TUBE前田亘輝の現在。飯島直子との離婚!解散の危機の時期も!

ポピュラー

オジサンたちの若い頃と言えば、夏は、サザンオールスターズとチューブ、冬は槇原敬之さんや、広瀬香美さんと言うイメージがあります。

今の季節、令和の今でも、チューブの曲は時々メディアから流れてきます。しかし、人気絶頂期のメンバーの交通死亡事故で、活動自粛など思い悩む時期もあったのだと思います。

ボーカルでフロントマンの前田亘輝さん、あの女優さんと結婚するも離婚されてしまいましたが、現在の活動は?再婚された?そんな訳で、チューブのメンバーの交通事故と前田亘輝さんにフューチャーしてみます。




TUBE前田亘輝 現在!年齢や身長、高校の時から出入りの音楽事務所

前田 亘輝(まえだ のぶてる)さんは、1965年〈昭和40年〉4月23日生まれです。今年(2025年7月現在)還暦の60歳。神奈川県厚木市のご出身です。

身長は167㎝だそうです。

前田亘輝さんは、高校生の頃から、音楽事務所に出入りします。この事務所は、その当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのビーイング(現・株式会社B ZONE)と言う事務所です。

長戸大幸氏率いるこちらの音楽事務所は、DEENやB’zと同じ事務所で、その頃の人気のバンドや歌手の多くの方が、所属していました。

当時、ラウドネスや、浜田麻里さんのコンサート警備やローディとして、活動されていたそうです。

そんな中、シルクロード音楽祭と言うイベントを長戸大幸さんのビーイングが企画し、それに参加する事になりました。

シルクロード音楽祭において、前田亘輝さんは、ストヴォーカル賞を獲得しました。そして、のちにチューブのメンバーとなる春畑道哉さんがベストギタリスト賞を取得しました。

その音楽祭に出た事をきっかけに、前田亘輝さんは、春畑道哉(はるはた みちや)さん。

以前から前田亘輝さんの友人であった角野秀行(かくの ひでゆき)さん。

角野秀行さんの高校の後輩である松本玲二(まつもと りょうじ)さんの4人で、プロデビューを前提にアマチュアバンド「パイプライン」を結成します。


TUBE前田亘輝 現在!メンバーの詳細や、生い立ちについて!

それでは、改めて、TUBE(チューブ)のメンバーをご紹介いたします。

★ボーカルで、フロントマン的な立ち位置の、前田亘輝さん。血液型はA型です。

趣味はゴルフですが、音楽テレビ番組『ミュージックステーション』の中で、司会のタモリさんとの会話で「ゴルフをやっているとギターが弾けなくなるんですよ、だからギターをやめたんです」

と発言して、タモリさんに「ミュージシャンなら逆だろう!」と突っ込まれていました。前田亘輝さんは、どうも好きなものに対して、極端なところがある方の様です。(笑)

高校も神奈川県立座間高等学校に在学中からビーイングの事務所に通いだし、3年生の時、学校に休学届を提出しております。

本格的に音楽関係の仕事に従事するためだったのですが、その後、仕事が順調に進み、多忙となり、高校を中退する事になります。

★春畑道哉さんは、1966年11月5日生まれで、東京都町田市のご出身。 ギター・キーボード・作曲・コーラスなどを担当されています。血液型はA型です。

幼い時からピアノを習っていて、中学生の頃にバンドに所属しますが、キーボードよりもギターの方が主役を張る事が出来るのではと、ギターに転向し、メキメキと腕を上げて行きます。

★角野秀行さん、1965年7月6日生まれなので、60歳(2025年7月現在)神奈川県座間市出身。血液型はA型 で、 ベース・コーラスを担当しています。

小学生の頃から兄の影響で洋楽を聴くようになり、中学生よりギターを始めます。ディープ・パープルなどをよく聴いていたと言います。

★松本玲二さんは、1966年5月30日生まれで、他のメンバーより1つ年下の59歳です。(2025年7月現在) 神奈川県座間市出身で、血液型はAB型。 ドラムス・パーカッション・コーラスを担当しています。

レーシングドライバーとしても活躍されていて、国内トッププロドライバーが参加するスーパー耐久シリーズで、2005年シリーズ第8戦、2006年シリーズ第7戦、2007年シリーズ第7戦と3勝しています。


TUBE前田亘輝 現在。若い頃バンド名は『パイプ・ライン』だった!

チューブは、1985年7月17日にデビュー曲『ベストセラー・サマー』で、ビーイングからデビューします。

ある日「夜のヒットスタジオDELUXE」(フジテレビ系)からへ当初予定していた海外バンドの出演がなくなったため、急遽代役として「夜のヒットスタジオ」に出演する事になりました。

 その時、湘南のビーチでサーフィンをしていたTUBEのメンバーが、ビーチのアナウンスで呼び出され、本番10分前に当時は河田町にあったフジテレビに駆けつけました。

 準備の間もなく、司会の井上順さんが『それではご紹介いたしましょう、ウェーブの皆さんです!』とバンド名を間違えると言うハプニングもあったようです。

このチューブと言う名前は、前述のように、始めからこの名前ではなく、長戸大幸さんが、サーファーであった4人の若者に付けた『パイプライン』と言うグループ名で活動を始めていました。

ある時、長戸大幸さんが、知人に「『パイプライン』って名前かっこいいだろう?」と聞いたら、「東南アジアみたいでかっこいいですね。」と答えたと言います。

この男性は、東南アジアのガスや石油のインフラであるパイプラインをイメージしたようです。

「サーフィンの用語だが。」と言うと、「今は、パイプラインの事はチューブって言うんですよ。」と聞いて、『TUBE』でデビューを予定していたようです。

しかし、東芝からクレームがついたのだそうです。東芝は真空管(ELECTRON TUBE)や、ブラウン管(Cathode-Ray Tube)など名称として、頻繁に使っていたようです。(もしかしたら商標登録などが絡んでいたのかもしれません。)

そんな訳で『THE』を付けて、『THE TUBE』としてデビューします。

1986年には、占い師より、『THE』を取ると売れるようになると言われ、本格的に『TUBE』として活動を始めます。

既に知名度も高くなり始めましたが、改名後に出した『 シーズン・イン・ザ・サン』は、チューブの代表曲と言っても過言ではない大ヒット曲になりました。

その後も、『BECAUSE I LOVE YOU』や『SUMMER DREAM』等のヒット曲を連発し、チューブと言う名前は、日本中に行き渡ったのでした。

しかし・・・。


TUBE前田亘輝 現在。メンバーの交通事故と女優の嫁との結婚生活?

そんな、人気絶頂期のチューブでしたが、1988年5月23日、角野秀行さんが交通事故を起こしました。

その時の、テレビのニュースの映像は、印象強かったのですが、正確に調べると、関越道の下り、埼玉県の美里町付近です。
(情報ソース昭和63年6月3日付 雑誌・FOCUS)

車種は濃紺のプレリュードですが、あまりの大破で車種が解らないほどです。

制限速度80㎞の土砂降りの高速道路、140kmのスピードで、ハイドロプレーニング現象を起こした車体が操縦不能になり、スピンし道路脇の防御用のワイヤーロープの支柱に激突。

大破したスポーツ・カーの助手席に同乗していたのは、角野秀行さんの恋人でした。

彼女は当時、新潟の歯科大学在学中の21歳の女性で、卒業後は結婚も考えていたという角野秀行さんにとっては最愛の女性でした。

角野秀行さんが22歳の時の事です。

車は助手席側の損傷が激しく、彼女はシートを倒して寛いでいて、シートベルトをしていたのですが、効きませんでした。

即死の状態だったようですが、重傷を負った角野秀行さんは、駆け付けた救急隊員に「彼女を助けてください。」と叫び続けていたと言います。

彼女とは、チューブの新潟の公演の際、角野秀行さんが訪れた新潟のディスコで、知り合い、幾度となくデートをしていたそうです。

角野秀行さんは、立ち直れない程の落ち込みで、責任を重く感じて、チューブへ脱退を申し出て、このまま芸能界から姿を消そうと考えていました。

そんな角野秀行さんを思いとどまらせたのは、前田亘輝さんの「4人じゃなければチューブじゃない。解散しよう!」と言う言葉と、

亡くなってしまった恋人の遺族の方の言葉でした。事故で亡くなった彼女の遺族から「娘のためにも音楽を続けて欲しい」「本当に好きな人の隣で死ねたのだから…」と言う言葉です。

遺族の方からそんな風に言ってもらえるのは、彼女が本当に角野秀行さんを愛していた事が両親に通じていたのでしょう。又、角野秀行さんの誠実な人柄も大きいと思います。

チューブは数か月間活動を自粛し、角野秀行さんは凡そ1年の謹慎のあと、チューブに復帰します。

1990年代に入ると長戸大幸さんの提案で曲調を変えてきた『あー夏休み』は、チューブのメンバーは違和感を感じたと言いますが、裏腹に20万枚越えの大ヒットを記録します。

更に『さよならイエスタディ』『夏を抱きしめて』などのヒットで、日本の夏には欠かせないバンドとなっていますね。

1997年には前田亘輝さんが、3歳年下の女優の飯島直子さんと結婚します。大ヒットメーカーのボーカルと、ドラマなどで活躍を続ける女優さんの結婚でしたから、マスコミは大きく報道しました。

1993年2月29日に催された飯島直子さんの誕生パーティに、前田亘輝さんが参加して、自然に惹かれ合ったようです。

そこから、うまくゆかなくなった時期もあったようですが、1997年9月29日 ハワイ・マウイ島で結婚式が執り行われ、中目黒の豪邸で、順調な結婚生活を送っていたように見えました。

しかし、2001年に破局をむかえ、離婚となってしまいます。前田亘輝さんの夜遊び、女性関係が原因なんて噂もありますが、ご夫婦の結婚観の違いが大きかったのだと思います。

当初は飯島直子さんは、前田亘輝さんが一方的に悪いと思っていたようですが、母と会話などを通して自分の非についても考えるようになったそうです。

「私が幼すぎた。年齢ではなく、自分が追いついてなかったんだと思う。」と、メディアに語る場面もありました。そんなお二人の間にお子さんはいませんでした。

その後、飯島直子さんについては、再婚などの報道はありますが、前田亘輝さんについては、独身を通しておられるようです。

 先日、テレビのインタビューで前田亘輝さんが、夏だけ活動しているように見えるので、『やぶ蚊』と呼ばれてますと、自虐的に笑いを取っておりました。

仕事面では、2025年に40周年の夏と言う事で、さらにパワーアップした前田亘輝さんの率いるチューブの皆さんの姿が、多くの場面で見られますね。

いかがだったでしょうか?今回はチューブの角野秀行さんの辛い交通事故や前田亘輝さんの結婚や現在にスポットを当ててみました。

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