アウトドア派のようです。チワワが3匹いると時折、ご自身のブログにも登場します。

見た目と裏腹に『ピット』『キング』『コング』という強そうな名前の3匹のチワワさんと暮らしておられるようです。

まだまだ、未来に続きそうな渡辺真知子さんの活動です。

以上、渡辺真知子さんと言えば、やはり、現在・・・過去・・未来~をお送りいたしました。

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