ちあきなおみ、夫が最後に残した言葉とは?娘の存在のウワサ?

ポピュラー

このブログはJ-POPを中心に、私moonが、書き連ねておりますが、そもそもJーPOPって何ってことになると、広い意味では、日本のポップス。

元々はFMラジオ局のJ-WEVEさんが1988年頃に作り出した(言い出した)言葉で、洋楽風のアレンジの効いた日本のポップスと言うのが簡単な定義となるので、1988年以前に流行った方や、あまり演歌の方を書く事はありません。

しかし、ちあきなおみさんは、ちょっと別格です。

本人が演歌と括る活動を行っていたように思えないと言う事もありますが。それは、「喝采」を始め、ちあきなおみさんの楽曲が、演歌と呼べる曲もありますが、概ね歌謡曲であり、ポップスだと思えます。どことなく洋楽のアレンジが聞いているように思えるのです。

又、中島みゆきさんや河島英五さんからの楽曲提供などがあり、フォークソング、j-ポップのエッセンスも取り入れられている所です。

その部分では、森進一さんなども、単純に演歌歌手と括り切れない部分ですね。

そして、あれ程の歌唱力がありながら、テレビを始め他のメディアにも出てこられない。ちあきなおみさんと、夫との関係性が大きいと言われています?

さて、ちあきなおみさんと夫の関係とは。




ちあきなおみの夫と出会う前の若い頃は?現在何歳?

ちあきなおみさんは、本名は瀬川 三恵子(せがわ みえこ)さんといいます。1947年(昭和22年)9月17日生まれなので、今年(2024年)の9月で77歳を迎えるはずです。

ちあきなおみさんは、神奈川県のお生まれで、東京都板橋区で育ちます。3姉妹の末っ子として誕生し、芸事の好きな母の影響で4歳からタップダンスを習い始めます。

ちあきなおみさんが、5歳の時に日劇にて初舞台を経験し、幼いころから歌が大好きだったそうです。

そしてちあきなおみさんが、4歳のときから米軍キャンプを回ってジャズを歌っていたと言う事なので、並々ならぬ実力を感じるエピソードですね。

ちあきなおみさんが、小学2年生の時に神奈川県藤沢市辻堂へ転居し、藤沢市立辻堂小学校を卒業、この時代を、ちあきなおみさんご本人は、一番普通に過ごした期間と後にお話されています。

その後、ちあきなおみさんは、藤沢市立湘洋中学校へ進学するのですが、ちあきなおみさんの両親の離婚などがあり、母との暮らしになるようです。

ちあきなおみさんは中学2年生で大田区立大森第三中学校へ転校、中学3年生で新宿区立大久保中学校(現:新宿区立新宿中学校)へ再転校となるのですが、

その間も、ちあきなおみさんは歌う活動は続けておられたようです。

ちあきなおみさんが、幼少期は、母が歌う事を心から喜んでくれる事や、米軍基地で幼い自分の踊る姿を見て、屈強な軍人たちが、握手してくれたり、沢山のお菓子をもらう事があり、

ちあきなおみさんは幼いながらに歌が、色々な人と心がつながるようになるのかな?と感じていらっしゃったようです。


ちあきなおみの夫は俳優で多くの作品を残す。ある大物俳優の弟!

ちあきなおみさんが、1973年に、テレビ番組などでご一緒になった宍戸錠さんから紹介されたのが郷鍈治(ごうえいじ)さんでした。

そののち1978年にちあきなおみさんは、この郷鍈治さんとちあきなおみさんはご結婚されております。当時は大変な話題となり、ご夫婦でテレビのトーク番組にご出演されたり、報道されました。

実は当時から人気俳優だった宍戸錠さんは、郷鍈治さんのお兄さんだったのです。

当然、宍戸錠さんの息子さんである宍戸開さんは、ちあきなおみさんの義理の甥っ子と言う事になります。

ご結婚後は、ちあきなおみさんのテレビ番組の出演は幾分控えめになるものの、レコーディングは行われていました。

夫の郷鍈治さんは、ちあきなおみさんの実家である瀬川家へ婿入りし、ちあきなおみさんの個人事務所を設立し、社長兼マネージャー・プロデューサーとなります。

郷瑛治さんは、俳優業については1980年代前半にひっそりと引退しましたが、大変な数の映画、テレビ番組で活躍をなさった方です。

ちあきなおみさんの歌う楽曲は、1988年には「紅とんぼ」などの作曲家船村徹氏の作品が多かったのですが、ニューミュージックのアーティストに楽曲提供を受ける事が多くなってきます。

1977年に中島みゆきさんの「ルージュ」や友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングをしております。

さらにちあきなおみさんは、1980年代前半にはシャンソンのアルバム『それぞれのテーブル』を発表、『THREE HUNDRED CLUB』ではスタンダードジャズ。

そしてポルトガル民謡のファドを歌ったアルバム『待夢』をリリースするなどカバー曲も熟されております。

又、1976年2月、テレビドラマ『大都会 闘いの日々』第8話に、「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルをもつ作品が制作、放映されました。

サブタイトルに直接、歌手名がフィーチャーされることは珍しい事でありますし、脚本家の倉本聰さんはかつて、中島みゆきさんの事を『彼女の言葉の中には神が存在する。』と言うような意味の事を過去に仰っていて、

moonが思うには、ちあきなおみさんと倉本聰さんの中に同じ琴線があり、共鳴したのかとも思えます。ドラマの中ではちあきなおみさんと楽曲「喝采」が内容に深く関わっているお話です。


ちあきなおみと夫・郷鍈治には子供は?1980年代後半の面白CMで活躍。

しかし、歌手としてヒット曲を飛ばす現役時代は子供だったmoonにとっては、ちあきなおみさんは、ちょっと面白い人と言うイメージもありました。

それは、1980年代後半から流れたCMのイメージが強いのだろうとも思います。当時のご本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしても活躍なさってました。

1987年からの大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMはシリーズ化しておりました。第一作目は癖のある主婦を演じており、街角の公衆電話から「いつものところで・・・」と男に怪しい連絡をするバージョン。

タンスにゴンを手に座卓の前で泣きじゃくったり、同CMの前のバージョンで流行語にもなった「亭主元気で留守がいい」以来のブラックユーモアを引き継ぎ、

「これやり出すと長いのよねぇ」「あたしゃ愛より金が好き」など、アクの強い台詞を交えたCMが話題となりました。

中でも面白かったのは、自転車に乗った共演者・美川憲一さんに「もっと端っこ歩きなさいよ」とちあきなおみさんが、注意される1990年に放送されたバージョンは印象的でした。

又、このCMが美川憲一さんの再ブレイクのきっかけになり、その後も自動車教習所編(美川憲一さんと共演)、デュエット編(内田裕也さんと共演)など面白CMシリーズとして話題となりました。

この頃から、物まねタレントのコロッケさんや替え歌の嘉門達夫さんが、頭角を現してきて、よりコミカルなイメージをちあきなおみさんに、持たれる方も増えたのでしょう。

ちあきなおみさんご夫婦は、仲が良く、夫の郷鍈治さんは、ちあきなおみさんの歌の力をとても評価しておられました。又、兄の宍戸錠さんも、周りにちあきなおみさんの歌を自慢されていたと言うお話もあります。

夫である郷鍈治さんは、生活の基盤作りも進めておられ、広尾に純喫茶「COREDO」を開店します。ちあきなおみさんの夫の郷鍈治さんがコーヒーを淹れる喫茶店は業界人の溜まり場となりました。

時折、ちあきなおみさんも姿を見せる事があったと言います。しかしそんなお二人にお子さんはいらっしゃいませんでした。


ちあきなおみ、夫は死去。32年間 今も尚、途絶えぬ喝采

今から(2024年)32年前の1992年に、ちあきなおみさんの夫である郷鍈治(ごうえいじ)さんは、肺がんの為お亡くなりになっています。

夫の郷鍈治さんが荼毘に付される時、ちあきなおみさんは柩にしがみつきながら「私も一緒に焼いて」と号泣したという程、愛していました。

確かに、ちあきなおみさんが持っておられた才能と、又、コミカルな役どころの仕事も、本業の歌のプロデュースもやはりすべて夫の郷鍈治さんの一張一弛に掛かっておられたのでは?とも思います。

最高の理解者である夫の郷鍈治さんが、わずか55歳で鬼籍に入るとは考えなかった事でしょう。丁度、夫と10歳年の離れたちあきなおみさんは当時45歳だったはずです。

ちあきなおみさんの夫である郷鍈治さんが亡くなると、一切の芸能界の仕事を絶ち、メディアにも何も出なくなってしまったが為、バッシングなどもあったようです。

それは、ちあきなおみさんが個人事務所を立ち上げた際に、夫の郷鍈治さんに対する圧力やバッシングもあったようです。

しかし共に14年もの歳月を二人三脚で夫とやりたい仕事、歌いたい歌を歌おうと乗り切ってきたお二人にしかわからない心のつながりだったのではないでしょうか?

週刊誌の取材に「もう無理して歌わなくてもいいよ……郷さんもそう言っていたんです」と言う言葉を綴っておりました。

「私はもう、幸せを感じることはないでしょう?」

「私は郷鍈治が喜んでくれるから歌っていた」

ちあきなおみ~歌姫伝説~より

そんな言葉を残し、ちあきなおみさんは芸能界から姿を消してしまいます。この「私は郷鍈治が喜んでくれるから歌っていた」と言う言葉は、幼い頃、自分が歌うと、母が喜んでくれた。

そんな気持ちと同じなのではないでしょうか?

そして、完璧主義のちあきなおみさんが、もう人前で、あの頃と同じ声で歌う事は、叶わないでしょうが、32年経った今でも、ちあきなおみさんへの『喝采』は途絶える事が無いのです。

【BSテレ東が2024年5⽉26⽇(⽇)夜6時55分から、「ちあきなおみ デビュー55周年~⼼を照らす不滅の歌声~」の放送を決定。】

以上、ちあきなおみさんの夫への想いや、娘さんの噂などについて調べてみました。

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