アジカン(アジアン・カンフー・ジェネレーション)のメンバー詳細!

ロック

ASIAN KUNG-FU GENERATION→アジアン・カンフー・ジェネレーション→アジカン

↑なんて感じでお馴染みのバンドではないでしょうか?昔から、このバンド名はなんでと思っていました。

もちろん、古参のファンの方はご存じの事と思います。

正直なところ、おじさんの筆者moonにとっては、『あの頃』沢山活動していたバンドのサンボマスター、BUMP OF CHICKEN、ELLEGARDENやレミオロメン等など多くのバンドの一つでしたでした。(若干年代は前後していますが。)

しかし、色々個性的なバンドのメンバーの様です。そんな訳でバンドのメンバーの詳細を調べてみました。




アジカン メンバー!きっかけは、集合場所を間違えた事から!?

アジカンが出来たきっかけは、ちょうど30年前の1996年の関東学院大学の中で、夜間学部の新入生だった後藤正文さんは音楽サークルから勧誘を受けました。

集合場所に行ってみるとそこは違う場所で、偶然居合わせたのが喜多健介さんでした。

そのサークルの中に、UKロック(イギリス系ロック)のファンが喜多健介さんだけで音楽の話で盛り上がった事から、喜多健介さんが後藤正文さんを誘い、バンドが結成されます。

たまたま偶然知り合った二人でしたが、インタビューで後藤正文さんは出会った時のことを

「(喜多との出会いは)未知との遭遇って感じ。指を出したら向こうも出してきて光るんじゃねえか、みたいな。E.T.みたいな顔してたね(笑)」

Rockin’on.com 2016.11.30付

喜多健介さんは、

「気が合ったっていうぐらいなんです。出会った日に音楽の話をして、バンドをやろうかってなって。ゴッチ(後藤正文さんの通称)とこの20年間一緒にいて影響を受けるところはあったけど、最初の頃は、家にも遊びに行くような友達の延長でしたからね。ゴッチの好きな音楽を教えてもらったりとか、楽器もお互い初心者だったから、いろいろ手探りでやってて」

Rockin’on.com 2016.11.30付

なんて風に語っております。なんでもお互いに、バンドを始めたのは、楽器を本格的に始めて3ヶ月程度だったとか。


アジカン メンバー!出身や、年齢など!関東学院大学の同期!

では、改めましてアジアン・カンフー・ジェネレーションのメンバーを紹介します。

先ず、メインボーカリストでフロントマンを務めるのが

🔵後藤正文(ごとうまさふみ)さん。静岡県の島田市のご出身です。1976年12月2日生まれなので2026年3月現在49歳ですね。身長160㎝で血液型はO型です。

大学は、一年間浪人生活を送り、神奈川県の関東学院大学【経済学部二部・2008年廃止】へ入学します。ギターとボーカルを担当しています。『ゴッチ』の愛称で親しまれています。

🔵喜多健介(きた けんすけ)さんは 1977年1月24日生まれです。後藤正文さんと同じ49歳ですね。神奈川県横浜市金沢区のご出身。

神奈川県立横浜立野高等学校から、関東学院大学経済学部へ、後藤正文さんと同じ年と言う事は一浪してるのかもしれませんね。

喜多健介さんもギター、主にサイドギター、ボーカルや、コーラスを務めます。

🔵山田貴洋(やまだ たかひろ)さんは、1977年8月19日のお生まれ。(2026年3月現在)48歳です。後藤正文さんと同じ静岡県のご出身です。静岡県富士宮市の様です。

ベースとボーカルを担当しています。

🔵伊地知潔(いぢち きよし)さんは、1977年9月25日生れの48歳(2026年3月現在)血液型はA型です。神奈川県鎌倉市のご出身。

関東学院中学校高等学校、関東学院大学工学部へ進みます。1996年の結成当時はアジカンに加入しておらず、大学4年生の時から参加します。ドラムスの担当です。

又、料理が得意な事から料理研究家の側面も持っています。

アジカンの初期はギターリストが3人いたトリプル・ギターでしたが、一人は早々に辞めてしまったようです。


アジカン メンバー!ゴッチは、野球少年だった。他のメンバー詳細

後藤正文さんは、島田市の六合中学校に入学、ちょっと意外ですが、野球少年でした。音楽はユニコーンの曲が好きでよく聞いていたそうです。

部活ではライトを守り、中学の引退試合ではランニングホームランを打ったと言う事ですが、これが、生涯唯一の本塁打だったそうです。

高校はスポーツの強豪校で、やはり野球をやる為に選んだ島田高校でした。しかし、中学の時とは全く違い、レギュラーに選ばれることもなく、一度、野球部を離れます。

周りのみんなが、高校生活を謳歌しているのをうらやましく思い、心が折れたのだそうですが、「このままじゃいかん」と言う気持ちが、大きくなり、

半年後に、頭を丸めて厳しいかった監督に謝り、再び野球部に籍をおきます。

しかし、レギュラーになれる訳でもなかったのですが、ベンチで悔しい想いをしてみている風景が、自分の中で大切なものになったのだそうです。

高校卒業後、イギリスのロックが好きだと言う後藤正文さんが『オアシス』に憧れてギターを練習しだします。

その頃、出会ったのが喜多健介さんだった訳で、その後、山田貴洋さんが、部室でポツンと一人でいるところに、

後藤正文さんに、「どんなバンドが好き?」と聞かれてビートルズと即答してイギリスの音楽好きの後藤正文さんがバンドに誘いました。

山田貴洋さんは、子供の頃、地元の静岡のテレビでビートルズのアニメーションをやっていて、初めはアニメのキャラクターだと思っていたそうですが、母親からビートルズはすごい人達なんだと説明されて、

始めて実在の人物だと知ったと言い、母が買ってくれたビートルズのアルバムは今も持っているのだそうです。

山田貴洋さんは、初めはギターを練習していたのですが、ベースの音やプレイヤーとして合っているように感じて、又、ベース担当だった為、アジカンにもすぐ入れたとお話されています。

その後、真面目そうに見えたと言うドラムス担当の伊地知潔さんをバンドに迎えます。伊地知潔さんは、中学生の頃から地元鎌倉市の中学校でマーチングバンド部で、小太鼓を叩いていて、

バンドをやるなら、ドラムだなと思っていたそうです。後藤正文さんと喜多健介さんが部屋で話をしていると、そこに緑地に、黄色の両胸に大きなパッチワークのような胸ポケットの付いた派手なシャツで伊地知潔さんが現れ、そこが出会いとなったようです。

その頃の伊地知潔さんは別なコピーバンドでドラムを叩いていて、何故か1998年にアジカンに加入したと言われてましたが、正確には1999年3月に正式にアジカンに加入します。

アジカンに入った直後も、別なコピーバンドのライブがあり渋谷のeggman[エッグマン](現在: CLUB eggsite)で開催したアジカンのライブに伊地知潔さんが出演できないことがあったそうですが、なぜか最前列で観客として見ていたと言うエピソードが笑い話なっています。

なんでもコピーバンドのライブが思いの外早く終わってしまい、仲間のライブを見ていたらしいですよ。

アジカンのメジャーデビューは、2003年4月23日です。ミニアルバム『崩壊アンプリファー』をインディーズ時代のモノを再発売と言う形でメジャーデビューとなります


アジカン メンバー!不思議なバンド名と世界へ発信した楽曲?

さて、そんなアジアン・カンフー・ジェネレーションのバンド名ですが、バンド名を決める際、後藤正文さんが、『THEE MICHELLE GUN ELEPHANT』(ミッシェル・ガン・エレファント)のファンだったこともあり、

バンド名が英単語を3つ使用していたため「3つ単語を使おう」という方向性になり、色々な単語を並べました。

世界へ発信する事も視野に入れて「ASIAN」後藤正文さんが好きだったカンフー映画から「 KUNG-FU」この辺が謎ですが。(笑)すべての「 GENERATION」へと言う事で、このバンド名になったとの事です。

実際に2003年から2004年にリリースされた代表的な人気曲は、『NARUTO -ナルト-』OPの「遥か彼方」と『鋼の錬金術師』OPの「リライト」は世界中の人気を博しています。

特にアニメの海外のアニメファンからは爆発的な知名度を誇る楽曲となっています。モチベーションは大事ですね。

そんな、アジカン メンバーですが、結婚を公表しているのは、後藤正文さんは 2007年に一般女性と結婚を発表しています。

又、山田貴洋さんは 2015年に東京出身で元・青森放送からフリーになった中田有紀アナウンサーと結婚します。

4歳年上の姉さん女房で中田有紀さんが42歳、山田貴洋さんが38歳の時でした。妊娠も発表されていて、その後、女の子が生まれています。

伊地知潔さんと喜多健介さんの2人は、それらしき情報は見当たらず、独身なのかもしれません。

いかがだったでしょうか、楽曲に世界に連れて行って貰っていると感謝していると言うアジカンこと、アジアンカンフージェネレーションのメンバーの皆さん。

そんな個性的なメンバーのエピソードを綴ってみました。

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