フィッシュマンズ(Fishmans)は、1990年代によく名前の聞くバンドでした。私のイメージでは、ふわっと登場して、いつの間にか聞かなくなったな?と思ったバンドでした。
ふわっとと言うのは、楽曲の浮遊感とボーカル佐藤伸治さんの独特の歌声でした。
のちに佐藤伸治さんが亡くなったとお聞きました。
何度かこのブログでも取り上げようと思ったのですが、ファンの方たちの想いが深く、私程度のリスナーではおこがましいと思ったのですが、今回、客観的に調べてみたいと思います。
フィッシュマンズ怖い?メンバーやサポートメンバーは?
フィッシュマンズは、1987年に結成されたロックバンドです。
初期はボーカル、ギターの小嶋謙介さんを中心として、明治学院大学の音楽サークル内で結成されました。
なんと言ってもこのバンドのキーマンは、33歳で逝去した佐藤伸治さん(さとう しんじ・本名)、1966年2月16日生まれ、東京は世田谷区の出身でした。
佐藤伸治さんは、フィッシュマンズの全ての作詞作曲を担っておりました。
フィッシュマンズのメンバーは、佐藤伸治 さん(ボーカル、ギター、コルネット(トランペットに似た金管楽器)。愛称:サトちゃん)と茂木欣一 さん(もてぎ きんいち、1967年12月15日生まれ、ドラムス。愛称:欣ちゃん)。
ん?茂木欣一さああん?もしかしてあのバンドの??と思ったらあのバンドの方でした。
旧メンバーとして、小嶋謙介 さん(1966年1月28日生まれ ギター、1994年まで在籍)柏原譲さん (1968年12月20日ベース、1998年まで在籍)、HAKASE-SUN(以下ハカセさん) (1967年生まれ、キーボード、1995年まで在籍)、
サポートメンバーとしては.木暮晋也さん(ギター担当。ヒックスヴィルのメンバー)、ダーツ関口(関口道生)さん、(ギター担当。元SUPER BAD、TOMATOSのメンバー。)、小宮山聖さん(ギター担当。ザ・カスタネッツのメンバー。)久松さん(ベース)
まだまだ、サポートのメンバーの方がいらっしゃるようですが、シュガー吉永さん(ギター担当。Buffalo Daughterのメンバー)やzAkさん(サウンドミックス担当)。
2007年9月27日にお病気で亡くなった女性ヴァイオ二リストのHONZIさん(キーボード、ヴァイオリン担当])等もサポートとして参加しております。
フィッシュマンズ怖い?怖いと思うほどフワフワしたエコーが!
高校時代からバンドに参加していて、大学のサークル活動的に色々なバンドに参加していた佐藤伸治さんですが、
1987年に、佐藤伸治さんと小嶋謙介さん、茂木欣一さんの3名でフィッシュマンズが結成されます。
当時、全員が明治学院大学の学生であり、佐藤伸治さんと茂木欣一さんは「ソングライツ」
小嶋謙介さんは「ライトミュージックソサエティ(L.M.S)」という軽音楽サークルに所属していました。
その後、1988年に柏原譲さん(ベース)が、1990年にハカセさん(キーボード)が加入し、5人体制となります。
実際にデビューしたのは、1991年、シングル『ひこうき』でヴァージン・ジャパンからメジャーデビューしており、凡そ4年間の活動で、5枚のアルバムをリリースしています。
フィッシュマンズの音楽は、ロック、ダブ、ドリームポップ、ジャズ、エレクトロニカなど、さまざまなジャンルの要素を取り入れています。
しかし、当初のレコードセールスは、なかなか伸びる事が無く、厳しい下積み時代だったようです。
このバンドの凄さを語っているファンの方はたくさんいらして、多くのブログもありますが、なんと言っても佐藤伸治さんの楽曲のフワフワ感と独特の声からファンになった方は多いのではないでしょうか?
リバーブ(エコー)が続くような楽曲で、おしゃれになりきらない、尖り過ぎないギリギリのところにハマる方が多いのかと思います。
Ceroと言うバンドの高城晶平さんや、ミュージシャンのカネコアヤノさんもフィッシュマンズの影響を受けていると言います。
フィッシュマンズ怖い?今も、衰える事のない海外での人気!
フィッシュマンズはプライベートスタジオ「ワイキキ・ビーチ〜ハワイ・スタジオ」を作り、そこで世田谷三部作『空中キャンプ』『LONG SEASON』『宇宙 日本 世田谷』と言うフィッシュマンズの集大成のような作品が生まれました。
佐藤伸治さんの声は自分の中では、忌野清志郎さんと今なら、クリープハイプの尾崎世界観さんの声が混ざったようなもうちょっと重いような。
それにレディオ・ヘッドの音楽のような異次元へ行っちゃうような、カゲロウのような曲です。
そんなフィッシュマンズ、バンド名の由来も、ブラジルの実在のプロレスラーの名前『フィッシュマン』からとか?又、別なインタビューでは違っていたりその辺も曖昧。
しかし、音に対してのこだわりは非常にハイレベルで研ぎ澄まされ洗練したものを送り出しています。
海外での評価が非常に高く世界最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music」では日本のアーティストグループとして最高評価を獲得しています。
1999年の3月15日にボーカルでフロントマンでもあった佐藤伸治さんが急逝して26年になろうとしているのに(2025年2月現在)、フィッシュマンズは今も国内でも、海外でも人気があります。
むしろ海外の人気は加速するように、アメリカで発売当時、人気に火が付いた『ロングシーズン』と言うアルバムは、2016年に50ドル程度のモノが2022年頃には600ドルほどになっています。
フィッシュマンズ怖い?佐藤の死因と売れると脱退するメンバー
佐藤伸治さんは、MariMariという女性のミュージシャンの方のプロデュースを行っております。
MariMariは、映画「人のセックスを笑うな」(井口奈己監督・2008年公開)のフィッシュマンズのハカセさんによるサウンドトラック(2008年)でフィッシュマンズの名曲“いかれたBaby”“MY LIFE”を歌っています。
佐藤伸治さんのパートナーの女性だったようですが、この方の詳細はMariMarirhythmkiller machinegun (マリマリ・リズムキラー・マシンガン)と言うバンドの方と言う事以外、解りませんでした。
不思議な事に、フィッシュマンズは、売れれば売れるほど、フィッシュマンズのバンドメンバーやスタッフが離れてしまうのです。
1994年、ギターの小嶋謙介さんが脱退。
1995年8月、プライベートスタジオ「ワイキキビーチ/ハワイスタジオ」完成します。
直後1995年9月、キーボードのハカセさんが 自分の音楽に専念したい、という理由で脱退。
1994年に脱退した小嶋謙介さんはフィッシュマンズを描いた映画『フィッシュマンズ』の中で、
日増しにストイックになっていく佐藤の音楽に対するスタンスや、それに伴う急速な楽曲の進化についていけなくなった。と言うのが、実際の所だったようです。
1996年2月 アルバム『空中キャンプ』をリリース 1997年10月、シングル『WALKING IN THE RHYTHM』リリースすると、この制作を最後にサウンドミックスの担当のZAKさんが離脱します。
1998年の12月28日に赤坂BLITZ(あかさかブリッツ)で行われた『男達の別れ』というライブの最終日をもって、ベースの柏原譲さんが、家庭の事情で脱退した後は、とうとう茂木欣一さんと二人だけになってしまいます。
その約2か月半後に佐藤伸治さんが亡くなってしまいます。以来、スタジオからアルバムを作ることは無くなりました。
佐藤伸治さんの死因は当初、心不全と発表されていましたが、鬱を患い、住まいだった団地から飛び降りたという情報もあります。
しかし、フィッシュマンズは、今も茂木欣一さんが、その都度サポートのヴォーカリストやメンバーを迎えて、佐藤伸治さんの作った曲をライブイベントなどで行っています。
それは、ある意味、茂木欣一さんが真摯に、佐藤伸治さんの弔いを続けているようにも、見えます。
フィッシュマンズが、伝説として消え去らないように・・・。
いかがだったでしょうか?今回は、終わらない伝説のバンド・フィッシュマンズのメンバーや、メンバーの脱退理由、佐藤伸治さんの死因などを調べてみました。
※追記
フィッシュマンズ史上最大規模のワンマンライブ!!新しい伝説が!
🐟Fishmans “Uchu Nippon Tokyo”🗼
2025.2.18(火) 東京ガーデンシアター
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