野口五郎さんは、筆者moonが子供の頃から、アイドルとして活躍する傍ら、バラエティー番組でも親しみやすいキャラクターで子供からも人気でした。
昭和の『新御三家』として、西城秀樹さん、郷ひろみさんと共に大変な人気だったのを思い出します。
そんな野口五郎さんを検索すると、娘さんや息子さんについて調べてる方、奥さんについて調べている方が多いですね。
奥さんも元タレントさん、アラ還の方には、懐かしい方なのかな?なんて思います。盟友の死を乗り越え、歌う野口五郎さんの現在をフォーカスします。
野口五郎の妻は?本名は?年齢や身長は?小学生時代に歌手を目標に
野口五郎(のぐち ごろう)さんの本名は、本名は佐藤 靖(さとう やすし)さんと言います。野口でも、五郎でもなかったんですね。完全な芸名のようです。
お生まれは、1956年〈昭和31年〉2月23日 生まれ。現在(2025年10月)年齢は69歳です。身長は174㎝だそうです。
岐阜県美濃市常盤町のご出身です。野口五郎さん、生まれた時、家族会議で『直樹』と言う名前に決まっていたらしいのですが、
父親が勝手に『靖』と言う名前で出生届を出したのだとか。亭主関白だったのでしょうか?そんなご家族ですが、曽祖父は人形浄瑠璃の太夫であり、両親共にアマチュアでしたが楽団の歌手でした。
そんな野口五郎さん、10歳の頃に『日清ちびっこのど自慢』に出演して、優勝してしまいます。その後、中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し、こちらでも1位となります。
野口五郎少年は、歌手になる事を夢見たのですが、ちょっと凄いのが、大好きな曲である美空ひばりさんの『リンゴ追分』の作曲者・米山正夫さんの門下生を目指すあたりです。
歌手になりたいと思う子供さんはたくさんいると思いますが、なかなか、そんな風に具体的な目的を持つお子さんは少ないのではないでしょうか。
その為、米山正夫さんの係わるオーディションに何度も出場を続けます。ついに2年後、声がかかり、本格的に歌手を目指すために母親とともに上京します。
その時、野口五郎さんは、中学2年生になっていました。
野口五郎の妻は?若い頃は新御三家。アイドルでバラエティー番組に
実は、野口五郎さんの父も、のど自慢大会で、田端義夫さんに次ぐ2位になったことがある実力の持ち主で、母は、レコードデビュー目前となったのだが、親の反対で実現しなかったと言う経歴があり、
野口五郎さんは、反対されるどころか、両親の夢の続きを担っていたのかもしれません。
上京から約一年後の1971年5月1日、演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビューしますが全く売れませんでした。
しかし、その後、アイドルに路線を変更して2曲目の「青いリンゴ」を出すと、若い女性の間で人気が出始めます。
1972年12月31日、『第23回NHK紅白歌合戦』では、当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されます。
野口五郎さんの快進撃は続き、1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りを果たすと次々ヒット曲が出ます。
筆者moonも、子供の頃、このシングルレコードは持っていて、何度も聞いたような記憶があります。
その後も、「甘い生活」がヒットし、実兄である作曲家の佐藤寛さんこと中山涼平さんの曲である「私鉄沿線」を出すとこれも大ヒットします。
当時、西城秀樹さん・郷ひろみさんと共に新御三家と呼ばれ、今も語り継がれる人気アイドルとなります。
しかし、野口五郎さんの活躍は、アイドルでありながら、バラエティー番組『カックラキン大放送!!』での活躍で、現在アラカンの方々にはより親しみがあると思います。
当時はアイドルが、バラエティ番組にレギュラーで出る事は少なかったように思います。
堺正章さんや研ナオコさん、坂上二郎さん更に、新人だった関根勤さんなど個性あふれるメンバーの中で、野口五郎さんのボケが多く、毎週楽しみにしていた記憶があります。
野口五郎の妻は?嫁は元お嫁さんにしたいタレントNo.1のタレント
野口五郎さんは、2000年にフジテレビの番組『ものまね王座決定戦』で知り合った三井ゆりさんと、2001年2月に北マリアナ諸島のロタ島で結婚式を挙げています。
長く独身を貫いていた野口五郎さんの年齢は45歳の時でした。
お相手は12歳年下の三井ゆりさん。本名は佐藤順子さんと言い、旧姓は久保木さんと言います。千葉県柏市のご出身で1968年8月25日のお生まれです。
三井ゆりさんは、バラエティー番組でのおっとりとした口調と人柄で、「お嫁さんにしたいタレントナンバー1」に選ばれた事もある1990年代にモデル、レースクイーンや、グラビア等で人気を博したタレントさんです。
テレビ番組でも常連で、本格的なドラマから、レポーターやクイズ番組まで、幅広く活躍されていました。
そんな三井ゆりさんは、1997年の夏にちょっとした騒動がありました。三井ゆりさんは当初1972年生まれとプロフィールに載せていました。
しかし、同級生が1968年生まれのはずと、週刊誌に投稿した為、4歳のサバ読みが取り出さされ、慌てて記者会見と謝罪に追われるなんて事もありました。
少し前の芸能事務所では、ちょくちょくあった事かと思われます。
野口五郎さんが、三井ゆりさんに付き合い始めるころにこんな風に聞いたそうです。
12歳下の三井に「僕とひと回りも違うよ?僕の方が年を重ねちゃうのは早いし」と確認したという。すると、三井は「その時は食べるものを私がスプーンで口のところに持っていって…寸前でポッと落とせばいいでしょ?」とちゃめっ気たっぷりに応じたそうで、野口は「ああ、この人にしようかなって」と存在を強く意識したことを明かした。
出典:スポニチAnnex 2021年9月15日付
現在は2002年6月5日に第1子長女を出産、2004年5月2日に第2子となる長男が生まれています。
三井ゆりさんは、現在子育ても一段落されて、テレビ東京などの番組でお見受けする事もあるようです。
野口五郎の妻は?娘と共演!自らの病気は西城秀樹から救われた?
野口五郎さんは、少し前の2018年の11月の健康診断で初期の食道がんが見つかりました。
同じ年の12月24日のクリスマスディナーショーで年内すべての仕事を終えた後に、次の日の25日に内視鏡による切除手術を受けて、数日ですぐに退院しました。
毎年2月に人間ドックで検査をしていたと言う野口五郎さんですが、前年の2017年に親友で、芸能活動でもライバルであった西城秀樹さんが心不全で亡くなった事で、いつもより早めに健診を受けたのだそうです。
お医者さんが「こんなに早い段階で、食道がんが見つかるとは、野口さんには神様がついている。」と仰ったそうですが、野口五郎さんは、「神様がいるとしたら秀樹のことだよ。」と思ったそうです。
さて、前述のように、野口五郎さんには娘さんと息子さんがいらっしゃいます。娘さんは現在23歳になるピアニストの文音(あやね)さんと言う方です。
野口五郎さんの娘さん息子さんは10年くらい前に、顔出し無しで家での野口五郎さんのプライベートな生活の風景が取り上げられたことがあります。
その頃、既に娘さんの文音さんは、ピアノを悠長に弾き、お父さんである野口五郎さんと二人でハモりながら歌う姿が紹介されました。
その時11~12歳だった息子さん(名前の記載はなし)は、野口五郎さんと仲良くキャッチボールをする姿が流れました。
野口五郎さんにそっくりだと言う事で、小学生の頃から、かなりのイケメンだそうで、野口五郎さんの息子と知らずに芸能事務所が追いかけている事などを野口五郎さんは、まんざらでもないようにあかしておりました。
そんな小学生の頃の息子さん、お父さんが芸能人で得した事は?と聞かれると、時々、高級な食べ物が送られてくることだそうで、素直なお子さんだなという印象です。
仲の良い野口五郎さんの一家ですが、「朝は必ず笑顔であいさつ」「食卓は必ず父が盛り上げる」「『でも』『だって』は言わない」と言う三つのルールで円満なのだそうです。
長女の文音さんも、大変美しい方で、2025年10月18日放送のNHK-BS音楽特番『歌える!青春のベストソング~ザ・ヒットパレード~』で野口五郎さんの代表曲とも言うべき『私鉄沿線』も、
文音さんのアレンジを加えたピアノ演奏で、野口五郎さんが熱唱します。
さて、そうなると、年齢的には大学生くらいではないかと思われる息子さんの将来も注目される方も多いかもしれませんね。
いかがだったでしょうか?今回は1970年代から活躍する野口五郎さんの若い頃や、盟友の死とご自身の病気、妻やご家族のお話にフォーカスしてみました。
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