原田知世の若い頃、芸能界入りの可愛い不純な動機、離婚、現在の恋人は?

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原田知世さんが若い頃、1980年代を、共に過ごしたと言っていいくらい同世代の方たちには、親しみやすく人気のあった女優さんです。

と同時に原田知世さんは、映画『時をかける少女』のテーマソング以降は歌手としても、幅広い層で人気を得ていらっしゃいます。

原田知世さん、現在も56歳とは見えない美しさで、歌にも、磨きががっているようです。

そんな原田知世さん過去の離婚や、現在お付き合いされているあの俳優さんのお話なども含めて。若い頃から現在の活動にフォーカスしてみます。




原田知世の若い頃は、映画で、俳優と歌手の同時デビュー

原田 知世(はらだ ともよ)さん、長崎県長崎市出身です。1967年〈昭和42年〉11月28日生まれです。

原田知世さんは、若干2歳にしてお姉さん(原田喜和子さん・現在女優)と、バレー教室に通っておられたと言います。

原田知世さん、そんなに小さな時から身に着けていたスキルだったのですね。前に映画『愛情物語』で見せていたダンス姿(ジャズダンスでしたが)も板についていた訳です。

原田知世さんはデビューして間もなくから、テレビドラマや映画で、主役、ヒロインを演じ人気を博します。1983年の『時をかける少女』の主題歌を、松任谷由実さんの楽曲提供でも話題になりました。

しかし、原田知世さんの芸能界入りの動機は、「真田広之さんに会いたい!」と言う事が大きかったようです。

原田知世さんが中学3年生の時に「角川映画大型新人募集」に応募して特別賞を受賞されて、そのまま14歳で芸能界入りすることになりました。

14歳の少女だった原田知世さんが、あこがれる可愛い不純な動機に、微笑ましく思えてしまう私moonでした。その後もトレンディー系のドラマや、『天国に一番近い島』

中でも当時のスキーブームの中の原田知世さん主演の映画『私をスキーに連れてって』などもヒット作品になりました。


原田知世の若い頃の音楽提供は大物ぞろい豪華メンバー。

音楽的には、1982年7月5日に『悲しいくらいほんとの話』でキャニオンレコードから原田知世さんはデビューします。

作詞 来生えつこ 作曲 来生たかおの当時の大ヒットメーカーのご夫婦。

原田知世さんがオーディション合格からわずか3ヶ月でリリースされています。

原田知世さんご自身が主演したフジテレビ系ドラマ『セーラー服と機関銃』の主題歌として使用され、デビューから5万7千枚のセールスを記録しました。

作曲を手掛けた来生たかお氏が、自身のデビュー45周年を記念して2021年11月にリリースされたアルバム『追憶』の収録曲の一つとしてセルフカバーしている事からも、来生たかおさんとしてもお気に入りの一曲だったのでしょう。

その後は同年の10月にセカンドシングル。そして、翌年の1983年4月21日には、あの『時をかける少女』が原田知世さんのサードシングルとして発表されます。

この曲は原田知世さんが主演した同じ1983年の7月16日公開の映画『時をかける少女』の主題歌でした。

この『時をかける少女』と言う映画は、筒井康隆氏のジュブナイル(10代の若い方へ向けた)SF小説『時をかける少女』を映画化したもので、監督は今は亡き大林宣彦監督。

原田知世さんは主役の『芳山和子』役、ブレザー姿の高校生2年生を演じています。

広島県尾道を舞台にした大林信彦監督の『尾道三部作』と言われ、尾道の情緒あふれる坂道と、昔ながらの醤油屋さんの風景などと筒井康隆さんのストーリーがマッチして大ヒット映画となりました。

そして何よりこの映画のテーマソングを手掛けたのは、作詞作曲は松任谷由実さん、編曲を松任谷正隆さんのご夫婦。もちろん、当時から大御所でした。

原田知世さんは、お姉さんの影響もあり、幼い頃から松任谷由実さんの楽曲を聞いて育ち、そんな方に、曲を書いてもらう事が、原田知世さんご一家でも大きな話題になったと言います。

原田知世さんは、とにかく一生懸命に歌わなきゃと思ったと言います。功を奏して、又、映画のヒットなども影響があったのでしょう。

なんと原田知世さんのファーストシングルの10倍の58万7千枚のセールスとオリコン最高位2位と言う成績を修めています。

その後も、後藤次利さんの作曲、プロデュースや、大貫妙子さんの楽曲「彼と彼女のソネット」や吉田拓郎さんの『シンシア』のカバー。

1990年代以降になると、ムーンライダースの鈴木慶一さん、ゴンチチなど多くの大御所の音楽関係の方々とつながりが出来ます。


原田知世、若い頃。1度の離婚経験 電撃結婚、8年でピリオドの訳

原田知世さんは、2005年5月にイラストレーターのエドツワキさん【本名津脇栄彦(つわき よしひこ)】と結婚しましたが、2013年12月に離婚されてます。

エドツワキさんはヴォーグやマリクレールなどの世界的ファション誌や、

日本橋三越などの百貨店、資生堂のお仕事などを熟すイラストレーターです。

出会いは、原田知世さんのお仕事上で、ジャケット撮影や、ミュージックビデオの撮影などでお会いすることがあったようですが、お付き合いが始まり半年くらいで電撃入籍しております。

しかし約8年間、原田知世さんとエドツワキさんの結婚生活は続きますが離婚されてしまいました。

その時のエドツワキさんの公式サイトで

ファンの皆様へ

「突然のご報告ではありますが、原田知世とエドツワキは、それぞれの道を歩んで行くことにいたしました」

「これまで通りというわけにはいかないかもしれませんが、今後は互いを尊敬できる友人として、新たな関係を築いていけると思っています。私たちの決断と今後のそれぞれの活動をこれからも温かく見守っていただけましたら幸いです」

この様に、発表されています。

離婚の原因は、色々とあるのかもしれませんが、

2011年3月11日の東日本大震災がきっかけになったと言う噂もあります。この大きな震災に、エドツワキさんは、ボランティア活動に舵を取り、当然、収入が減ってしまいました。

一部の週刊誌の情報では、その事がきっかけで、再び芸能活動を始める事になったと言う情報もあります。原田知世さんとエドツワキさんが別居を始めたのもその時期だと言います。

私moonの憶測にすぎませんが、14歳から、ずうっと仕事を続けてきた原田知世さんにとっては、専業主婦の生活をどこかで望んでいたのかもしれません。

実際に、原田知世さんは2006年に出演したNHKドラマを最後に、メディアに登場することもありませんでしたが、離婚後の2014年から本格的に女優復帰をしています。

又、エドツワキさんが、田舎暮らしを提案してきたことも、原田知世さんにとっては受け入れ難かったのかもしれません。

そして、お子さんが出来なかった事もご夫婦の間では、重要で深刻な理由かもしれません。これは、仕方がない場合と、双方の気持ちの中での方向性で決まる事でもあり、ご夫婦にしか解り得ませんね。


原田知世、若い頃から大ファンだったと言う俳優と同棲中

原田知世さんは現在、若い頃から大ファンだと言う椎名桔平さんと同棲していると言う情報があります。

原田知世さんと椎名桔平さんの出会いは2018年のWOWOWの『連続ドラマW 不発弾~ブラックマネーを操る男~』と言うドラマ撮影がきっかけと言う事です。

椎名桔平さんは2003年の9月から2019年10月までの16年間、山本未來さんとご結婚なさっており、2010年生まれの男のお子さんがいらっしゃいます。

山本未來さんは、ファッションデザイナーの山本寛斎さんの娘さん(次女)で、1992年の映画『喜多郎の十五少女漂流記』にて女優デビューされている方です。

そんな16年間もの間、結婚生活を続けていたのですが、2012年頃には椎名桔平さんに、2018年には山本未來さんに、不倫のスキャンダル報道が出ていました。

離婚の会見では、お互いの価値観が変わったと言うような事を原因に円満離婚となったようです。椎名桔平さんは現在都内の3億とも言われる自宅を改装して、原田知世さんと同棲されているようです。

時折、週刊誌などにスクープが載りますが、いつも微笑ましい写真に見えてしまいます。

ここ数年で、双方の親御さんの状況も変わったと言います。原田知世さんのお父さんは長崎県で生活していましたが、’17年に逝去しています。

椎名さんの故郷は三重県で、’18年にお母さん、’20年にお父さんが相次いで亡くなってしまいました。

双方の肉親との別れなどを経験して、解り得る事も多いのでしょう。同世代のmoonとしてもいろいろ乗り越えてこられたお二人に温かい日だまりが出来ればよいなと思っております。

以上、原田知世さんの若い頃と、離婚理由、現在の恋人のお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

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