杏里さんは、1980年代前半から、CMソングや、歌番組などでよく見かける方でした。しっとりした曲調の『オリビアを聴きながら』から、
ポップな弾んだような『コットン気分』や『キャッツ・アイ』など、曲調も様々で、バラエティーに富んだものでした。
2000年以降、ロス・アンジェルスに住んでいるという事ですが、日本でもライブなどの活動を行っているようです。
2024年7月13日には茨城県のひたちなか海浜公園にて石井竜也さんと新曲の「MARINE BLUE MEMORIES」をデュエットしております。
杏里 歌手、本名?父は建設業、温泉採掘し温泉施設経営!
杏里さんの本名は川島 栄子(かわしま えいこ)さんといいます。杏里さんがデビュー当時、活躍していた河島英五(かわしまえいご)さんと聞き間違えそうですね。
お生まれは神奈川県大和市、誕生日は1961年8月31日です。ちょうど(2024年9月現在)63歳になられたばかりでしょうか。
杏里さんはご両親と兄3人の合計6人家族の元に生まれました。身長:168cmと言う事です。お父さんは、土木建設、生コン等の会社を経営する社長さんでした。
かなり厳格な厳しい決め事の中で、杏里さんは育ったという事ですが、杏里さんはお父さん子で、学校を休んでもお父さんの出張などについてゆくこともあったようです。
杏里さんのお父さんは建設業を主な業務として行っていましたが、神奈川県大和市に温泉を採掘した事で、「中央林間ハッピーランド」という温浴施設を経営していました。
(ハッピーランドは経営者が変わり「らいおんハートの湯」になり、高齢者施設となりましたが、現在は閉館しています)
杏里 歌手『オリビアを聴きながら』は、なんと17歳の時の曲!
杏里さんは、幼い頃から、ピアノを習い、高校は、県立希望ヶ丘高校で定時制の高校に通いながら、歌手活動も行っていました。
そんな高校時代にデビューした曲は夏休みにロスアンジェルスでレコーディングしたという『オリビアを聴きながら』1978年の事です。
一番上のお兄さんの影響でピアノでポール・モーリアのコピーなどをしていた杏里さん。
ニューミュージック、フォーク、ジャンルを問わず、洋楽を含めいろんな音楽を聞いていたという事なのでオリビア・ニュートン・ジョンの曲もよく聞いていたナンバーなのでしょう。
今では、スタンダードナンバーと言っても良いくらい親しみのある楽曲ですが、始めは鳴かず飛ばずだったと言います。
しかし、徐々に音楽活動が忙しくなり、高校は退学してしまいます。その頃は、80年代アイドルの曲調に寄せた「コットン気分」や、ヨーロピアンサウンドに寄せた『哀しみの孔雀』など曲調を転々とさせてリリースを続けます。
デビュー当時から歌唱力の評価は高かったのですが、セールスは厳しく、杏里さんも一番つらい時期だったそうです。
杏里 歌手 現在まで、プロデューサーとの相性、ヒット曲連発!
杏里さんの芸名は元々、当時の所属事務所・ボンド企画の社長の高杉敬二さんが付けました。
ボンド企画は、80年代90年代初頭にかけて、本田美奈子さんや松本伊代さんなど多くの有名なタレントさんやミュージシャンを抱える業界では有名な芸能事務所でした。
杏里さんもその事務所に籍をおいておりました。
その高杉敬二さんが娘さんに出生時に名づけるつもりの名前だったんだとか。
それだけ当時、高杉敬二さんは、杏里さんに思い入れや期待があって、且つ可愛がられていたのだと思います。
高杉敬二さんの娘さんはタレントの河村和奈さん。現在は風間俊介さんの奥さんです。『杏里』さんではなく『和奈』さんになったのですね。
さて、セールスが伸び悩んでいた杏里さんですが、1982年に小林武史さんのプロデュースによる『思い切りアメリカン』に花王のCMタイアップによって、大ヒットとなります。
この曲が夏のイメージの強い曲だった為か?杏里さんには夏のイメージを持つ方も少なくないと思います。
続いて、1983年には、当時、まだ無名の角松敏生さんが5枚目のアルバム『Bi・Ki・Ni』のプロデュースを担当すると、一気にオリコンで27位まで駆け上ります。
快進撃を続ける当時の杏里さんに、同じ年の8月には、日本テレビからアニメソングの話が舞い込みます。
当時のアニメソングは、アニメソングだけを歌う歌手の方がいる時代でした。アダルトコンテンポラリーの杏里さんの音楽では方向性が違うと思っておりました。
初めは乗り気ではなかった杏里さんですが、良い曲だと感じ、自分を変えるチャンスに感じたと言います。
一転、歌ってみる事にしたのは、アニメ『キャッツ♥アイ』の主題歌「CAT’S EYE」でした。シングルをリリースするとたちどころに、ヒットチャートを上ります。
杏里さんの声とアップテンポの楽曲も相性がよく、オリコンシングルチャート1位の大ヒットとなります。
その後、再び角松敏生さんのプロデュースによる『悲しみが止まらない』もヒットし、それらを収録したアルバム『Timely!!』を発表しました。
こちらもオリコンのアルバムランキングにて1位の大ヒットとなり、年末の第34回NHK紅白歌合戦に初出場して杏里さんは、多くの人に知られることになります。
杏里 歌手 結婚した相手は逮捕、現在の夫は、大物ギタリスト!
杏里さんは、過去に、世界的なデザイナー、山本寛斎さんの甥っ子の『岸田健』と言う方と1988年に結婚しています。
当時、岸田健さんはアパレル会社の社長でした。しかし、1993年頃に岸田氏は、高齢女性からキャッシュカードをだまし取ったとして詐欺容疑で逮捕されます。
そして離婚してしまいます。
2005年5月20日に、杏里さんが43歳の時、米国人ギタリストのリー・リトナーさん52歳の方と結婚することを神奈川・よこすか芸術劇場で行った全国ツアー初日の公演中、ステージ上で「婚約しました」とファンに向けて報告しました。
杏里さんは2000年に発売した洋楽カバーアルバムのプロデューサーをリー・リトナーさんが務めたことがきっかけとなり、親密な交際に発展しました。
リー・リトナーさんは、70年代のジャズフュージョンブームの立役者として知られる大物ギタリストで、日本でも、杏里さんのアルバムの他に、カシオペアや竹内まりやさんのアルバム制作にも参加しています。
互いに離婚を経験し、再婚同士という事ですが、2000年以降から、現在はアメリカ・ロサンゼルス在住でご主人と幸せに暮らしているようです。
年に何度となく日本に戻り、フェスやレコーディングにも赴ておられるようです。夏から秋にかけて、ドライブ中に杏里さんの楽曲が流れてくると、何とも贅沢な気分にさせてくれます。
今や、世界的な歌手になっている杏里さん、今後ともご活躍をお祈りしております。
以上、杏里さんのご実家、現在の活動や昔のヒット曲、結婚や離婚などを振り返ってみました。
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