DEEN 池森秀一の若い頃の活躍、現在のそば(蕎麦)との関わり。

ポピュラー

DEENの楽曲は、私、こちらの情報局長のmoonにとっては、あっという間に、その時代へ戻してくれるような懐かしさもあります。

一世を風靡した『このまま君だけを奪い去りたい』と言う曲をはじめ、『瞳そらさないで』『未来のために』などミリオンヒット曲を連発します。

ただ意外と現在の活動も知る方も少ないような気もします。

さて、DEENのメンバーである池森秀一さん、音楽活動のほかにこだわりの逸品で話題を振りまいております。


DEENのボーカル池森修一若い頃、『このまま君だけを奪い去りたい』がDEENを作った?

DEENの『このまま君だけを奪い去りたい』は作詞:上杉昇、作曲:織田哲郎、編曲:葉山たけしで、事実上はDEENのデビューシングルになります。

実はこの曲、NTTドコモの「ポケットベル」のCMソングに決定してました。しかし、当初はWANDSのシングル「時の扉」の両A面のもう一方の曲の予定でした。

しかし、タイアップ先からNGが出たためボーカルを変更せざるを得なくなり、『このまま君だけを奪い去りたい』を歌うボーカリストを探していました。

そこで、ソロデビューを目指し北海道から上京していた池森秀一さんに試しに歌わせてみたところ評価を受け、ボーカリストに決定します。急遽キーボード山根公路さんを加え、バンドを結成しました。

池森秀一さんという、歌手はおりましたが、DEENは無かった訳です。最初に曲があって、それを歌う為にバンドが出来ると言う。

つまり、DEENのデビューはこの曲が作ったともいえる非常に稀なパターンのような気がします。それにしても、ポケベルと言うのが、時代を感じさせますね。


DEENのボーカル池森修一、若い頃は、ビーイング系バンド!

さてDEENのメンバーですが、先述の通り、池森秀一 (いけもり しゅういち)さんと山根公路 (やまね こうじ)さんが中心になって結成されたバンドです。

改めて池森秀一さんは1969年12月20日 のお生まれで、ご出身は北海道岩内郡岩内町という所です。一方、山根公路さんは1967年1月29日 に東京で産声を上げます。

池森秀一さんの担当はボーカル、作詞、作曲を手掛けています。DEENのフロントマンでもあります。

山根公路さんの担当はキーボード、コーラス、作曲を行っており、DEENのリーダーは山根公路さんです。

そしてあまり聞き慣れない方も多いかもしれないですが、1990年代当初、ビーイング系と呼ばれるバンドでした。

しかし、この言葉は音楽業界の中で広く呼ばれていたもので、一部の音楽シーンに詳しい方には、何をいまさらと言われそうなくらいの言葉です。

このビーイングと言うのは、現在、株式会社B ZONE(ビーゾーン)と言うアーティストの所属事務所の事です。

1980年代、1990年代の音楽シーンを語るには、避けて通れないくらいの事務所ですが、開設当初は小さなマンションの中にある、小規模な音楽事務所でした。

1981年にはLOUDNESS(ラウドネス)がデビュー。ラウドネスも又、日本のレジェントとなっているヘビーメタルバンドです。

その後、1985年にはTUBEがデビューしております。3年後の1988年にB’zがデビューしました。えっ!同じ事務所だったの?ってくらいに、当時の音楽シーンを揺るがした二つのバンドです。

更に意外なバンドとしては、2年後の1990年になると、BBクイーンズの『おどるポンポコリン』が国民的テレビアニメとなった『ちびまる子ちゃん』の主題歌として大ヒットします。

そんな風に1980年代から1990年代にかけて大きく影響を与えたのは、元々作曲家であった、滋賀県は大津市出身の長戸大幸と言う方。

音楽プロデューサーとして、手腕を振るい、のちに、不動産と若者文化を融合させ、様々な街に活気を与え、『なにわの不動産王』と呼ばれるようになります。

そんなビーイングの社長でありプロデューサーでもある長戸大幸氏が、世に送り出したのがDEENの始まりでした。

北海道から出てきて間もない23歳の池森秀一さんが、試しに歌ってみてと言われ、その後レコーディングをしたら、すぐにテレビから毎日、自分の声がCMで流れてくる状況だったそうです。

喜びと戸惑いの中、「お前たちは明日からDEENだ!」って言われて、「DEENって何?」みたいな中のデビューだったとFM放送で語っておられました。

因みにこのDEENと言うネーミングはやはり長戸大幸さんの発想で、ジェームス・デーン(James Dean)からDeanのスペルを変えてDEENにしたのだとか。

英語辞書には載っていません。

又、NEED、ニードを反対にしたとか、諸説あるようですが、かなりの部分が当時の長戸大幸さんの感覚と計算で決まっていったようです。

2001年には『SHU』としてソロデビューも果たされています。


DEENのボーカル池森修一、若い頃からの独身貴族?甥っ子のプロデュース。

さて、池森秀一さんの私生活と言うと、独身を貫いているようです。

もちろん池森秀一さんが結婚を公にしていらっしゃらない可能性もありますが、もし、ご結婚されていらっしゃれば、どこからもそういう声が出ない事は無いと思われます。

池森秀一さんは、ご出身の北海道では小学校・中学・高校までは出身地である北海道岩内郡の学校に通っておりました。

現在もご実家が北海道にあるのかは、定かではありませんが、父親・母親・姉が二人いらっしゃる家族構成だったようです。

池森秀一さんは末っ子だったと言う事です・

池森秀一さんのご両親については一般人ということもありほとんど情報が公表されているものがありません。

しかし、池森秀一さんの母は池森タエさんと仰る方で、2005年に津軽民謡の全国大会に出場して優勝なさったと言う情報があります。

また、毎年のように誕生日には、インスタグラムや、ご自身のブログで父母へ感謝のメッセージを綴っておられますので、良いご家族の関係だったのではないでしょうか?

お姉さんの1人は池森美雪さんという方で、北海道札幌市にあるライブバー「JOY-D」で歌手として活動されています。

もう1人のお姉さんには1992年生まれの息子さんがおり、池森秀一さんの甥にあたる方で、本名を池森龍さんといいます。

子供の頃から野球をしていましたが、大学卒業を期に一念発起して、池森秀一さんに歌手になりたいと相談したと言います。池森秀一さんは

「突然、歌手になりたいと連絡があって、びっくり。甘い考えだったら、打ちのめしてやろうと思って歌を聴いてみたら、高音のロングトーンがすばらしくて。衝撃でした」         出典・オリコンミュージック

池森秀一さんは自らプロデュースすることを決めました。
現在は「Ryo」という名前で音楽活動を開始されており、甥のデビューの際には池森秀一さんがプロデュースを手掛け、2016年に「HOMARE」でデビューを果たしました。


DEENのボーカル池森秀一、若い頃から、蕎麦との関わり。

池森秀一さんは、グルメな方で、ワインや蕎麦に造詣が深く、特に蕎麦については、蕎麦料理研究家としても活躍の舞台を広げています。

愛称としても、『蕎麦森』なんて風にも呼ばれているようです。そんな池森秀一さん、蕎麦に関する本を2冊も出版しております。

又、池森秀一さんは様々な雑誌でも、執筆されています。今から4年ほど前に池森秀一さんは情報バラエティー番組の『マツコの知らない世界』にご出演しています。

『12年間 毎年約360日、昼食に蕎麦を食べ続ける男性』として紹介され、池森秀一さんご自身の蕎麦に対する思いのたけを語っておりました。

実は池森秀一さんは22歳で北海道から上京して、すぐに中目黒のアパート前にあったそば店でアルバイトの経験を持っています。

更に蕎麦への池森秀一さんの思いは、強くなり2022年6月13日より赤坂にある所属事務所1階に、池森秀一さんご自身がメニューを考案し、プロデュースした日本そばのカフェ「SOBA CAFE IKEMORI」をオープンさせるに至りました。

「どうせやるなら、どこにもないスタイルの店にしたいと思いました。」と池森秀一さんは述べ、お店に対する意気込みを見せています。

逆にワイン業界からはお蕎麦に合うワインをワイン会社と池森秀一さんの共同開発なども手掛けています。これから更にどんな展開の情報で楽しませていただけるか?

まだまだ、池森秀一さんの情報には期待が持てますね!

以上、DEENのボーカル、池森秀一さんの若い頃の活躍と現在、そして蕎麦への情熱をお送りしました。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました