さだまさしさんは、私moonが、若い頃から活躍されていた方です。確か、私が中学生の頃に、映画なども見に行った記憶があります。
又、さだまさしさんは、東日本大震災のあと、石巻の春日神社で屋外の無料コンサートなどを行って、地元の人を勇気づけた事を思い出します。
さて、そんなさだまさしさん、ビッグネームで色々な番組でお見受けする故なのか?長崎県のお生まれということ以外知らない事が多いので、現在のご家族の事などフォーカスしてみます。
さださまし 孫がいる?家族 出身地、ご実家、父、母。両親の出会い。
さださましさんは本名は佐田 雅志さん〈読みは同じ〉です、1952年4月10日に、長崎県長崎市のお生まれです。年齢は2024年10月現在で72歳です。
さだまさしさんはシンガーソングライターの他、俳優、映画監督、タレント、脚本・小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授などの肩書をお持ちです。
さだまさしさんが生まれ育った実家は、長崎県長崎市にある現在「自由飛行館」という喫茶店です。
元々は、さだまさしさんの母が経営しておりましたが、現在はシンガーソングライターとしても、活動されていたさだまさしさんの妹さんの佐田玲子さんが、引き継いで経営しております。
さだまさしさんのお父さんは、佐田雅人さんといい、樺太で生まれ、幼い頃にお父さん(さだまさしさんの祖父)を亡くし、女手一つで育てられました。
その後、満州に移り住み、陸軍に召集され、中国戦を戦います。ゲリラ戦を行う部隊の分隊長をしていて、勇猛な戦士だったようです。
さだまさしさんの父は激しい戦線の中、自らも重傷を負い、仲間に助けられましたが、一方、部下を二人失った事を悔いていました。
「殺したくて殺すわけじゃない。殺さなくては自分が死ぬとなった時、人は自分が生きることを選ぶんだ」と話していたことがありました。父は戦争を否定も肯定も美化もしませんでした。
読売新聞オンライン2020/11/4
のちに、さだまさしさんがインタビューで上のようにお話されています。戦争の凄まじさと、残酷さを経験した人の言葉だと思います。
戦後、復員した佐田雅人さんは、仲の良い戦友の岡本忠さんにかねてから紹介されていた妹の岡本喜代子さんと兄の忠さんの強い勧めもあり、結婚します。
さだまさし孫がいる? 若い頃。友人と組んだ『グレープ』でデビュー
佐田雅人さんと岡本喜代子さんが結婚し長男として生まれたのが、さだまさしさんでした。
さだまさしさんの幼い頃は、父が大規模に材木商を行っていて、大きな豪邸に住んで、3歳の頃から当時でヴァイオリンを習っていたというさだまさしさんですが、
妹の佐田玲子さんが生まれた1957年の諫早の大水害( 7月25日~7月28日 日降水量1,000mmを超える局地豪雨。 死者586名、行方不明者136名)によって父の事業の材木商の材木が流され、生活は一転します。
一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなってしまいます。しかし、さだまさしさんのヴァイオリンの素質は高く、小学6年生で毎日学生音楽コンクール西部地区(九州地区)で2位の成績を修めます。
ヴァイオリン指導者として高名な鷲見三郎氏に認められ、長崎市立西北小学校卒業後、中学1年生のときヴァイオリン修行のため単身上京しています。
しかし、ヴァイオリン奏者としての道は厳しく、さだまさしさんの第一希望の高校は、ハードルが高く受験に失敗してしまいます。
さだまさしさんは、國學院高等学校に入学しますが、ヴァイオリンへの熱が薄らいでゆきます。代わりにさだまさしさんは、ギターや作詞作曲を始めたといいます。
さだまさしさんは高校卒業後、國學院大學法学部に進学しますが、大学は数ヶ月程度で中退して、アルバイトなどをして、生活を繋いでいました。
しかし、さだまさしさんは、肝炎を患い、故郷の長崎に戻ってしまいます。
友人の吉田正美さんがさだまさしさんの家を訪ねてきた際、吉田正美さんが東京の勤め先に無断欠勤、失踪状態である事を知り、叱りつけ東京に返すつもりで会ったら、思わず「おい、よく来たな!」と言ってしまったといいます。
この話は、なんかとてもさだまさしさんらしい気もします。そして、さだまさしさんは当時の吉田拓郎さんの活躍に奮起して、吉田正美さんと結成したのが『グレープ』でした。
グレープは、紆余曲折はありましたが『精霊流し』、『無縁坂』、『縁切寺』等のヒット曲を連発します。
グレープの楽曲は暗いというイメージが染みつかぬよう、明るめの曲もリリースしますが、全然売れず、さだまさしさんたちのやりたい思いと違ってきたという事で1976年に解散しております。
さだまさしの孫 兄妹の事、楽曲の中のリアルな歌詞は?
さだまさしさんのご家族の話に戻りますと、さだまさしさんがお生まれになった1952年から2年後に弟の佐田 繁理(さだ しげり)さんが、1954年12月13日に生まれます。
佐田繁理さんは、サッカーで長崎南山高等学校時代に長崎県選抜に選出され、九州大会に出場します。
卒業後の1973年に台湾大学へ留学し、サッカー部で有力選手となり、1975年に香港サッカーリーグの『東方足球隊』でプロサッカー選手としてプレーします。
大学へ復学する為、1年だけの選手生活で引退していますが、日本人初のプロサッカー選手だったのではないかと言う説もあります。
その後は英語の勉強のためニュージーランドへ語学留学している事からも、文武両道に優れた方なのだと思います。現在はさだまさしさんの個人事務所の社長さんとして活躍しておられます。
その後、先述の妹さんの佐田 玲子(さだ れいこ)さんが、1957年5月7日に、お生まれになりました。
佐田玲子さんは、さだまさしさんがプロデュースした『白鳥座』と言うフォークグループでデビューしています。
1989年に「くらやみ乙女」(作詞作曲・中島みゆき)と言う楽曲でソロデビューを果たしています。
2005年からは歌手の沢田聖子(さわだ しょうこ)さん(1980年代には知る人ぞ知る歌手の方です。)と「THE 4/9」(ザ・フォーク)と言うユニットを組んで音楽も活動されています。
弟の繁理さんの事を歌った楽曲には『ヨシムラ』と言う楽曲があり
怖いものなしで生きて来たと思ってた弟が酒に酔った勢いで告白したことがある実は子供の頃のこと 同じ町内に住んでいたヨシムラって奴が かなり怖かったということを
アルバム 『家族の肖像』から『ヨシムラ』
なんて曲や『親父の一番長い日』の冒頭の一節にも登場します。
しかし、なんと言っても、元気でいるか?街には慣れたか?友達出来たか?で始まる『案山子』と言う楽曲は、さだまさしさんが留学中の弟、佐田繫理さんの事を歌ったものです。
そんな風にご家族の事をつぶさに、又、赤裸々に楽曲にしているさだまさしさんですから、妹さんの事も当然歌っています。
さだまさしさんの妹の佐田玲子さんを意識して作った曲は「雨やどり」「秋桜(こすもす)」「親父の一番長い日」などがあります。
親父の一番長い日の中に、こんな一節があります。
暗闇の中で何かをきっかけに 灯りが見えることがある そんな出来事だったろう
恐らく、妹さんが生まれたのちの大水害にオーバーラップしたのかもしれません。
どの曲も、結婚や嫁ぐ娘の心情を歌ったものが多いのですが、実際の佐田玲子さん自身は、未婚だ(2024年10月現在)と言う事を今回初めて知りました。
どれもリアルすぎて、実際にあった話だろうと、誰もが思うところですが、さだまさしさんの想像力の素晴らしさです。
さだまさしさんの語彙力の豊富さと幼い子供が肉親を失ったらと想像するような純粋さ故に『秋桜』のような詞が生まれたのだろうと思います。
さだまさし 孫がいる? 妻、息子、娘、娘の旦那はあのグループ?
さだまさしさんの現在のご家族ですが、妻は元キャビンアテンダントの丸映子さんと言う方です。
二人はフライト中に出会い、さだまさしさんが奥さんになる丸映子さんと、機内でお話する機会があり、名刺を渡したのが、馴初めだそうです。
二人がご結婚したのは1981年で、丸映子さんが24歳の頃、さだまさしさんとは5歳年下の方のようです。
お二人には、娘さんと息子さんがおります。お二人も又、マルチに活躍するアーティストです。
お兄さんと妹さんで、長男の佐田大陸(さだ たいりく)さんは1984年8月11日の生まれ。今年40歳です。
ヴァイオリンに関しては、父以上の才能を備えておられたのか?東京音楽大学附属高等学校で音楽の基礎を学び、その後は桐朋学園大学音楽学部から大学院に進学します。
現在は3人組の音楽ユニット『TSUKEMEN』のリーダーであり、ヴァイオリン奏者です。
このユニット名はさだまさしさんが、3人に、「お前ら、イケメンってほどじゃないからツケメンくらいだろう。」と言ったのを、三人の頭文字にMENを付けて「TSUKEMEN」になったのだとか。
佐田大陸さんは、2014年末に自身のブログで一般女性と結婚したことを発表し、翌年の2015年にはお子さんも生まれております。さだまさしさんにとっては、お孫さんですね。
娘さんは佐田 詠夢(さだ えむ)さんといい1987年6月8日の生まれです。
やはり音楽家で、3歳からピアノを始め、6歳の時にピアニストの松﨑伶子さんの演奏を聴き、松崎玲子さんが教鞭を振るう洗足学園高等学校音楽科に進み、洗足学園音楽大学ピアノコースへ進む事になります。
洗足学園音楽大学を首席で卒業すると、2011年から紅林弥生さんとペアを組んでクラシック音楽ユニット『Pretty Bach』を結成、世界を股にかけて、活躍されております。
又、2015年にアカペラのユニットで有名な『ゴスペラーズ』の北山陽一さんとご結婚されております。
以上、さだまさしさんにつきましては、まだまだ面白い、興味深いお話もたくさんありますが、今回はご家族を中心にご家族の事を調べてみました。皆さん、素晴らしい経歴とご苦労と、感性とを兼ね備えたご家族だったんですね。
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