BLANKEY JET CITY ブランキージェットシティと言うバンドは、2000年に解散して以来、もうすでに26年間も経ちましたが、今も尚、コアなファンは多いようです。
1990年、バンドブームの真っ盛りにデビューし、その後、10年間スリーピースロックバンドとして、活動を始めます。
当時、同じ時代にいたビジュアル系ロックバンド、ポストパンクロックバンド等がひしめく中、頭角を現します。今回は、ブランキージェットシティのメンバーの詳細を。
ブランキージェットシティ若い頃!メンバーのプロフィール。
ブランキージェットシティは、1990年に活動を開始するスリーピースロックバンドです。今でも若いファンの方も少なくありません。
先ずはメンバー紹介ですが、ブランキージェットシティの3名は、このバンドに10年間に渡り、心血を注ぎますが、バンドの解散以降も、日本のロックシーンにおいてそれぞれが大きな役割を果たしています。
バンド名は、不良少年たちが作る架空の街の名前だと言う事です。
メンバーは?(※年齢は全て2026年6月現在)
🔵浅井 健一(あさい けんいち)さん、1964年12月29日生れなので、61歳ですね。ブランキージェットシティのギタリストであり、ボーカルを務めます。
愛知県名古屋市千種区猪高町(現・名東区)のこ出身です。
愛称は、ベンジーと呼ばれていますが、これは映画「グローイング・アップ」の主人公・ベンジー少年に似ていることから、メンバーの照井利幸さんが名づけました。
この愛称は、椎名林檎さんの『丸の内サディスティック』の中で”ベンジーが肺に映ってトリップ”や、”そしたらベンジー、あたしをグレッチでぶって”なんて感じで登場します。
浅井健一さんが、グレッチのギターを使用している事なども含めて、椎名林檎さんらしいオマージュとして受け入れられているようです。
椎名林檎さんが、ブランキージェットシティの楽曲の影響を強く受けている事が解ります。歌詞も、受け取り用によっては、かなり官能的な部分とぶっ飛んだ部分が曖昧に融合してます。
又、浅井健一さんは、自社のインディーズレーベルSEXY STONES RECORDSの代表取締役社長も務めています。
音楽活動の傍ら、絵画の個展も開くほど、ポップアートのテイストのデザイン画などの才能もある多才な方です。
🔵照井 利幸(てるい としゆき)さんも、愛知県のご出身です。1964年2月28日生れなので62歳です。ベースを担当されています。
照井利幸さんは、「BLANKEY JET CITY」解散後、複数のアーティストとの共演やソロプロジェクトなどで活動されていますが、ベースの他に、ギターや、キーボードも熟すマルチプレーヤーです。
ブランキージェットシティの解散後、ファッションデザイナーの方と、アーティスト集団Signals(シグナルズ)を主宰されたり、映画音楽を多く手掛けたりされております。
🔵中村 達也(なかむら たつや)さんは、1965年1月4日生れ、61歳です。ドラムスの担当をされていました。富山県の出身です。
中村達也さんは、高校生の頃から、バンド活動をされていて、映画『ストリート キングダム』の中にも登場した日本のパンクバンドの黎明期に活動していた、遠藤ミチロウさんが率いる『ザ・スターリン』でも活動されていたそうです。(映画内では”解剖室”と言うバンド名)
又、ハイスタンダードの横山健さんも所属していた『原爆オナニーズ』と言うパンクバンドにも所属していた時期もあります。
ブランキージェットシティ若い頃!TV番組の”イカ天”出身!
浅井健一さんは、中学時代は成績優秀で、愛知県立長久手高等学校に入学します。しかし、当時(moonも同世代なのでよくわかりますが)高校の規則はくだらないモノが多く、
教師に反発ばかりしていました。もちろん成績も落ちますが、その頃の浅井健一さんは、暴走族の仲間とつるんでいて、バイクレーサーを夢見て、友人に「俺がレーサーになるから、お前がエンジニアになれ!」なんて言っていたそうです。
しかし、高校3年生の2学期の頃に浅井健一さんはバイク事故を起こし、足を骨折。入院を余儀なくされ、出席日数が足りず、高校を退学してしまいます。
浅井健一さんは、療養中にギターを手に取った事が本格的に音楽を始めたきっかけとなったと言います。
一方、名古屋市で育った照井利幸さんは、出来たばかりのディスコにヤンキーだった友人に誘われ、そのパンクロッカー達が屯するディスコに出入りしているうちに、その中の知り合いから、高所の工事作業などを紹介され生活の糧としていました。
照井利幸さんは、全然弾けないのに、貯めたお金でウッドベースを買い、アメリカ出身でイギリスで大人気となったロカビリーバンドのストレイキャッツのMTVのビデオを録画したものを繰り返し見て独学でベースの練習をしたと言います。
浅井健一さんも、照井利幸さんも、二人とも自ら自分の事を『かっこつけ』だと話しており、そんな二人が、ディスコで知り合う事になったのは、1983年頃。
おなじ年の二人は、スキャッツと言うバンドを組むことになり名古屋での活動を続けますが、やがて、浅井健一さんは名古屋の街を出て上京、その後、照井利幸さんも上京します。
その頃、元々、ブランキージェットシティのドラマーには中村達也さん以外の人がいて、中村達也さんは、マネージャーのような役割を果たしていましたが、
ドラマーが脱退して中村達也さんに変わります。1990年8月4日、TBS系の『三宅裕司のいかすバンド天国』に出ます。
ライブ動員数を増やそうと、中村達也さんの提案で出場しました。この番組は今でも、アラカンのオジサンたちの中では話題になりますが、
JITTERIN’JINN(ジッタリン・ジン)や、たま、フライングキッズなど、多くのバンドにとって登竜門となります。
毎週勝ち抜いて行くオーディション形式の番組で、非常に人気があり、毎週楽しみにしていたものです。
番組としてはこの年(1990年)の12月で幕を閉じるのですが、ブランキージェットシティは、あれよあれよという間に、5週勝抜き、みごと〈6代目グランドイカ天キング〉となります。(1990年8月4日 – 9月8日放送)
ブランキージェットシティ若い頃!解散理由とリスペクトする人たち
”6代目グランドイカ天キング”になると、すぐにメジャーデビューが決まります。
その後は、シングルは不定期ながら、アルバムは1年に1枚くらいのペースで着々とリリースを続け、ライブ会場は常に満員状態でした。
歌詞が過激すぎて、インディーズのレーベルからの発表となった『悪いひとたち』はインディーズランキングで1位となります。
浅井健一さんが綴る単純だけど、あまり使われない言葉の歌詞。プロテスト(政治批判)の要因よりも、自身がおかしいと思う事をメロディに乗せます。
それが、照井利幸さんのベースと、中村達也さんのドラムのテクニックが融合し、バンドは唯一無二のモノとなって行きます。と
1996年頃になると、それぞれのメンバーが、ソロ活動を開始します。2000年7月8、9日に行われた「LAST DANCE」と銘打った解散コンサートは、二日間で2万6千人を動員して、
メジャーデビューから10年。三人はそれぞれの道を進むべき、「ブランキージェットシティとしてやれることは全部やった。」と言う思いが3人の気持ちが一致します。
完全燃焼だとインタビューなどでも伝え聞きます。
多くのファンに惜しまれながらの解散でしたが、中途半端に活動を続けることにかっこ悪さを感じたとしたら、”カッコつけ”を自負するブランキージェットシティは、一番かっこいいラストだったのだと思います。
解散から、26年経っていますが、未だに多くの芸能人やミュージシャンが、リスペクトを続けます。又、交流関係も多く伝えられています。
亡くなられてしまいましたが、ザ・スターリン(THE STALIN)遠藤ミチロウさんや、ミッシェルガンエレファントのチバユウスケさんとも交流は深かったようです。
影響を受けたと言う方も多く、先述の椎名林檎さん、嵐の二宮和也さん、King Gnu(キング ヌー)の常田大希さんや、[Alexandros]([アレキサンドロス])のギターリストの白井眞輝さん、元JUDY AND MARY(ジュディ&マリー)のギターリストのTAKUYAさん、元ポルノグラフティの白玉さん等など。
又、竹内まりやさんは、浅井健一さんのイラストをジャケットにしたことでも知られています。
ファンとして公言してる芸人さんには、千原ジュニアさんや、バイきんぐの小峠英二さん、フットボールアワーの後藤輝基さんも大ファンの様です。
又、一風堂の土屋昌巳さんや、タモリさんなど、世代を越えて色々な方から支持されています。
のちに中村達也さんは、斉藤和義さんとMANNISH BOYS(マニッシュボーイズ)と言うユニットを結成して今も、定期的にライブなどを行っております。
中村達也さんに関しては、仲井戸麗市さんや、蔦谷好位置さん、亡くなったチバユウスケさんらとのユニットも話題に上りました。
ブランキージェットシティ若い頃!それぞれの家族の詳細など!
さて、プライベートでは、浅井健一さんは、モデルの小野寺マリさんと1996年に結婚、3人のお子さん(長女、長男、次女)がいますが、2018年に出版した著書『宇宙の匂い』の中で離婚していることを明らかにしております。
1997年に第一子の長女・守里(しゅり)さんが誕生すると、5年後2002年11月10日に第二子の長男である小次郎さんが生れます。
さらに5年後となる2007年2月1日に第三子の次女・里緒(りお)さんが生れ、皆さん高身長で、長女の方は去年(2025年)嫁ぎ、長男はモデルとして活動されています。
次女は高校時代からモデルとして活躍されている方です。小次郎さんは、”浅井”とのゴロが良いからという理由ですが、守里さんは、故郷(地球)を守る、里緒さんは、地球を繋げる結ぶと言う意味だそうです。
壮大ですが、浅井健一さんは地元・名古屋を大切に思い、地域を大事にすることが、やがて世界を、しいては地球も大事にする事に繋がるとの想いでしょう。
長女が生まれた時に書かれた曲『赤いタンバリン』はその時の心境を綴ったものの様です。
照井利幸さんについては、ご結婚されていて、お子さんもいるらしいと言う程度しか情報がありませんでした。
中村達也さんは、バツイチで、その後再婚し、前妻の間に娘さんがおり、現在『ナカムラルビイ』として、複数のバンドでサックス奏者や、ボーカリストとして、又、女優としても活躍されています。
現在の中村達也さんの奥さんとの間には、お子さんがお二人いるようです。
少し前ですが、中村達也さんは2018年1月、中村達也さんは東京都世田谷区の路上で40代の男性が、ライブ打ち上げ後の仲間に失言をしたと言い、男性の足などを蹴り怪我を負わせた傷害の容疑で逮捕・書類送検されるなんて事件もありました。
仲間想いなところって事でしょうが、つい手を(足を)出してしまったのでしょうね。
いかがだったでしょうか?イカツイ熱さと優しさを持ち合わせながら、それぞれの音楽のスタンスを貫いているブランキージェットシティのメンバーの皆さんの詳細などをまとめてみました。


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