忌野清志郎への最後の言葉は、3人の弔辞から

メッセージソング

忌野清志郎さんが最後に残したメッセージ、最後の言葉と言うのは、公表されているものはありません。最後の言葉があればとも思います。

恐らく、忌野清志郎さんご自身でも亡くなる事を考えておられなかったのでは?と思います。もちろん、忌野清志郎さんのご家族として最後の言葉や会話はあったのだとは思いますが・・・。

忌野清志郎さんの周りにはいつも温かく、優しい人たちが集っていました。それは、忌野清志郎自身が、一番熱く優しい人間だったからに他なりません。




忌野清志郎への最後の言葉!竹中直人からの弔辞とは?

ちょうど、15年前、2009年5月2日に亡くなったロック歌手、忌野清志郎さんはRCサクセションのボーカリストでした。

同年の5月9日、東京は晴れ。日傘が必要なくらいの日差しの、抜けるような青空の一日でした。

私moonは港区の浜松町の近くのイベント会場の休憩ブースのようなところで、友人とテレビを見ていました。

忌野清志郎さんが亡くなり、沢山の方が、青山の霊園の前に集まっているところを報道していました。

『青山ロックン・ロール・ショー』と呼んだその忌野清志郎さんの告別式はロック葬と言われ約1000人も集まり参列は続き、最後の方がお焼香をするのは夜の10時を回っていたと言います。

そんな忌野清志郎を送りだした3名の友人達の最後の言葉、弔辞を綴ってみます。

竹中直人さんと忌野清志郎さんは、とても仲の良い友人で傍から見ると兄弟のようです。

竹中直人さんは忌野清志郎さんをあこがれの人だと言います。一番の思い出は、忌野さんの30周年ライブで、忌野清志郎さんが竹中直人さんのために作詞作曲した曲を歌わせてもらったことだといいます。

「場所は武道館でね。たまらなかった」と感極まりながら、後に、インタビューでお話してました。

また、竹中直人さんが映画『東京日和』に出演した際は突然励ましの電話をかけてきてくれて、竹中直人さんが「明日、清志郎さん一緒にどうですか?」と恐る恐る上映中のその映画に誘うと、「俺は毎日忙しいけど、明日だけは空いているぜ」と言ってくれたそうです。

映画館ではたくさんのお客さんが入っているのを目の前にして「竹中、やったな、やったな!」と何度も言い、肩をたたいてくれたそうです。

ラジオ番組に、「俺一人じゃ間が持たねえ」とか言って、竹中直人さんを呼んでくれた事もあったそうです。

そんな竹中直人さんは、冒頭こんな感じで忌野清志郎さんへの弔辞を読み始めるのでした。

清志郎さんへ。清志郎さん、清志郎さん。僕はきょう、清志郎さんに「いってらっしゃい。今まで本当にありがとうございました。」
ただ、それだけを言うつもりで来たのに、「弔辞をお願いします」って、ものすごいプレッシャーです。めちゃくちゃプレッシャーです。だから、清志郎さんにもらった指輪をしてきました。

中学3年生の時、深夜ラジオから独特な忌野清志郎さんの声が聞こえ、衝撃を受けた事、竹中直人さんの撮った8mm映画を気にかけてくれ、その後、忌野清志郎さんが音楽監督をやってくれて、日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を取った事。

そして号泣しながら忌野清志郎さんに呼びかけます。最後の言葉・・・

 僕はみんなに自慢したいです。オレは忌野清志郎と友達なんだぜ!って。世界中の人に自慢したいです。ずっとずっと自慢していていいんですよね、清志郎さん。

最後に手を振りながら「清志郎さーん、またね!」と弔辞を読み終えます。


忌野清志郎へ最後の言葉。意外な交流の大竹しのぶが呼びかける最後の言葉

大竹しのぶさんは映画の共演から、忌野清志郎さんのファンになったのかも?と、勝手に拝察するのですが、

大竹しのぶさんが、何故、忌野清志郎さんの弔辞を読むようなお付き合いがあったのか?と当時も今も、あまり接点を感じませんでした。

しかし、弔辞を拝見すると、相当に親しく、又,リスペクトしあっているのを感じます。共演の作品などを検索すると、

確認できたところでは、2008年の夏に公開された『たみおのしあわせ』と言う映画で、大竹しのぶさんと忌野清志郎さんは共演を果たしています。

恐らく、お互いに他分野として大竹しのぶさんは音楽を、忌野清志郎さんは役者のお仕事もされていたので、お互いにお会いする機会は多くあったのかもしれません。

そして、女優・大竹しのぶさんの忌野清志郎さんへの弔辞は最後の言葉を呼びかけるように始まります。

 清志郎さん、今日、晴れたよ。たくさんの人たちが朝早くから並んで待っています。あの武道館の日みたいに、ゆうべも空を見ながら清志郎さんのことを思いました。

 その後、一年3か月前の復活祭の話。忌野清志郎さんの死因となった癌性リンパ管症が再発したと聞いた時の失望感と、元気になるはずだと願う気持ちを忌野清志郎さんに伝えるように語るのでした。

去年の2月、たくさんの、ほんとうにたくさんの人たちが忌野清志郎さんの復活を喜び感動し、夢はかなうものだと教えてもらった事。

「清志郎、がんばれ」「清志郎、絶対戻ってこい」と呼び掛けていた大竹しのぶさん。忌野清志郎さんが言った「夢を忘れず」にという言葉を信じ続けていたと。

そのことをあなたに言ったら、あなたからの返信は「ラブ ラブ ラブ」でしたね。「みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね」という力強いものでした。

私の友人の中村勘三郎さんとあなたの話をしたところ。中村勘三郎さんは「僕はあの人に会わなくてよかったと思う」と言っていました。

「会っていたら、悲しくてやりきれないから。そのぐらいきっとすてきな人だと思うから」と言ったと言います。でもやっぱり私はあなたに会えてよかったです。あなたのファンになって本当によかったと思っています。と綴っております。

最後に

ときどき空の上から「愛しあってるかい」って問いかけて下さい。

「OK、ベイビー、最高だぜ」って答えられるように、あなたのように強く、優しく、明るく、楽しく生きていきます。

清志郎さん、本当にお疲れ様でした。そして本当に本当にありがとう。

忌野清志郎さんへ、心を寄せ、心配し、悲しみに打ちひしがれている大竹しのぶさんの弔辞の結びは、前向きで最高だぜ!と言えるように前進しようとしている気持ちは、忌野清志郎が一番望む姿だと思います。

大竹しのぶさんが、忌野清志郎さんと、何処でどんなふうに繋がったのかは、先述の2008年夏に公開された『たみおのしあわせ』と言う映画ではないだろうかと言う想像の域を出ませんが、

どんな出会いであれ、お互いに、その人の心に寄り添うように認め合えるのは素晴らしい事ですね。


忌野清志郎へ最後の最後の言葉は、盟友・甲本ヒロトの弔辞(全文)

甲本ヒロトさんは、ザ・ブルーハーツ(現在・ザ・クロマニヨンズ)のボーカリストです。彼は、黒い革ジャン姿で遺影の前に立ち、語りかけるようにぼそぼそと「あなたとの思い出にはろくなものはございません。」そんな風に語り始めます。

キヨシロー。清志郎。あなたとの思い出にはろくなものはございません。
突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。

レコーディングの作業中にはトンチンカンなアドバイスばかり連発するので、レコーディングが滞り、我々はそのたびに聞こえないふりをするので必死でした。
でも今考えると全部冗談だったんだな。

今日も「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のまま寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていく」って来たら、なんか浮いてるし。
キヨシローのまねをすれば浮くのは当然だった。
でもあなたはステージの上はすごく似合ってたよ。
ステージの上の人だったんだな。

一番最近会ったのは去年の11月のThe Whoの来日公演、武道館の。
そのときあなたは客席の人でした。ステージの上ではなくて。

たくさんの人がキヨシローに憧れるように、あなたはロックンロールに憧れていました。
僕もそうでした。

そんな観客同士の共感を感じ、とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出して、それは業界のコネを最大限に生かした、戦利品とでも言いましょうか、ピート・タウンゼントのギターのピックでした。

観客の1人なんかじゃねえや。僕があまりにもうらやましそうにしているので、2枚あったうちの1つを僕にくれましたね。こっちじゃねぇや・・・、(自分のポケットからピックを取り出して)これだ。

ピート・タウンゼントが使ってたピックです。これはもう返さなくていいよね。
ありがとう。一生忘れないよ。短いかもしれないけど一生忘れないよ。
ほんで、今日はありがとうを言いに来たんです。
数々の冗談をありがとう。いまいち笑えなかったけど・・・ハハ・・。

今日もそうだよ。ひどいよ、この冗談は。

うん、でもなるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。キヨシロー、ありがとう。
キヨシローを支えてくれたスタッフのみなさん、家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、どうもありがとう。どうもありがとう。
で、あとひとつ残るのは、今日もたくさん外で待っているあなたのファンです。
彼らにありがとうは僕は言いません。
僕もその1人だからです。
それはあなたが言ってください。
どうもありがとう。
ありがとう。

この弔辞を見ると、何度も泣けてしまうのですが、『僕もその1人だからです。』と言う言葉が胸に刺さります。

忌野清志郎さんは、甲本ヒロトさんにとっては、ちょっと困った先輩だったのかもしれません。でも、それ以上に、『忌野清志郎』が大好きだったのでしょう。

この弔辞だけで、忌野清志郎の全部を伝えるものであり、甲本ヒロトさんとの関係性を十分に伝えてくれるものだと思います。

あなたはロックンロールにあこがれていました。本当にその通りの言葉だと思います。

そして、途方に暮れている甲本ヒロトさんの心の中で、『ザ・フー』(ピート・タウンゼントが、ギターリストを務める)の楽曲が流れていたのではないでしょうか?


忌野清志郎への最後の言葉。もう一人の最後の言葉。泉谷しげる

とても親交のあった泉谷しげるさんは、忌野清志郎さんが亡くなった直後から「俺は清志郎が死んだなんて、認めねぇ!冥福も祈らねぇ!、葬式も行かねぇ!」と言い、悲しみの中に身を沈めていたそうです。

そんな風に大好きだと言ってくれる人間がたくさんいる事。筆者moonと14歳違う忌野清志郎さん。忌野清志郎さんより、年を重ねてしまったけど・・・。全然、追いついていないや。

もし、東日本大震災や、原発の大きな被害、コロナ過を忌野清志郎さんが、経験されたらどんなふうに表現したでしょう。

原発の危うさや、政府の戸惑いをどんなふうに表現されたか見ておきたいと言う叶わぬ願いが、自分の中にはあります。

2024年5月2日は、忌野清志郎さんの15年目の命日です。心よりご冥福をお祈り致します。

■『EIGHT-JAM「忌野清志郎特集」』
テレビ朝日 2024年5月19日(日) 23:00〜

以上、忌野清志郎さんへむけた3人の友人の最後の言葉をお送りいたしました。

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