スタレビのメンバーって誰?名曲『木蘭の涙』は初めボツ作品だった?

カバーソング

スターダストレビューは、数多くのヒット曲を放ち、40年の長くに渡りJ-POP界をけん引してきたバンドです。

個人的にもラジオ番組などで、歌だけではなく、ボーカルの根本要さんのお話のうまさなどに、聞き入ることもしばしば。

又、大ヒットとなった『木蘭の涙』等も、春になると毎年のようにメディアから聞こえてきて、いい曲だなと思うのです。

しかし、浅く聞いている事もあり、根本要さん以外のメンバーの方を存じ上げないところもあり、ちょっと掘り下げてみたいと思います。




スタレビのメンバーって?全員埼玉出身の4人組バンド

先ずは、スターダスト・レビューは(Stardust Revue / スターダスト・レビュー / スターダスト☆レビュー、英略:SDR)等の表記で表されますが、「スタレビ」と言う略称で見聞きする事が多いですね。

 1981年5月25日、アルバム『STARDUST REVUE』、シングル「シュガーはお年頃」でワーナー・パイオニアからデビューを果たします。

メンバーは次の通り

★根本要(ねもと かなめ)さん、埼玉県行田市のご出身、1957年5月23日生まれです。 ボーカル、ギターの担当。

 身長162cm、体重60kg、血液型A型。埼玉県立不動岡高等学校卒業。日本大学芸術学部放送学科中退。

★柿沼清史(かきぬま きよし)さん、埼玉県羽生市の出身で、1957年11月11日生まれです。 ベース、ボーカル、コーラスを担当されてます。

身長172cm、体重68kg、血液型B型。埼玉県立不動岡高等学校卒業。東洋大学工学部卒業。

★寺田正美(てらだ まさみ)さん、埼玉県熊谷市出身、誕生日は1959年7月26日です。 ドラムス、ボーカル、コーラスの担当。

身長162cm、体重48kg、血液型O型。埼玉県立熊谷工業高等学校卒業。

★林“VOH”紀勝(はやし・ボー・としかつ)さん、埼玉県熊谷市出身1960年1月28日 生まれです。

パーカッション、ボーカル、コーラス、サックスの担当。身長170.5cm、体重72kg、血液型AB型。埼玉県立深谷高等学校卒業。東海大学中退。

というように、全員が埼玉県出身の4人組のバンドです。


スタレビのメンバーって?根本要の実家は病院。兄弟は?

フロントマンで、ボーカルの根本要さんのふるさとは埼玉県行田市という所です。上野からJR高崎線に揺られて約1時間、熊谷駅の1つ手前が「行田駅」です。

行田市には「古代蓮の里」や、9つの大型古墳が見られる「さきたま古墳公園」。埼玉県の名前の発祥となった「前玉神社」などもあり歴史の古い町です。

そんな行田駅からほど近い『根本医院』が、根本要さんのご実家です。音楽好きの2人の兄に囲まれて育った根本要さんは、兄の影響で音楽に興味を持つようになります。

根本要さんはお兄さん二人と妹さんが一人いらっしゃる四人兄妹だそうです。今、根本医院はお兄さんが跡を継いでいると言います。

根本要さんは学生時代には「実家に住んでいるからには何か手伝わないと」と、ご両親が往診に行く際の車の運転手などで手伝っていたらしいです。

お金の心配はなく、音楽でまともに暮らしていけなくても、「実家は病院なんだから自分ぐらいは養ってもらえるだろう。」と緩く考えて、又、三男と言う事もあり気楽にやっていたと言います。

中学時代に八木橋百貨店屋上で開かれたフォークロックコンテストに出場して優勝した経験から大人のバンドサークルとも、交流が出来たと言います。

ライブのMCが、面白く長すぎると、ストップ用の回転灯が回る根本要さん、恐らく子供の頃から物怖じせず、大人と喋っていたのでは?


スタレビのメンバーって?根本要の若い頃。木蘭の涙はボツ!?

しかし、私moonとしては、中学生の根本要さんの才能を見出し、優勝させてしまった当時のロックフォークコンテストの審査員もすごいと思います。

それがきっかけになり、埼玉県立不動岡高等学校に入学後、柿沼清史さんらとバンドを結成します。

ライブハウスで、人気となり、1975年の高校の文化祭で開催したコンサートでは会場の教室に収まらないほどの客を集めます。

1979年に、グループ名「(ジプシーと)アレレのレ」として第18回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場して。「おらが鎮守の村祭り」で優秀曲賞を受賞します。

デビュー時に、グループ名をスターダストレビューに改名しますが、名前の由来はジャズのスタンダードナンバー「スターダスト」とグループが持つ多様な音楽性をレビュー形式で披露したいという願いがあるんだそうです。

そんな根本要さん、「兄に友達が増えるよ。」と促され、、日本大学芸術学部に入学しますが、友達ができたという理由で2年で中退しています。

スターダストレビューでのデビュー前、「クレージー・パーティー」名義でアニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」(1979年・1980年)の全3作の主題歌を担当します。(根本要さんの名義で作詞・作曲も担当)。

このアニメや漫画は、moonと同年代の人には懐かしいものでは無いでしょうか?

『シュガーはお年頃』でデビューするとシチズン時計のCMソングとして起用されますが、その後、

カルピスのCMソングに起用される1984年に発売された5枚目のシングル『夢伝説』まで、ヒット曲はありませんでした。

しかし、『今夜だけきっと』がスマッシュヒットし、1993年にスタレビの代表曲ともいえる『木蘭の涙』がヒットします。

この楽曲は、作曲をスタレビのベースの担当、柿沼清史さんが手がけ、当時、何度もメンバーにボツにされたらしいです。

しかし諦めなかった柿沼さんは、手をかえ品をかえ、少しずつアレンジを変えながら何度もねばってようやく採用となり、アルバムに収録された経緯があるのだとか。

この楽曲は、柿沼さんの情熱の賜物か?多くのミュージシャンに支持されることになります。

B’zの松本さん、谷村新司さん、渡辺美里さん、小田和正さん、更にはアンミカさんまでカバーソングとして、見つけられるだけでも20人以上のアーティストにカバーやセッションされています。


スタレビのメンバーって?要さん、ボーさんの病気は?

さて、そんなスタレビのメンバーですが、病気のキーワードなども出てきます。

根本要さん自身、2018年の6月に「微小な脳梗塞」本人曰くで入院されております。その時の様子は?

根本要さんは、その日はラジオ番組4本分の収録があり、昼1時から夜7時まで、ずっとしゃべっていました。その1本目の収録から、唇の左半分だけがピリピリしびれていたんです。

 滑舌に問題はないし、ほかにどこもおかしくない。でも「唇左半分だけ」というのが何とも気になって、その夜、約束していた飲み会をキャンセルして帰宅したんです。すると妻が「飲み会をキャンセルとは一大事」とばかりに驚いて、少しするとボクに通話状態の電話を差し出しました。

日刊ゲンダイ2018/11/19付

その電話は、救急車を呼ぶかどうか迷ったときの「救急相談センター」につながっていました。救急車を呼ぶかどうするか迷った時の相談窓口です。

根本要さんの奥さんは、色んな情報では、ちょっと天然なところも垣間見られますが、いざとなると、勘の鋭い方かと思われます。

それか?根本要さんが飲み会をキャンセルする事が相当の事なのか?は、解りませんが。

近所の大きな病院に着くと、即入院で集中治療室に入り脳梗塞の一番危険なタイミングの24時間を過ごし、事なきを得たようですが、少し遅れたら危なかったかもしれません。

根本要さんは、そんな時もこの病院の看護師さんが皆さん可愛いなんて事も思っていたようです。

その後、無事ライブに復帰して、入院の話をするとその後、ファンの方から家族に同じような症状があり、早期発見でき助かったという声も。

結果的に、3人くらいの命は救えたかなと仰っておりました。

又、スタレビのメンバーのパーカッション&ボーカル、コーラス担当が、咽頭がんと診断され、2024年の1月に声帯を切除の手術を受けていた事も発表されました。

ファンの間では「スタレビの母」として温厚な人柄がよく知られている方です。

コーラスとしてと、声を失うという事は大変な苦難だと思います。スタレビのメンバーは過去の林”VOH”紀勝さんの演奏のデーターなどを駆使して、ライブを行っています。

林”VOH”紀勝さん自身も声を失った喪失感の中で

だまだ体力は戻りませんが、元気になればパーカッションもできるし、何より私は創業時のメンバーですから、そう簡単に忘れられちゃ困るんです。

日刊スポーツ2024年1月12日付(一部抜粋)

と決意を述べています。根本要さんが、どんなネガティブな経験でも、必ず花になると仰ってました。

近い将来4人でステージに立てることをお祈りいたします。

以上いかがだったでしょうか?スタレビのメンバーについて、楽曲『木蘭の花』についてなど、スポットを当ててみました。

 

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