りりィ「私は泣いています」の大ヒットから半世紀!息子の嫁は!?

ポピュラー

1974年、ちょうど50年前。moon(筆者)が小学2年生頃、今ではなかなかピンと来ないくらい大きな数字のセールスとなった累計100万枚のレコードが売れたと言う大ヒット曲がありました。

もちろん、田舎の小学生の私も知っているくらい、文字通り誰でも知っている曲と共にりりィという名前も、あっという間に日本中に広がったのです。

そんなりりィさん、実は生前にお話した上、当時、小学生低学年くらいだった。息子と遊んでもらった。そんなお話も後ほど。



りりィ「私は泣いています」でヒット!父は米空軍将校。ハーフ?

りりィさんは(Lily)1952年2月17日福岡県のお生まれで、本名を鎌田 小恵子(かまた さえこ)さんと仰います。

元々、福岡県福岡市天神生まれで唐人町などで育ちます。母は中洲でバー「翡翠」と言うお店を経営しておりました。

父は米空軍の将校で、りりィはハーフとして生まれました。父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられ、父の顔を知らずに育ちました。

10歳の時、家族と一緒に東京にお引越し。小学校3年からは東京で育ちます。東映の児童劇団に1年半所属してました。

中学を出て、高校には行かず、りりィさんが17歳のとき母親が亡くなり、生活のためにスナックで弾き語りをを始めます。なかなかハードなメンタルですが、当時は似た境遇の方もいらっしゃったのかと拝察いたします。

「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元になっていると言います。「ィ」がカタカナなのは自分でなんとなく変えたという事でした。


りりィ「私は泣いています」女優デビューはあの監督作品で!

1972年2月5日、20歳のとき、東芝音楽工業よりアルバム『たまねぎ』で歌手デビューを果たしております。

りりィのデビューは1972年2月5日であり、谷山浩子(1972年4月25日)、荒井由実(1972年7月5日)、五輪真弓(1972年10月21日)よりも少し早いデビューでありました。

1972年はシンガーソングライター、アイドルなど数多くの現在大御所と呼ばれる方が、デビューしている年でもあります。

デビュー直後にりりィさんは、大島渚監督の『夏の妹』に出演しております。その後も、音楽活動と並行して女優としても活躍されています。

テレビでは『半沢直樹』や『孤独のグルメ』『ラヴソング』等など、映画も『湯を沸かすほどの熱い愛』や『モテキ』など、耳にしたことのあるドラマや映画でも数多くの役柄をこなしておりました。


りりィ「私は泣いています」はデビュー2年後の大ヒット!

荒井由実さんやアリス、宇崎竜童さん、又、アイドル歌手がデビューした’72年組の中、2年後「私は泣いています」が累計100万枚を超える大ヒットを記録しました。

この曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、初めは友人の研ナオコさんに歌ってもらうつもりだったのだが、事務所に提案したら、自分で歌う事になったと言う顛末らしいです。

しかし、りりィさんのハスキーボイスが、その曲調と合っていた事もあり、大ヒットとなったのでしょう。

その後、バイバイ・セッション・バンドを従えて全国のライブハウスを周ったと言うが、このバンドただものではなく坂本龍一氏をはじめ、木田高介氏、土屋昌巳氏、伊藤銀次氏、吉田建氏、斉藤ノブ氏、井上鑑氏、国吉良一氏などが参加している超豪華メンバー。

まさにJ-POPの黎明期を知る人なら耳を疑うような豪華メンバーである。


りりィ「私は泣いています」息子もミュージシャン。嫁は大物アーティスト。

後に2度目の結婚をし、活動を休止。当時沖縄で1985年に一人息子の樹音【JUON】さんが生まれる。

樹音【JUON】さんは、現在 FUZZY CONTROL(フィジーコントロール)のボーカルでギターリストである。

子育て中は埼玉県狭山市に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、樹音さんが中学生になり子育てが一段落した1997年、TBS系テレビドラマ『青い鳥』に出演し、芸能活動再開。

1999年からは斉藤洋士氏と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成し、全国各地で活動しております。

2005~6年頃に、moonの住む地方都市の小さな商業施設でりりィさんのユニットがキャンペーンだったのか、イベントを開いていた。

マスコミ関係の友人から、「息子と見に来て!」と誘われ、出かけてみた。正直、小学生の低学年の子供がいても良いのだろうか?と思ったのだが、出かけてみるとりりィさんはステージじゃなく椅子を置いたみんなと同じ場所にいて、リズムに乗って遊ぶ体操の様な事をしておられた。

前の方にいた息子に声を掛けて、大人みんなで、変なリズム体操みたいな事をやって遊んでもらった。テレビの話や、歌なども織り込まれた楽しいステージだった。

その時は、千葉県の鴨川で、仲間たちの近所で暮らしていると言う事を仰っていたように記憶している。

その後、2009年に放送されたテレビドラマ『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演されております。

このドラマの主題歌であるDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」は、JUONが所属するバンド、FUZZY CONTROLをフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、ある意味、親子共演となりました。

2007年の9月26日に映像ディレクターの末田健さんが、胚細胞腫瘍(はいさいぼうしゅよう)のため33歳の若さで亡くなったのですが、この方はDREAMS COME TRUEのボーカル・吉田美和さんと事実婚していた方でした。

悲しみを乗り越えた吉田美和さんの前に現れたのは、19歳年下の樹音さんでした。この時、吉田美和さんが46歳、JUON(樹音)さんが27歳でした。

出典

「JUONくんとしては、“吉田美和”という偉大な名前を守りたいという思いと“身も心も全部あなたに捧げます。オレがあなたを守ります”という誓いの意味を込めて“婿入り”を申し出たそうですよ。さすがにこれには吉田さんも“彼は本気で自分を愛してくれている”“彼ならもう一度愛しても大丈夫だ”と心が動き、プロポーズを受けたんです」

:               「吉田美和の名前守りたい」と19才下の夫JUONプロポーズ|NEWSポストセブン

つまり、りりィさんは、吉田美和さんの義母でもあったのですね。

以上、8年前の2016年11月11日に肺がんの為64歳で亡くなったりりィさんのご冥福をお祈りすると共に、幅広い人脈の一部をご紹介致しました。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました