タイマーズ放送事故引き起こした訳。二人の母への想いがあの楽曲へ!

カバーソング

ザ・タイマーズは、工事現場作業員姿でヘルメットをかぶり、名曲のカバーや、反戦、脱原発への想いを歌った覆面バンドです。

覆面と言っても忌野清志郎さんがそこにいる事は明らかで、今回は2回目となる忌野清志郎さんの事を『タイマーズ』と言うフィルターを通して覗いてみたいと思います。

ザ・タイマーズが駆け抜けた昭和の終わりから平成にかけては、先帝の崩御に伴い自粛と言うムードが日本中を覆っていました。

タイマーズのコンセプトを尊重してタイマーズのゼリーさんとしてご紹介します。

そして今では知らない人がいないだろう、あの楽曲の事も書いてみたいと思います。

本来の優しい姿とは裏腹の激しい憤りや、表現者としての魂を、又、大問題となった表現の自由に対する不自由さを生放送でぶつけた彼のことを書いてみたいと思います。




タイマーズ、放送事故。バンドメンバーはそれぞれよく似た人。

忌野清志郎さんに”よく似ている人物”ZERRY(ゼリー)が率いる4人組の覆面バンドとして、土木作業員の格好で、学生運動の頃の全共闘のようなヘルメットをかぶって、

顔の半分は、マスク(バンダナ?)で覆い、サングラスをかけて、パフォーマンスをしていました。

正確には『ザ・タイマーズ』と言います。

覆面バンドと言ってもメンバーって誰?ってことで紹介したいと思います。

★ZERRY(ゼリー)
リードボーカル、ギター、ハーモニカ担当。RCサクセションの忌野清志郎に似た人物という設定です。

★TOPPI(トッピ)
ギター、バックボーカル担当。MOJO CLUBの三宅伸治に似た人物という設定。(元々、忌野清志郎さんの運転手や裏方をやってた方)

★BOBBY(ボビー)
ウッドベース担当。ヒルビリー・バップスの川上剛に似た人物という設定。(トッピさんのバンド仲間)

★PAH(パー)
ドラムス担当。MOJO CLUBの杉山章二丸に似た人物という設定。(同じくトッピさんのバンド仲間

それぞれ、”設定”となっている所は皆さんで、ご理解いただければ。(笑)

1989年10月にメジャーデビューしますが、翌年には活動休止しています。その間に強烈で過激なパフォーマンスが業界を揺るがしましたが、その話は後述します。


タイマーズ放送事故。本当の母の顔を写真の中でしか知らない。

実はゼリーさんは、3歳の時に当時33歳だった母を胃がんの為亡くしていて、母の姉にあたる叔母さん夫婦に育てられます。

ゼリーさんがその事実を打ち明けられたのは高校生の時、そして実母の顔を知ったのは37歳の時だと言います。

初めて37歳で母の顔の写真を育ての親である叔母に渡され、改めて見たゼリーこと忌野清志郎さん。

この時の事を1988年にゼリーさんがノートに残した未発表の詩が収録されていました。母親の若い頃の写真を見た時の気持ちを記した詩を残しています。『HAPPY』と言う題名と共に

Hey!Baby、見てみろよ
何て、可愛いんだろう!
わーい、ぼくのお母さんて
こんなに可愛い顔してたんだぜ
こんなに可愛い顔して
歩いたり、笑ったり、手紙を書いたり
歌ったり、泣いたりしてたんだね
37年近く生きてきて とにかく初めての気持ちなんだ                   とっても幸福な気持ち だけど、涙がどんどん出てきちゃうのさ                  気がつくと、ぼくの目に涙があふれてる                        涙が流れ落ちるんだ その可愛い顔が見えなくなっちゃうんだ
『ネズミに捧ぐ詩』(2014年/KADOKAWA)所収

こんな詩が残されていました。その後、その写真をいつも持ち歩いていたと言うゼリーさん。


タイマーズ放送事故!誰もが知っているあの曲は誰を歌った曲?

ゼリーさんの父親は東京ガスに勤務。お母さまは教育熱心な主婦だったと言います。高校時代まで養母の事を少し疑いながらも本当の両親だと思っていたようです。

そして、タイマーズのアルバム『カバーズ』を製作する直前に3歳の時に亡くなった母の遺品整理をします。

その中に、戦争の辛さや悲しさ、悔しさがびっしりと書き込まれた日記を見つけます。ゼリ-さんは衝撃を受け、反戦や体制への批判を歌にすることが多くなりました。

ザ・タイマーズのヒット曲で、日本に住む人ならみんな知っているのでは?ってのがモンキーズの「デイドリーム」を日本語カバーしたデビューシングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」(1989年)と言う曲ではないでしょうか?

♪~もう今は彼女はどこにもいない、朝早く目覚ましが鳴っても~ずっと夢を見させて、くれてありがとう~♬

                      ザ・タイマーズ

Daydream Believer デイ・ドリーム・ビリーバーより抜粋

と続きます。

すっかり、セブンイレブンのCM曲としてお茶の間でもおなじみでしょう。ちょっと聞くと、恋人の別れを歌った曲のように思えます。

しかし、この曲、ゼリーさんがこの曲を翻訳するとき、二人の母へのメッセージを込めていました。

そう、実の母と育ての母に、ずっと夢を見て安心してたとそしてありがとうを重ねた詞だったのです。


タイマーズ放送事故。自由と裏腹なマスコミに一撃を!

そんなザ・タイマーズですが、伝説となるような放送”事件”とも言うべき、騒ぎを起こしています。

 事件は「デイドリーム・ビリーバー」発売直後の1989年(平成元年)10月13日、フジテレビの音楽番組「ヒットスタジオR&N」に出演した際に起こります。

元々、「ロックとブルースと演歌とジャリタレポップスのユーゴー」をコンセプトに権威をおちょくる風刺的な曲で、反体制的に疑問を投げかける曲がたくさんありました。

 その為、放送禁止になっている曲も多かったのですが、ゼリーさんの友人・山口冨士夫さんとの共作で忌野清志郎さん(名義)で作詞を担当したティアドロップス(と言うバンド)の曲「谷間のうた」が、FM東京とFM仙台で放送禁止にされると言う事がありました。

又、タイマーズの「土木作業員ブルース」が放送禁止、放送自粛にされたことに抗議するために、メンバーのトッポさんは「ボス、なんかやらかしますか?」切り出します。

その頃の「ヒットスタジオR&N」は、司会が古舘伊知郎さんと、沖縄アクターズスクール出身の現在沖縄で活動中のGWNKO(ぎんこ)さん。

古舘伊知郎さんは、リハーサルの時から不穏な空気を感じ、ゼリーさんに、「お気持ちは解るが、何とか放送コードの範囲内で」と伝えに行ったそうです。

ゼリーさんは「古舘ちゃん大丈夫、迷惑かけないから。俺も大人だよ」と返したそうです。

メドレーで4曲を歌うセットリストでしたが、2曲目予定の『偽善者』と言う曲のテロップが流れると、楽曲はまるで違う曲が流れ出します。

腐ったラジオ …最低のラジオ 何でもかんでも放送禁止さ!…政治家の手先 なんでも勝手に放送禁止さ!…おまんこ野郎!…『エフエム東京罵倒ソング』

残りの2曲を何事もなかったように歌い切りました。

古舘伊知郎さんは「番組中、不適切な・・・」と、例の言葉で視聴者にお詫びし、タイマーズに「2曲目を入れ替えられたんですね?」とスタッフは知らなかったと言う事を伝えていました。

しかし、演奏中は、古舘伊知郎さんもぎんこさんも、出演されていた永井真理子さんなども、戸惑いながら少し笑っていました。

その後、タイマーズは、フジテレビを3年間出禁になり、エフエム東京は、関係ないのに、同じ東芝EMIに所属する松任谷由実の発売直前のアルバムであった『LOVE WARS』の曲を一切放送しないということを東芝EMIに通知したと言います。

後日談で、古舘伊知郎さんは、心のどこかであっぱれと思っていたと語っています。

この事件がきっかけかどうかは解りませんが、一年後、エフエム東京は、ステーションネームを『TOKYO FM』と変えています。

又、タイマーズが出演するフェスではよくタイマーズが出演できなくなりましたと言い、その後すぐに「勝手に中止にするんじゃねえ!」と言って出てくるお約束のパフォーマンスがあったのですが、

丁度、水不足の福岡県で福岡のフェス会場で女性スタッフが「福岡市渇水対策本部からの連絡です。江川ダムでトラブルが発生、完全断水に入るのでコンサートも中止します」という内容のアナウンスを流したら、本当に、みんな帰ってしまったと言う事件もありました。

歌いたい事を歌うのが、ロックだろう!そんな声が聞こえる。ゼリーさんの魂は、忌野清志郎さんの魂と共に、今も多くの人の背中を押し続けているのだと思います。

二人の命日の5月2日に、思いを寄せるのでmoonでありました。

いかがでしたか?今回はザ・タイマーズの『デイ・ドリーム・ビリーバー』に秘められた思いと放送事故騒動をお伝えしました。

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