今回はダイアモンド☆ユカイさん、元妻や、レッドウォーリアーズのシャケさんを中心にご家族関係が面白いなと思ったので、細かく書いてみたいと思います。
正直に言います。実はレッドウォーリアーズの楽曲をほとんど知りません。もちろんお名前は知っておりますし、最速1年でメジャーデビューを果たし、コアなファンが多くいらっしゃることは、解っておりましたが。
私が、ダイアモンドユカイさんの事を知るきっかけは、あれ程、ロックな楽曲を歌うダイアモンドユカイさんが、なんと、吉田拓郎さんの『外は白い雪の夜』をカバーしていたのを聴いた事でした。
そんな色々意外なダイアモンドユカイさんと、レッドウォーリアーズをフューチャー!
ダイアモンドユカイの元妻は元○○。木暮武彦(シャケ)の元妻は?
レベッカは、1982年2月に木暮武彦さんが埼玉の地元の仲間に声を掛け集まった方たちで作ったバンドです。
しかし1985年1月、ディレクターとロックばかりじゃなく、ポップスもやるように言われ、喧嘩をしてしまい、木暮武彦さんとドラムスの小沼達也さんがバンドを脱退してしまいました。
バンドの発起人かつ作曲者でもあった木暮武彦さんの事実上の追放により存続の危機を迎えてしまうのですが、ギターとドラムに新たにメンバーを入れ、路線を変更して「フレンズ」を皮切りに「RASPBERRY DREAM」「MONOTONE BOY」「MOON」などヒットシングルを連発します。
一方、木暮武彦さんとレベッカのボーカル・NOKKOさんは恋人関係にあり、NOKKOさんがレベッカに入る前に、アメリカに二人でデモテープの売り込みに(と言う事になっています)行っていますが、逃避行と伝えられたりもしました。
この時の逃避行(?)のことを歌っていると言われている曲が「ルシアンヒルの上で(RED WARRIORS)」です。
これが事実なら、デモテープの売り込みより、恋人同士のように見えますね。
木暮武彦さんがレッドウォーリアーズの脱退騒動の際にNOKKOさんとの破局を迎えましたが、その後再び恋人同士となりました。
後の1990年に結婚してアメリカで結婚式を挙げましたが、結婚生活は長くは続かず、結婚から3年後に離婚となりました。
ダイアモンドユカイ元妻とはレッドウォーリアーズ再結成の時期に!
自分で立ち上げたバンドでしたが、ロック色の強い木暮武彦さんの楽曲でヒットしにくいという事で、事実上のレベッカから追放となってしまった木暮武彦さん。
一緒に退団した小沼達也さんとそれに新メンバーとして、ギターとボーカルの田所豊さんを迎えて、新たなバンドを結成します。この「田所豊」さんはのちにダイアモンドユカイを名乗る事になります。
レベッカと言うバンド名は木暮武彦さんが付けた名前でケイト・ダグラス・ウィギンの小説『黒い瞳の少女レベッカ』(原題:Rebecca of Sunnybrook Farm)から引用した名前でこだわりがあったようです。
その為、初めの内は「レベッカ♂」というバンド名だったと言います。後に一時期「THE RED WARRIORS」と名乗っていた時期もありました。
レベッカを追い出された木暮が、50音順でも、アルファベット順でも、レベッカの前後に来るようにライバル心をもってバンド名をつけた」
1988年発売「ロックファイル」(宝島社)
と言う事のようです。レッドウォーリアーズは、その後1989年に解散をしております。そして、1996年に再結成されます。
ちょうど、その頃ダイアモンドユカイさんとダイヤモンドユカイさんの元妻の三浦理恵子さんは1996年6月に出会う事となります。
ダイアモンドユカイの元妻はアイドル!現在の奥さんに「俺が生きているうちは、お前を守る!」
さて、ダイアモンドユカイさんの元奥さんは、1997年11月 に結婚した 元アイドルグループCoCoの三浦理恵子さんであります。
CoCo(ココ)は、1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、女性アイドルグループで、『パラダイスGoGo!!』は、大ブレイクした同局の『夕やけニャンニャン』の2年後の番組です。
ダイアモンドユカイさんと三浦理恵子さんは1996年6月の友人宅のホームパーティーで出会いました。ダイアモンドユカイさんは交際が報じられていた飯島直子と破局した直後だったようです。
その場でダイアモンドユカイさん自身が出演するミュージカルに三浦理恵子さんを誘い、交際が始まりました。
順調に交際を進め、デートを重ねたダイアモンドユカイさんと三浦恵理子さんの2人は1997年3月、渋谷の路上でどちらからともなくプロポーズをし、4月からは結婚前提の同居を始めました。
6月には両家の家族とともにハワイで挙式を挙げて11月25日に入籍します。その際当時24歳の三浦理恵子さんは、「亭主関白になります。豊臣秀吉のような夫です」と宣言するダイアモンドユカイさん(当時35歳)に、三浦理恵子さんは「どこまでもついていきます」と語りました。
ダイヤモンドユカイ、元妻との誓いから4年で破局。木暮武彦は現在3人目の奥さんと幸せに。2番目の妻の子供はなんと!
しかし、多忙な上に個性的な2人だけに、4年で破綻し、2001年11月に離婚してしまいました。その後、ダイアモンドユカイさんは2009年に一般女性と再婚。男性不妊治療を経て、2010年に長女、翌年に双子の息子を授かっております。
2023年の8月のインタビューで「長女が、アーティスティックスイミングをやってるんですよ。オリンピック目指してんの、要するに。そのために大阪のチームに入って頑張っている。『じゃあ、私は放っておけない』ということで妻が大阪に行くことになった」って、別居婚状態であることを伝えました。
双子の男の子は、ダイアモンドユカイさんと生活をして、奥さんとはそれぞれの拠点で子育てをしていると言う事のようです。又「学校のPTA会長もやっている」との事です。
こんなエピソードもあります。ダイアモンドユカイさんの奥さんが、目の検診に行った際、妻が徐々に視野が欠けていく緑内障にかかっていることが発覚し、失明の危険もあるため「迷惑かけられないから、別れましょう」と切り出されたのだという。 思わぬ告白に「生きてるうちは、オレが守るから」
泣きながら奥さんに伝えると、「はい」と言う返事だったと言う事です。「タンポポのような人」とダイアモンドユカイさんが、テレビ番組で奥さんの事を語っておりました。
木暮武彦さんは、NOKKOと1993年に離婚後、又、ロックミュージシャンのチエ・カジウラさんと言う方と再婚をなさいます。
テレビアニメ『マクロス7』の作品で登場するFire Bomberというロックバンドのボーカルを務めていた知る人ぞ知るアーティストです。
二人の間には 1997年10月2日に誕生した娘さんがおります。娘さんは子役から活躍をされていて、当初「梶浦花」を名乗ってましたが、後に「杉咲花」となります。
えっ!って感じです。杉咲花さんの父が、木暮(シャケ)武彦さんだったとは!
しかし、後に離婚、その後、一般女性の方と再再婚となり、現在は息子さんもおられ幸せに暮らしておられるようです。
ついでに何故、木暮武彦さん「シャケ」と呼ばれているか?と言うと、表向きはSHAKEを文字ったということにしてるのですが、実際は顔が鮭に似てるからだと言います。(笑)
本人もよく漢字を間違われるようで『木暮』→『小暮』間違われると、「俺はデーモンじゃねぇ!」と・・・・・「サーモンだ!」
おあとがよろしいようで。
以上、ダイアモンド・ユカイさん、元の妻の事、レベッカ、レッドウォーリアーズ、そして木暮武彦さんの気になる情報をお知らせしました。
コメント