レミオロメン、かなり知名度の高いバンドだと思いますが、一度、活動停止されていています。それでもボーカル、ギターを担当するメンバーの藤巻亮太さんの名前は時折耳にしました。
『三月九日』や『粉雪』などエモーショナルな楽曲は、皆さん知るところでしょう。
2025年に復活しており、ファンには嬉しい報告となりました。今回はこの不思議なバンド名の由来や出身地、メンバーの詳細、活動停止から復活に至る心境などに迫ります。
レミオロメン復活!3人のメンバーのプロフィールと年齢・出身地!
レミオロメンが活動を始めたのは2000年も、もうすぐ終わる12月でした。メンバーは
(年齢は全て2026年9月1日現在)
🔵藤巻亮太(ふじまき りょうた)さん 1980年1月12日生まれで、46歳です。ボーカル、ギター、作詞、作曲 の担当をされています。
🔵前田啓介(まえだ けいすけ)さん 1979年9月11日生まれで間もなく47歳です。ベースや作曲、編曲を担当されています。
🔵神宮司治(じんぐうじ おさむ)さんはドラムス担当です。1980年3月5日生まれの46歳です。
全員同じ年齢ですが、それもそのはず、全員、山梨県東八代郡御坂町(現笛吹市)出身で、小・中・高校と同じで前田啓介さんは高校を中退していますが同級生と言う事です。
今までそれなりに、バンドのプロフィールなどを書いてきましたが、小学校から三人とも一緒と言うのは稀だと思います。とは言っても、最初から(小学生の時から)仲が良い友人という訳でもありませんでした。
レミオロメン復活!ボーカル・藤巻亮太の実家は果樹農家。
藤巻亮太さんのご実家は、葡萄や桃を作る果樹農家です。
藤巻亮太さんは藤巻さんは3人兄弟の長男で、中学生の頃は家の中で演歌が流れている事が多かったそうです。
小学生の頃からサッカーに夢中で、中学校での部活動は サッカー部に所属し、ポジションは左・右ハーフを担当していました。
藤巻亮太さんは、藤巻亮太さんは、奥田民生さんに憧れてギターを手に入れる為に、中学3年生の夏休みに実家の果樹の出荷の手伝いをしました。
そのアルバイト代のお金を貯めて、ギブソン社のレスポールのギターを購入しました。
中学生の時に購入したギターは、長年に渡り、名曲を生み出す事になり、現在も現役だそうです。
後に奥田民生さんと対談をした際に、奥田民生さんからサインをしてもらったと嬉しそうに報告されていました。
サッカーの朝練とアルバイトを両立させるのは大変だったようです。高校では、後のメンバーとなるの2人と同じブラスバンド部で活動します。トロンボーンを担当していました。
その頃から、三人でのバンド活動が始まっています。
前田啓介さんの実家のご職業は解らないのですが、お祖父さんが畑を持っていたようです。
前田啓介さんは、小学生の頃、伯父さんが理容師をやっていて、その伯父さんから大量のレコードやレーザーディスクをもらった事が、引鉄となり音楽にハマってゆきます。
中学時代に4歳年上の兄からギターを習いその後、ベースに転向します。きっかけは、兄が組んでいたバンドのベースの人のベースを触らせてもらってベースと言う楽器に興味を持ちます。
そのギターを教えてくれた兄も、プロのミュージシャンの和太鼓奏者、マルチプレイヤー、作曲家の前田タクヤさんです。
前田タクヤさんの奥さんが作曲家でピアニストの大嶽香子さんなので、義理のお姉さんとなります。
藤巻亮太さん、神宮司治さんとは高校のブラスバンド部で親しくなります。高校でも「おさむさんバンド」と言うバンドを組んで、神宮司治さんと共にパーカッションを担当していましたが、前田啓介さんは高校を中退してしまいます。
前田啓介さんは、ご自身でも自分の性格について協調性が無いと仰っています。みんなで足並みをそろえる事に違和感をおぼえるのかもしれません。
前田啓介さんは、高校中退後、上京して音楽系の専門学校に通います。この専門学校の先生が、ロンドン出身の方で、その伝手でロンドンに一年間の留学をします。
専門学校時代の知り合いから、聞いたと言う『フライングキッズ』の浜崎貴司さんのソロ活動の為のベース担当のオーディションを受け合格して、プロとしての道を歩み始めます。
レミオロメン復活!神宮司治の実家の布団店。中学1年でドラムを!
神宮司治さんは、ご自身の事を好奇心旺盛で、探求心が強いと自己分析されていますが、これは、高校時代に組んだ『おさむさんバンド』に専念する為、ブラスバンド部を止めたと言うエピソードからも感じ取れます。
神宮司治さんの実家は、布団店を営んでおります。三人兄弟の次男で、兄と弟が居ります。3歳年上の兄から中学一年生の頃にドラムを習いました。
この辺の事情を見ている藤巻亮太さんは、自身が長男である為かもしれませんが、お兄さんやお姉さんがいる人の方が、上からの影響で音楽に詳しく小さい頃から音楽に触れている人が多かったとお話されていました。
藤巻亮太さんはやはり上に兄弟のいらっしゃる友人の勧めでクイーンのボヘミアンラプソディーを聞き、UKの音楽も多く聴くようになったそうです。
話を神宮司治さんに戻します。
神宮司治さんは、高校のブラスバンド部でパーカッションを叩き、音楽を続けたいと両親に話をしますが、反対され、大学進学への進路を選びます。
高校推薦で理系の大学に進学しますが、1年間で中退してしまい、その後、興味のあった看護系の学校に入学します。
その頃、藤巻亮太さんは群馬県にある前橋工科大学工学部に進学し、3年生になり就活の時期に入っていましたが、音楽の道を諦めきれず、悶々とした日々を送っていました。
ある時、友人で、東京ですでにプロになっている前田啓介さんに相談して、スタジオで音合わせをすると、藤巻亮太さんはこの道しかないと確信したのだそうです。
そしてバンドを結成します。高校時代に一緒に活動していた神宮司治さんにも声を掛けます。
その時「ドラムを叩きたければ叩かせてやるよ。」と言う上から目線にも関わらず、神宮司治さんはバンドに加入します。
それでも、プロになろうとする藤巻亮太さんと、プロである前田啓介さんと、看護学校に通い、着実な道へ向かう神宮司治さんとの間には、隔たりがあったと言います。
神宮司治さんは学校も音楽も両立できればと思っていたのかもしれませんが、徐々に音楽へ向かう事になり、看護学校を辞め、バンド活動に専念します。
しかし、そうはいっても、群馬県での路上ライブや、下北沢のライブハウスでの集客は伸び悩みます。
3人で月1回ほど練習し、東京や前橋市内でライブをしたが、動員はなかなか増えなかったという。「プロになりたいと言いながら、箸にも棒にもかからない状態でした」
出典:2024年1月15日付 朝日新聞 藤巻亮太インタビュー記事
藤巻亮太さんは、大学を無事に卒業しますが、「8月まで結果が出なければ、解散する。」と決めて、全員が実家のある山梨に戻り、地元の神社である埋草神社の母屋(当時空家だった)を知り合いから格安で借ります。
そこを、防音の為に壁に毛布を貼ったりしてスタジオに改装して毎日練習を始めます。
勿論、そのような造りの手作りスタジオですから、近所に音はダダ洩れしており、
「農家のおじさんやおばさんから『新曲覚えたよ』とか言われました。その優しかった空気感は原点ですね」
出典:2024年1月15日付 朝日新聞 藤巻亮太インタビュー記事
そう言う空気感に支えられたのか?背水の陣で臨んだことが良かったのか?数か月で、音や楽曲、歌詞などが徐々に変わり始めていました。
それに伴い、徐々に結果が出始めた為、その神社の母屋での練習や活動は1年間続き、2003年3月12日にミニアルバム『フェスタ』でインディーズデビューを果たします。
レミオロメンとして活動を始めて凡そ2年3か月過ぎていました。
4月になると神社の母屋の掃除をし、一年間溜めたゴミ出しをして、三人は『神社時代』を終え、上京します。その時の様子はCS放送の番組でも報道されました。
2003年8月にはメジャーデビュー。シングル『電話』11月にはアルバム『朝顔』をリリースします。
一年後の2004年3月9日に3人の共通の友人の為に結婚記念日をお祝いして『3月9日』を書き下ろし、3人の母校である御坂中学校で『3月9日御坂中学校体育館ライブ』を開催します。
オリコンでも11位と言うヒット曲となります。
そして、この曲の歌詞やメロディラインは多くの人に受け入れられ、結婚記念日よりも、卒業(式)の季節の定番となり、20年以上過ぎた現在でも歌い継がれています。
レミオロメン復活!不思議なバンド名の意味?前田啓介は農家に?
さて、ネットでは探せなかったのですが、以前タモリさんの『笑っていいとも!」の確か『テレフォンショッキング』にデビュー直後のレミオロメン全員だったかと記憶しているのですが、出演してその時にこの不思議なバンド名についてタモリさんが聞いていました。
じゃんけんで勝った人が1文字、2番目が2文字、3番目が3文字となり、藤巻さんがレディオヘッドの「レ」、ドラムの神宮司治さんが当時付き合っていた彼女ミキちゃんの「ミ」と自分の名前の治の「オ」で「ミオ」、ベースの前田啓介さんはこち亀の表紙に路面電車が描いてあり、そこから「ロメン」。
J-WAVE SEIKO SOUND STORAGE2019年3月1日付
タモリさんとお話をしていた時には、確か、前田啓介さんが「路面電車が好きだから。」と話をしていたように思うのですが、まぁ、どちらでもいいですね。
ドラムの神宮司治さんはその後、ミキさんとはどうなったのかは解りませんが、現在、結婚の報道は無く、独身ではないかと言われていますが、古いログなどでは、20008年頃に結婚されてお子さんもいらっしゃると言うウワサレベルの話もあります。
前田啓介さんは、ご結婚されているようです。しかし、ご結婚の時期やお子さんなどの情報は無く、既婚者であると言う事だけが解っています。
そして、藤巻亮太さんは、大学時代に知り合った看護師の方と2004年5月に結婚しております。
その後、2005年6月に長男が産まれたと、2006年5月16日発売の週刊女性の記事から読み取れます。
2004年は3月に『3月9日』を発表した年で、レミオロメンが軌道に乗り始めた時期です。
そんなレミオロメンでしたが、メジャーデビューから10年くらいの2012年になると、活動停止してしまいます。
ヒット曲を連発して、大きなホールでのライブも次々成功裏を納めますが、メンバーひとり一人の胸に、去来するものは、”燃え尽き感”があり、”それぞれの軌跡の確認”が必要になったのかもしれません。
その後、藤巻亮太さんはソロ活動を発表し、活躍を続けますが、のちに、解散理由について、
藤巻:レミオロメンを10年やってきた中で、レミオロメンの文脈とは違ったり、バンドで共有するにはあまりにもプライベートなことを歌として吐き出したいと思ってしまったんですよね。2010年に結成10周年のツアーを回ったんですけど、それが終わったあと、自分にとってリアリティーを持って歌えることが何かを考えたら、そこに触れないわけにはいかないと感じてしまって。ここでその自分の中に溜まったドロッとしたものに向き合っておかないと、これから先やっていけないと思ったんです。それでソロを始めました。
出典:SINRA.NET 2015年5月13日付
これは藤巻亮太さんの立場からですが、神宮司治さんも、活動の場を広げて行く事に前向きだったようですし、同じようなレミオロメンに燃え尽き感を抱いたのかもしれません。
前田啓介さんと神宮司治さんには不思議な共通点があります。二人ともオリーブが大好きで、神宮司治さんは、オリーブオイルのソムリエの資格を取るほどです。
前田啓介さんに至っては、音楽と全く関係のない農業を山梨県で『笛吹オリーブ 前田屋』としてオリーブ農園を開始します。
前田啓介さんは、東京の生活に虚しさを感じ始め山梨に戻り、地元の農家の方と、酒宴などで話を聞くと山梨には沢山の特産物がありますが、組み合わせや繋ぐものとしてオリーブオイルを思いついたのです。
温暖な気候の場所で作られるイメージのオリーブを、敢えて山梨で栽培を行い、地元の食材と融合出来ないだろうかと猛勉強を始めます。
とは言っても4~5年目には、植えた若い苗木の殆どが、143年振りと言われる干ばつで枯れてしまったり、地元では誰もやっていない事なので、相談もままならない暗中模索の状態で苦労は尽きなかったようです。
しかし、製造されるとすぐに完売するくらい評判がよく、『OLIVE JAPAN2021 国際オリーブオイルコンテスト』で銀賞を獲得しています。
音楽も、オリーブオイルも作る作業や人々に与える感動には数多くの共通点があるのかも知れません。
前田啓介さんは「二度とレミオロメンとして3人で活動することは無いだろう。」と言及していましたが、2025年11月29日・活動停止中のレミオロメンの公式ホームページがカウントダウンを始めます。
ファンの間では、「解散か?」「何かのリリース?」とドキドキしたのだと思いますが、12月6日ブラウザに映し出された文字は大きく再結合を意味する『Reunion』の文字でした。
再結成のきっかけは、三人で2025年の1月に新年会を開きました。
2026年にはレミオロメン結成25周年になるし、何かリアクションがあってもいいのか?と三人三様に思い、街のスタジオで音合わせをしたら、14年を経てそれぞれが掴んできたものが合致したのだと思います。
(2000年12月6日結成、2025年12月6日に結成25周年を迎え、2026年は25周年記念イヤー)
バンドが2012年の初めから活動を停止し凡そ14年を経たそれぞれが、進んできた三人がレミオロメンの方を向いた事からの再活動にファンは胸を躍らせます。
現在も藤巻亮太さんは、ソロ活動と共にレミオロメンとして、前田啓介さんはオリーブ農家と、レミオロメンの活動を。
そして神宮司治さんは、flumpool(フランプール)の全国ツアー2026「ここからの歌」では、フランプールのドラムの小倉誠司さんが左腕が動きにくくなるジストニアの疑いで治療の為、サポートドラマーとしてツアーに参加し、話題になりました。
「レミオロメン」の活動と同時にと言う“二刀流”はかなりハードで異例と言えると思いますが、心意気を感じる話でもあります。
いかがだったでしょうか?今回は、レミオロメンの由来や再活動のきっかけそれぞれの現在にスポットを当ててみました。

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