奥華子曲作りや歌う事の大切さに気付いた活動停止からリ・スタート!

ポピュラー

奥華子さんは、柔らかな優しい声ながら、情熱的で温かくも、時には、熱い曲を届けてくれるシンガーソングライターです。

ちょうど、20年前の2006年7月15日に公開された細田守監督の劇場版アニメ『時をかける少女』の主題歌および挿入歌となった「ガーネット」と「変わらないもの」で広く知られることになります。

一時、メディアからお姿を見ない時期もありましたが、奥華子さんの今の活動や結婚のキーワードなどを掘り下げてみたいと思います。



奥華子曲作り。ピアノは5歳から、父は作詞家阿久悠の後輩!

奥 華子(おく はなこ)さんは、 1978年3月20日生まれですので、2026年7月現在、48歳と言う事です。本名は同じで、千葉県船橋市のご出身です。

奥華子さんは、5歳の時にピアノを習い始めました。

船橋市立七林小学校に入学すると、ガールスカウトに高校生まで参加し、船橋市内の商店会や公園など様々な場所で活動しました。

又、小学校では器楽部でトランペットを担当していました。

小学生の頃から、活発で利発な方だったようで、小学生の時に子ども記者として、ソウルオリンピック金メダリスト(背泳)の鈴木大地選手を取材したと言う経歴があります。

船橋市のお隣の習志野市のご出身である現在は参議院議員である鈴木大地さんが選手時代に答えてくれたのでしょうね。

愛国中学校・高等学校と言う東京都の小岩にある中高一貫校に通っておられたようです。そして船橋ジュニアオーケストラに所属していました。

16歳の頃、ジュニアオーケストラで、平成6年にデンマーク・オーデンセ市で開催された姉妹都市提携5周年記念演奏会に行ったことが、大事な思い出になっているのだそうです。

奥華子さんは、高校時代から友人が、ギターで作詞作曲して歌っている姿に憧れて作曲を始めていました。

まだ作詞作曲を始めたばかりの高校生の時に1996年にティーンズ・ミュージック・フェスティバルというコンテストにエントリーしますが、いきなり千葉県大会まで行ってしまい、それが大きな自信になりました。

奥華子さんのお父さんは、奥華子さんが子供の頃から、幼稚園の送り迎えの時に、童謡を歌ってくれたのだそうです。

お父さんは淡路島の出身で大御所の作詞家・阿久悠さんと同じ中学校で阿久悠さんの2つ後輩だったそうで、小さい頃から、自慢話として聞かされていたそうです。

2017年11月15日に発売された阿久悠さんのトリュビュートアルバム・『阿久悠メモリアル・ソングス~うまく行く恋なんて恋じゃない~』の中の『黄昏のアンニュイ』では、

【作詞 阿久悠 作曲、アレンジ、歌 奥華子】の組み合わせでアルバムに収められており、何よりお父さんがその事を喜んでいらしたと言います。

又、ご兄妹に、お兄さんがいらっしゃいます。

お兄さんは”太郎”さんと言い、タロウとハナコの兄妹で日本を代表するような名前ですね。偶然ですが、阿久悠さんのご長男も太郎と言う名前で(深田太郎さん)音楽活動を行っています。

又、2007年8月1日に尿管がんのため70歳で亡くなった阿久悠さんが生前、女の子が生れたら「はなこ」と名付けようと決めていたようですが、阿久悠さんのお子さんは太郎さんだけの様です。

偶然とはいえ、阿久悠さんに娘さんがいらしたら、奧家と同じ組み合わせのお名前になったようです。



奥華子曲作り。自信を失った中から、一念発起の路上ライブ活動!

大学は 東邦音楽大学の音楽学部音楽学科に入学します。 意外な事に、大学ではトランペットを専攻されていました。

大学に入学してからはライブハウスで歌ったり、オーディションを受けたりしていましたが、なかなかうまく行かない時期が続きました。1999年度に東邦音楽大学を卒業します。

その頃は、奥華子さん本人曰く、「自分は絶対にシンガーソングライターになれるんだと言う根拠のない自信」で満ち溢れていました。

活動を続けて、色々な人と出会う中で、今の事務所の社長さんと出会います。そしてその社長さんは歯に衣着せぬものの言い方で、

「本当にそんなにすごいんだったら、もうとっくに売れてんじゃないの? 自分の作詞・作曲能力、歌唱力、見た目とか、自己採点して通知表に書いてみろ」って言われたんですよ(笑)。

ー中略ー

「そんなに自分がすごいんだったら、もっと不特定多数の人がいるところで歌ってみて、その力を試してみたら」

                   出典:KENDRIX MEDIA 2024年4月3日付奥華子インタビューより

この言葉通りに、奥華子さんは客観的に評価してみると、大したことのない自分に愕然として、「自分はダメだ。」と失望したのだそうです。

しかし、この事を境に、奥華子さんは、ある時「自分を変えよう、変わらなければ・・・」と一念発起してキーボードとアンプ等一人で全部もって路上ライブを始めてみました。

その時、奥華子さんは25歳になっていました。路上ライブをやる以外に道は無いと覚悟を決めました。2004年2月16日渋谷の地に立ちます。

始めは恥ずかしかったのですが、渋谷や新宿の人通りの多い所でやってみました。CDも買ってくれる人もいましたが、人が集まってくると、警察に注意されたりして、場所の移動を余儀なくされたそうです。

事務所の社長さんからは、「CDが売れ切れるまで帰ってくるな!」と言われていて、毎日4時間くらい、時には5時間も歌い続けていた事もあるのだそうです。

ある時、渋谷や新宿で売り切れず残った40枚ほどのCDを抱えて、恥ずかしいから避けていた地元なら、逆に知り合いに会って買ってくれるかな?と言う目論見もあり、津田沼駅で始めてみます。

すると、今までにない大勢の人が耳を傾けて立ち止まってくました。CDもあっという間に売れ切れたのだそうです。

奥華子曲作り。顔が地味?赤い縁の眼鏡はレンズが無い伊達メガネ。

奥華子さんの事務所の社長さんに、奥華子さんのルックスについて、「顔が地味だ!」と言われ、初めの内は、知り合いにあった時、すぐにバレないかもしれないと変装の意味も兼ねて、

赤い縁のレンズの無い伊達メガネをかけて歌ったら、普段一日30枚程度の売り上げだったCDが3倍以上の100枚くらい売れたのだそうです。

分析をすると、明るく華やかでポップなイメージが見ている人に伝わり易かったのではないか?と思い、そこから赤い縁の眼鏡がトレードマークになります。

奥華子さんは、渋谷や新宿は、目的のある人が通っている街で、自分が帰ってくる町にふと聞こえる音楽に、自分の曲はふさわしいのかもしれないと気が付いたのだそうです。

それからは、柏や船橋などの人が帰ってくる町で夕方から終電まで、3曲歌っては、CD売ってと言うワンオペレータで頑張っていたそうです。

CDもそれに伴って売れだし、なんと1日に488枚もCDが売れた時もあったと言いますから、すごいですね。

CMソングなどの話も舞い込み、相乗効果もあったのか?一年間で2万枚以上のCDを売り上げました。

2005年7月27日に 1stシングル『やさしい花』で、ポニーキャニオンからメジャーデビューを果たします。

奥華子さんの殆どの楽曲は、曲が初めに出来、後に歌詞を付けて、行くパターンだそうです。サビのフレーズから発想される事や、たまに歌詞と曲が同時に降りてくることもあると言います。

その後、NHKのみんなのうたに起用されたりしますが、一番多くの方に聴かれている曲は、冒頭で書いた2006年7月15日に公開された細田守監督の劇場版アニメ『時をかける少女』の主題歌および挿入歌となった「ガーネット」と「変わらないもの」と言う曲ではないでしょうか?

映画は、アラカンの方には原田知世さんが主演の実写版がお馴染みの、タイムトリップしてしまう男女の青春SF劇と言うべき筒井康隆さんの小説を元に制作されたものです。

この中の挿入歌・主題歌となった奥華子さんの楽曲は、細田守監督からの「観終わった人が青空を見上げたくなるような曲を」というオーダーに応えて誕生しました。

かなり、抽象的にも感じるイメージの中、「ガーネット」は前向きな恋愛ソング、ハッピーエンドに向かう感じもあり、切なくもあると言う詞です。

多くの失恋ソングを綴ってきた奥華子さんでしたが、前向きな青春ソングと言う苦手意識のあったジャンルでした。

細田守監督と、奥華子さんは何度も対話を重ねましたが、奥華子さんは、無理だと感じていたと言います。それでも葛藤を乗り越えて出来上がった曲が『ガーネット』でした。

奥華子さんは、その後もCMソングや、映画音楽、ドラマ主題歌などのタイアップや書き下ろしの楽曲を多く持ち、ライブ活動も含め順調に活動されていました・・・しかし。



奥華子曲作り。心の葛藤と、自分が生きて行く為に必要不可欠なモノ

そんな奥華子さんでしたが、2019年の12月15日の『ふなばしアンデルセン公園』でのクリスマス・ライブを境に、急にライブ活動を休止してしまいます。

 2020年3月でレギュラーラジオ番組bay fm『奥華子のLagan de Talk!』も、オフィシャルファンサイト『hanamoco』も終了してしまいます。

奥華子さんは、ここからの自分をどうするか?悩みはじめ、ピアノにも触れず曲も作らないと言う日々が続きます。義務の様になっていた曲作りの体制にも疑問を持ち始めます。

時を同じくして、日本もコロナウィルスが広がります。他のアーティストもそうですが、コンサート・ライブ活動は軒並み中止と言う事態に発展します。

奥華子さんの気持ちは後日、自己逃避していたと綴っておられましたが、ラジオ番組も離れた事で誰とも繋がれなくなり、何もしない日々を過ごします。

何の告知も無いまま、活動を休止した事でファンの方が、SNSやメール、手紙などで心配する声が奥華子さんに届くと、自分を心配してくれる人がたくさんいることと、活動へ向かえない自分に涙を流していたと言います。

コロナで動けないのだろうと思っていたファンの方も多いのかと思いますが、一番大きな理由は、奥華子さんの心の中の葛藤だったようです。

2年4か月の日々が過ぎた頃の2022年3月20日。『お久しぶりです』という表題で、オフィシャル・ブログが更新されたのです。

ブログの中で奥華子さんは、

歌を作って歌っていく事は、好きだから、楽しいから、仕事だから、では無くて、
もっと切実に、自分が自分らしく生きていく為に必要不可欠な事なんだと分かりました。

え?今まで、分かって無かったの??と突っ込まれそうですが、『好きだから』より『必要だから』の違いは、私の中でかなり大きいんだなと思います。

出典:奥華子 オフィシャル・ブログ【KOKORO LETTER】2022年3月20日付

そのように語り、2年間、ピアノにも一切触れず、歌を歌う事も、音楽を聴くこともしなかったと綴っております。

再び、歌う事が奥華子さんにとって、必要不可欠な事に目覚め、ピアノの練習やボイストレーニングを重ね、”もう一度ゼロからスタート”と思っていたので、”もう一度ここから!”と、

 2023年5月27日に、生まれた町の船橋市の船橋市民文化ホールで「奥華子 弾き語りコンサート2023 〜リスタート〜」を開催し、活動を再開させます。

歌う事の中に自分自身を見つける事が出来た3年半越しのライブは、奥華子さんにとっても、待っていたファンにとってもひとしおだったと思います。

再び、創作やライブ活動を精力的に進め、真摯に音楽に向かう姿勢に多くの人の共感を得るものと思います。

いかがだったでしょうか?今回は奥華子さんの曲を作る姿勢や活動にスポットを当ててみました。

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