『セイントフォー』はアイドルとして40億円とも言われるプロモーションを掛けて、階段を上る途中、事務所間のトラブルで、僅か2年5か月で消えてしまったアイドル達であります。
しかし、彼女たちが後世に残した爪痕は大きく、後にデビューして大輪の花を咲かせるボーカル&ダンスユニットと言うアイドル達の先駆けになったのかもしれないと思います。
今回は、何故『セイントフォー』が消えてしまったのか?その背景と彼女たちの楽曲を振り返ってみたいと思います。
セイントフォーのメンバーは、3万人から選ばれた4人の少女たち
セイントフォーのメンバーには、マイカラーと言うべきテーマカラーと愛称がありました。
ん?アクロバットな動きなども含めて、今の桃色クローバーZの皆さんは、よく似ています。
岩間沙織さん 1964年7月7日生まれ。血液型:O型。神奈川県出身。担当はコーラス&バックダンスでアクロバットは側宙 イメージカラー: グリーン 称号:FASHIONABLE SAORI(ファッショナブル・サオリ)
浜田範子さん 1965年2月22日生まれ。血液型:A型。埼玉県出身。リードボーカル担当 担当アクロバット:後方宙返り/イメージカラー: ピンク 称号:DRAMATIC NORIKO(ドラマティック・ノリコ)
鈴木幸恵さん
1966年5月15日生まれ。血液型:A型。神奈川県出身。リードボーカル担当/ 担当アクロバット:ピルエット(旋回)/イメージカラー: ブルー /称号:EXCITING YUKIE(エキサイティング・ユキエ)
※二代目リーダー。デビューから解散まで務めておりました。
板谷祐三子さん
1968年3月5日生まれ。血液型:A型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当/ 担当アクロバット:バック転(のちに前方倒立回転に変更)/イメージカラー: レッド/ 称号:PASSIONATE YUMIKO (パッショネート・ユミコ)
※1986年3月脱退。セイントフォー在籍中は常に眼鏡を着用していました。
いわお潤さん
本名:岩男潤子。1970年2月18日生まれ。血液型:AB型。大分県出身。コーラス&バックダンス担当/担当アクロバット:バック転/イメージカラー: レッド。
※板谷脱退後に加入し、またグループ解散声明前に脱退しております。
セイントフォーのメンバーは映画「ザ・オーディション」の主演の一般募集で3万人から選ばれました。
セイントフォーのメンバーが2年を費やしたデビューまでの日々。順調な駆け出しが一転。
セイントフォーのメンバーはデビューまで歌唱、体操、アクロバット、ジャズダンス、ローラースケートや筋トレなどに2年を費やし、練習の日々を送りました。
事務所の方針でマンネリ化を防ぐという理由により、2年毎のリーダーの交代を決めて活動をしていた為、初代リーダーは、岩間沙織さん、グループ結成時からデビューするまでの2年間を務めてました。
レコード会社のリバスター音産社は、歌手の橋幸夫氏の「後援会長」を務めていた「佐川急便」の佐川清会長(当時)が、橋氏のために82年に作った会社で、橋幸夫氏が副社長を務めておりました。
各レコード会社がしのぎを削り、激しい攻防戦の末にリバスター音産がセイントフォーを獲得しました。時はバブルの始まり、40億円デビューと業界でも話題となりました。
所属事務所は日芸プロジェクトと言う会社でした。
1984年のデビュー曲のプロデュースをしていたのは、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦氏。「不思議TOKYOシンデレラ」は出足もよく20万枚を売り上げ、
続く「太陽を抱きしめろ」も18万枚と順調に売り上げを伸ばし、地位も少しずつ確立しました。
アルバムは30万枚も売り上げ、当然、世間的にはうまくいっているように見えていましたが、なぜか1年後の1985年10月を境にリリースがピタリと止まってしまいます。
セイントフォーのメンバーを襲った事務所とレコード会社の対立、泥沼化の中で。
原因は所属事務所とレコード会社間に起きたトラブルでした。印税が払われていないと主張する事務所側と、事実無根と訴えるレコード会社。
顔に泥を塗られ、和解にも納得できない橋幸夫さん。和解勧告に応じることなく、五回もの弁論を重ねる裁判。修復不能の事態となってしまいました。
後に、この頃の事務所からの彼女たちの給料が月に3万円だった事、それすらも未払いがあった事などをインタビュアーに語っています。
今のように、コンプライアンスが重視されていない時代でした、結果的に大人のトラブルに巻き込まれてしまう形となった4人でしたが、メンバーでリーダー格だった岩間沙織さんは
「大人のトラブルには疲れました。私たちはライブ活動だけでも続けたかった。ファンの人たちに中途半端な状態では、かえって申し訳ないと思って4人で話し合って決断しました。」と涙ながらに解散を表明します。
その後、1987年1月18日、東京・御茶ノ水の日仏会館で解散コンサートと言う運びになってしまいました。
メジャー活動は2年5か月程度、下積みの時期が2年間。しかし・・・。
セイントフォーのメンバーが残していったもの。
何か、勿体なさと言うか、上昇中の解散を残念に思うのですが、すぐにそのスタイルを追従するグループが出てきたわけでもありませんでした。
しかし、その後、沖縄からの『マックス』『スピード』等、女性ダンスパフォーマンスとボーカルのユニットは続出しており、
特に2011年にデビューした『ももいろクローバーZ』は、メンバー一人一人のカラーが決まっている、バク転などのアクロバットな動きなど酷似する点が多い事もありますね。
その後の彼女たちは、それぞれの道を歩みますが、2018年3月、濱田・岩間・鈴木の三人で本格的に再始動することを正式に発表しました。
一年をかけてレッスンや再始動に向けての準備をしていたことが明かします。
しかし、再びコロナ禍により、活動を停止を余儀なくされます。現在は活動休止中と言う事です。又活動の時期を選んでいると言う情報もあります。40年越しの再起は、新たな形でリベンジとなるのでしょうか?
以上、セイントフォーのメンバーの皆さんが突如、芸能界の活動を休止して、消えた理由を調査してみました。
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