爆風スランプといえば、「Runner」「大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い~」「無理だ」などバラードから、メッセージソング、又、コミックソングまで幅広い音楽性を持っていました。
1980年代初頭の過激なパフォーマンスで話題になりましたが、その後、ヒット曲が立て続けに出る事で、日本中に名前が知れ渡る事になります。
そんな、爆風スランプのメンバーの死亡の噂、ボーカルのサンプラザ中野くんのお病気の噂なども気になるところです。
爆風スランプのメンバーは?
爆風スランプは1982年4月結成されて、1984年デビューしております。
メンバーは、
サンプラザ中野くん(サンプラザなかの くん)さん、本名は中野裕貴(なかの・ひろたか)さんと仰います。1960年8月15日生まれ、 山梨県甲府市生まれの、千葉県育ち。担当はボーカルです。
学歴は千葉県立東葛飾高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科除籍となっています
2008年1月15日、日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』にて、芸名を「サンプラザ中野」から、「サンプラザ中野くん」へ変えたことを発表しております。
パッパラー河合(パッパラーかわい)本名は河合 靖夫(かわい やすお)さん1960年9月14日 千葉県の生まれです。ギターの担当です。
ファンキー末吉(ファンキーすえよし)本名は末吉 覚(すえよし さとる)さんです。1959年7月13日 生まれで、香川県坂出市出身。香川大学教育学部附属坂出中学校、香川県大手前高等学校卒業、神戸商科大学(現:兵庫県立大学)管理科学科中退。ドラムスで、リーダー。
名前の由来は、ブラックミュージック、ファンクミュージックに傾倒していたところからという事です。
バーベQ和佐田(バーベキューわさだ)本名は和佐田 達彦(わさだ たつひこ)さん、1959年7月10日 のお生まれ。1989年以降、爆風スランプで ベースの担当です。
元メンバーとして
江川ほーじんさん(ハヒフヘほーじん):ベース(1981年 – 1989年)
準メンバーサポートとして
太田美知彦さん:キーボード(1986年 – 1987年)
ダン本多(本多たけし)さん:キーボード (1987年 – 1990年)
チャーシューメン黒石(黒石正博)さん:サックス&キーボード(1987年 – 1989年、1994年頃)
竹野昌邦さん:サックス&キーボード(1990年)
せんべい鍵山(鍵山稔)さん:キーボード(1990年)
エンペラー福田(福田裕彦)さん:キーボード(2004年 – 2005年) 再結成時のサポートとデビュー初期から活動休止する1999年まで編曲もしていらっしゃいます。
爆風スランプのメンバー、サンプラザ中野くんは早稲田大学除籍?
サンプラザ中野くんの学歴には、早稲田大学政治経済学部政治学科除籍となっています。高名な大学に合格して退学ではなく、除籍とは?
退学と除籍の違いは、退学は学生が大学を辞めること、除籍は学校側で生徒の在籍者名簿から外された状況のことを指します。
と言う事で、良く調べてみると、生島ヒロシさんのラジオ番組TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」にゲスト出演した際に詳細をお話していて、
一浪して、早稲田大学に合格した事、丁度そのタイミングで、高校の先輩から「自分のバンドのボーカルにならないか?」と声が掛かった事。
全然学校に行かず、試験も2年生の前期までで、単位も全然取れていない状態で、8年間在籍していた挙句、卒業していない事を明かします。
そして
これに生島は「一応、早稲田の政経に行ってたっていうと、それだけで何かもうすごいですもんね」とフォローすると、中野くんは「そうなんですよ。当時、タモリさんとかね。『早稲田は卒業しない方がメジャーになれるよ』っていうのがあったんで、まあいいかなみたいな。親はちょっと悲しみましたね」と語っていた。 yahoo!ニュース
早稲田大学在学中は、スーパースランプと言う爆風スランプの前身のバンドに参加しておりました。
1982年に爆風スランプを結成し、84年にメジャー・デビューされています。スキンヘッドにサングラス姿というルックスと当時、テレビ番組でのハチャメチャな行動やキャラクターがウケ、又、同時に『Runner』や『大きな玉ねぎに下で』『リゾ・ラバ』等でヒットチャートを賑わしました。
爆風スランプメンバーだった方が、交通事故で意識不明に!
爆風スランプの元メンバーの江川ほーじんさんは、1989年、爆風スランプのプロデューサーであった新田一郎氏と音楽活動方針を巡って対立し、人気の絶頂期にあった爆風スランプを脱退してしまいました。
この出来事により辞めていく江川ほーじんさんの姿をなぞらえ、サンプラザ中野さんが作詞したのが爆風スランプの『Runner」と言う大ヒット曲です。
しかし2018年12月上旬に交通事故に遭った影響で意識不明の状態が続いていた元爆風スランプの江川ほーじんさんが事故から5年以上経過した現在も
体調はおかげさまで落ち着いております。ただ意思疎通が困難な状況は残念ながら変わらず、身体を動かすこともままなりません。
2023年6月15日付 江川ほーじんオフィシャルサイト
と言う事です。毎年6月頃に、サイトが更新されます。深刻な状況と戦っておられるようですが、昏睡状態からは脱した模様です。
爆風スランプにおいて、旧メンバーも現メンバーも、亡くなった方はいらっしゃいません。
爆風スランプメンバーの名曲「大きな玉ねぎの下で」は、言い訳の為に?
この楽曲は正確には『大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い』と言うのが正式な曲名です。1989年10月21日に爆風スランプ15枚目のシングルとして発表されました。
初出は、1985年発売2ndアルバム『しあわせ』に収録された「大きな玉ねぎの下で」のリメイクであります。
表題曲の題名の「大きな玉ねぎ」とは、日本武道館の屋根の上に乗っている擬宝珠(ギボシュ・ギボシ)の事です。その擬宝珠が「大きな玉ねぎ」に見えるというところからタイトルが付けられました。
歌の内容はライブの日に武道館で待ち合わせを約束したペンフレンドの女の子が予定の時間に結局来ずに終わったという失恋ソングです。
後半の『千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば』と畳みかけるように歌いかけます。恐らく10代半ばの中学3年生や、高校1~2年生の方。
貯金箱を壊して、君に送ったチケット。何度も席を立ちロビーを見に行く。君は来ない。手紙に綴った言葉だけが頼り。何度も読み返す。
アンコールの中、居ても立っても居られなくなり、外に飛び出し、千鳥ヶ淵の月が映る水面が目に入る。澄んだ空に、玉ねぎのように擬宝珠が輝いている。
やがて、コンサートが終わり、九段下を人波が移動して行くのを、見るともなく見ている。彼女は何故来れなかったのだろう?
厳しい父親に止められたのか?会う事が怖かったのか?コンサートを見に行くほどのお付き合いという気が無かったのか?
そんな風に自問自答する主人公の気持ちを想ってしまいますが、実は・・・・。
歌いだしの『ペンフレンドの二人の恋は・・』で始まるこの楽曲は、当時でも「ペンフレンドなんて、今時?」「ペンフレンドなんているんだ?」と言う事で、ウケ狙いでの書き出しだったようです。
そもそも、今の若い読者の方に説明すると、ペンフレンドとは、文通と言って手紙のやり取りで、友人関係や恋人関係を構築できた昭和の人間関係です。
メル友とはちょっと違い、当時は、手書きで文章を書き、便せんに入れ、切手を貼り・・・、つまり、そういう面倒なプロセスを経て積み上げていった関係性なのです。
当初は、まず爆風スランプのファンの笑いはつかめるだろうと考えたのですが、曲を作っていくうちに「いい歌になっちゃった」との事です。
いや、それよりも、これは1985年に爆風スランプにとって初の武道館ライブをレコード会社に決められた際に、
爆風スランプが武道館へのプレッシャーから「自分達で武道館が満員になるわけがないから席が空いている事の言い訳になるような歌を作ろう」という非常にネガティブ志向の中で書いたとサンプラザ中野くんのお話。
爆風スランプのこの楽曲を聞くと、1985年の夏の夜の千鳥ヶ淵を思い出してしまうのでありました。
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