渡辺美里さんは、筆者moonと1歳違いの同世代。若い頃からヒット曲を連発して、西武スタジアムの女性アーティストとして初、そして20年連続ライブという偉業を達成しています。
渡辺美里さんには長く愛される楽曲も大ヒットとなった「My Revolution」をはじめ「BELIEVE」や「夏が来た!」などなど沢山あります。
そんな渡辺美里さんは、現在、ご結婚されているのでしょうか?ちょっと気になったので、若い頃の楽曲などと共に調べてみました。
渡辺美里の若い頃、京都生まれ?中学時代は登校拒否だった?
渡辺 美里さん(わたなべ みさと:本名同じ)は、出生地は京都府相楽郡精華町で1966年7月12日生まれです。血液型はO型です。
本名同じ。東京都育ち。身長は158cmです。渡辺美里さんは東京都世田谷区立池尻中学校という、現在は世田谷区立三宿中学校となっている中学校を卒業されています。
渡辺美里さんのお父さんは、自衛官で小学生の頃に京都のご実家から東京の世田谷に引っ越されているようです。
お父さんは渡辺美里さんを溺愛していたと言われています。ご家族は父と母と弟の四人家族だったようです。
渡辺美里さんと同じ小学校には後にピアニストになる塩谷哲さんが同級生としていたそうです。
塩谷さんは佐藤竹善さんと『salt&sugar』と言うユニットでも話題になってました。
渡辺美里さんは、10歳の頃に13歳で歌手としてデビューすると決めていたといいます。
中学時代は、学校内の『イジメ』が問題になり始めた頃でした。渡辺美里さんは、イジメられている子をかばった事で、クラスで浮いた状態になっていたといいます。
正義感が強い渡辺美里さんなので、見て見ぬ振りが出来なかったのでしょう。
渡辺美里さんは、中学2年生から3年生の時期は学校を休みがちで、本人曰く『登校拒否状態』だったと語っています。
登校しても、誰とも口を利くこともなく時間をやり過ごすような中学時代だったそうです。
渡辺美里若い頃、ハイレベル!ミス・セブンティーンコンテスト
高校は、東京都立松原高等学校に入学します。高校時代はラグビー部のマネージャーをやっていました。
高校の先輩にEPOさんがいらして、キーボーディストで平松愛理さんの元旦那さんの清水信之さんや、ギターリストで松たか子さんの旦那さんの佐橋佳幸さんがいらっしゃいます。
そして、渡辺美里さんのデビュー期から清水さん、佐橋さんは渡辺美里さんのブレーンとして、演奏者として繋がっていらっしゃいます。
そして、EPOさんもライブなどでご一緒されているようで、渡辺美里さんのオフィシャルサイトでも素敵なつながりとして紹介されています。
確かに偶然、数年前に同じ高校を卒業された人同士がお仕事のパートナーとして、繋がるのは大切なご縁ですね。
高校2年生の頃に、マスコミに紹介されるきっかけになればと、レコード会社のSONYが主催するオーディション1984年の『第三回ミス・セブインティーンコンテスト』(応募総数全国18万325人)に応募します。
その時のミス・セブンティーンコンテストではグランプリは松本典子(佐藤美和子)さん、網浜直子さんというその後アイドル歌手としてレコードデビューする二人がいました。
その他にも工藤静香さん、国生さゆりさん、木村亜希さん(清原和博さんの元妻)、藤原理恵さん、村田恵里さんなど。
また特別賞を工藤静香さんが受賞するというかなりハイレベルな賞レースだったのです。他の人が可愛い曲を選ぶ中、高校の先輩のEPOさんの「土曜の夜はパラダイス」でした。
この曲は、かなりの歌唱力が必要な曲ですね。
コンテストの最中に最優秀歌唱賞と言うのが急遽設けられたといいます。その時、渡辺美里さんは「私だ!」と思ったそうです。
そして、思った通り名前を呼ばれたのは、渡辺美里さんともう一人の村田絵里さんが受賞しました。
渡辺美里、若い頃!わずか459日目に女性単独で、西武球場に!
そのミス・セブンティーンコンテストをきっかけに、一年後の1985年にデビューが決まります。13歳からは少し遅くなりましたが18歳にしっかりデビューした渡辺美里さん。
5月2日に『I’m Free』という曲がメジャーデビューシングルになります。この曲はTBS系ドラマ『スーパーポリス』の主題歌として採用されます。
同じ年の6月15日には国立競技場(東京都)でのイベント「All Together Now」に事務所の先輩の白井貴子さんのコーラスとして参加してます。同じ年の10月2日、デビューアルバム『eyes』をリリースします。
次の年の1986年になると4枚目のシングル「My Revolution」(TBS系ドラマ『セーラー服通り』主題歌)をリリースします。
この曲は当時、TMネットワークの小室哲哉さんが作曲、3月24日付けのオリコンシングルチャート第一位、70万枚を売り上げる大ヒット曲となりました。
そして、デビューからわずか459日目に、単独の女性アーティストとして初めて、西武球場のステージに立つことになった渡辺美里さんでした。
やがて西武球場が西武ドームに姿を変えても、20年連続でスタジアムライブを行い、のべ75万人のファンを魅了してきました。
渡辺美里の若い頃からの噂の人は大江千里?小室哲哉?
そんな渡辺美里さんなので、多くのミュージシャンとのコラボレーションも行われ、プロデュースや作詞作曲などなど、関わりの深いミュージシャンの方は沢山いらっしゃいます。
小室哲哉さん(TMネットワーク)、岡村靖幸さん、木根尚登さん(TMネットワーク)、伊秩弘将さん(スピードのプロデューサー)、石井妥師さん(ベーシスト・作曲家)、
大江千里さん、後藤次利さん、小林武史さんや、先述の渡辺美里さんと同じ高校の先輩である清水信之さんや佐橋佳幸さん、EPOさんがいらっしゃいます。
特に最初の大ブレイクに繋がった小室哲哉さんや、大江千里さんとは、恋人では?なんて噂になります。
大江千里さんとは、1989年に渡辺美里さんが作詞、大江千里さんが作曲した『すき』と言う曲があります。
他にも「すきのその先へ」、「maybe tomorrow」、 「本降りになったら」等の曲も大江千里さんの楽曲提供のモノでもあります。ちょっと思わせぶりなタイトルでもありますね。
渡辺美里さんより6歳年上の大江千里さんに、渡辺美里さんが思いを寄せていたという噂は、あったようです
ご結婚まで行くのではないかと言う音楽関係者もいらしたくらい、親しくされていたそうです。
しかし、大江千里さんは、自身が47歳になる2008年1月に日本でのポップスの世界に区切りをつけ、単身ニューヨークに渡米してしまいます。
渡米後に、20年越しでお付き合いのあったという一般女性の方とご結婚されているらっしゃるので、渡辺美里さんは、親しい仕事仲間と言う事だったのかもしれません。
今、大江千里さんはジャズピアニストとして全米各地を中心に、ヨーロッパや南米、日本でもライブ活動を展開しています。
現在、渡辺美里さんは独身です。結婚歴もないようです。そして、春からの『渡辺美里 40周年 BITTER☆SWEET ULTRA POP TOUR 2025』へ向けて、意力的に活動中です。
いかがだったでしょうか?渡辺美里さんの若い頃や、ご結婚についてスポットを当ててみました。
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