山本リンダ。昭和30年代、40年代頃の生まれの方は、間違いなくこの方の名前を知っているのではないでしょうか?
モデルデビューから、60年以上の歳月を芸能界で過ごす山本リンダさん。昭和の子供たちが、モノマネをした楽曲。
まだまだJ-popと言う言葉はありませんでしたが、みんなが楽しんだ歌謡曲としては、本当に大きな存在だと思います。
そんな山本リンダさん、小学生の頃からお仕事をしていたと言います、山本リンダさんは学校は行けていたのでしょうか?山本リンダさんの学歴や、年齢、夫の事など気になる事を調べてみました。
今回は、テレビが一般家庭に普及しだした時期に、ビジュアルと歌で日本全国に知られる事となった山本リンダさんにスポットを!
山本リンダの学歴・年齢は?両親はどんな方?小学生時代はいじめに。
山本 リンダ(やまもと リンダ)さん、1951年〈昭和26年〉3月4日のお生まれです。ご出身は福岡県小倉市(現:北九州市小倉北・南両区相当地域)九州の玄関口となっている街ですね。
2001年(平成13年)5月3日、7歳年上の常葉大学教授稲葉光彦さんとご結婚されていらっしゃるので、本名は、稲葉 あつ子(いなば あつこ)さん。旧姓名、山本 あつ子(やまもと あつこ)さんです。
身長168センチメートル。若い頃からプロポーション抜群な事でも知られてましたね。
父親はアメリカ人マイクさんという方です、母親は日本人の山本百合子さん。ハーフと言う事になります。福岡県小倉市のダンスホールでダンサーとして働いていた山本リンダさんの母と米兵だった父が恋に落ち、山本リンダさんは生まれました。
山本リンダさんのリンダと言う芸名はアメリカ人の父親に生前付けられた愛称で、 lindaはスペイン語・ポルトガル語で「美しい」を意味する形容詞(の女性形)なんだそうです。
しかし、父親は山本リンダさんが1歳のころに朝鮮戦争で戦死してしまいます。母は、山本リンダさんとお風呂に入ると、「あつこはお父さんに似てるね」と言われ、お父さんはこんな顔だったんだ?と思ったそうです。
親の気持ちとして、私moonとしては、山本リンダさんは、そのくらい、お父さんの事は解らなかったのだと思うと、
又、1歳前の『美しい』と名付けた娘を置いて戦争に行かなければならなかったお父さんの気持ちを想うと、とても悲しい気持ちになりますね。
そのため、山本リンダさんの母親の百合子さんの女手一つで育てられ、非常に経済的に貧しい中で育ったと言います。70年前の日本は、敗戦から10年程度の歳月しか経ておらず、そういう家庭が多かったのも事実です。
そんな中、5歳の時に神奈川県横浜市に転居する事になります。現在は4時間台で移動できる、小倉~横浜間ですが、当時は14時間以上かかったのだとか。
横浜に移り住みましたが、まだハーフが珍しい時代だったので、近所の子どもたちに「やーい、合いの子!」といじめられたこともあったそうです。
そんなとき、母は山本リンダさんをひざにのせ、
「あつ子(本名)、人をいじめる子は心が狭い人なのよ。これからはね、世界中の人が仲良くしなくちゃいけないのよ。人をいじめるなんて時代遅れ」
「みにくいアヒルの子は、最後は白鳥になるの。あつ子は白鳥なのよ。だから、自信を持って育ってほしいの」
Ms Wendy 2020年1月版
幼少の時代は、貧しく、又、何も悪くないのに、こんな風に惨めな思いをしたのかと思いましたが、山本リンダさんの母は、そう話をして、優しく慰めてくれたのだそうです。
山本リンダさんはその言葉に勇気をもらい、自分を卑下することなく過ごすことができたと言います。今の時代なら、何も心を痛める事もない事なのかもしれませんが、
私、moonの頃の世代にも、まだそういう風潮は残っており、子供の頃、何事にも限らず、そういう偏見の様なものはあったなと感じます。
時を同じくして、母と共に創価学会に入会して、現在でも芸術部と言う部会に所属し、幹部となっておられるようです。
小学6年生になると、少しでもは母の役に立ちたいと、自らモデルの募集に応募、1962年(昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、人気モデルとして活動すします。
すごい行動力と度胸ですね~。
山本リンダの学歴は○○高校卒業 母の教えは「天狗になるな!」
モデルとなって人気が出始めた時、又、デビュー曲『こまっちゃうナ』がヒットに恵まれた時、少し調子に乗った山本リンダさんの言動や態度を見ると、『天狗になるな!』と言われたそうです。
半面、山本リンダさんが幼少の頃から、自分の為に内職や魚市場で身を粉にして働き、優しい言葉を掛けてくれた母に感謝しておりました。
小学生の内から、母を想いモデルになろうとした時も、山本リンダさんがモデルのお仕事をやっても良いかと聞くと「あつこが、やりたい事だったらいいよ。」と応援してくれたと、のちに雑誌のインタビューにてお話されていました。
15歳で歌手デビューし、『こまっちゃうナ』が大ヒットしました。そのとき、山本リンダさんは横浜総合高校の1年生。そして、この後、横浜総合高校を卒業されています。
その頃、山本リンダさんの人気は、世界的モデルで、社会現象とまで言われたツイッギーが来日した際に、共演を果たすほど大活躍しました。
こうした状況でも母親の百合子さんは、「あつこ勘違いするんじゃないよ。人間としてどう生きるかが大事なんだよ」と常に山本リンダさんに言い聞かせていたという事です。
こんな風に本当に大切な事を伝えられていたので、山本リンダさんは強く、バイタリティのある方になったのかと想像します。
山本リンダ学歴は高卒・夫は大学教授?馴初めは?自宅は?
山本リンダさんは、高校卒業の後、大学へ進学なさっていないので、学歴としては『高卒』と言う事になります。
山本リンダさんは2001年5月3日にご結婚しています。ちょうど、50歳になる年で、初婚です。夫は稲葉光彦さんという常葉大学、副学長を務める方です。
山本リンダさんより7歳年上で、慶應義塾大学院卒業の方です。結婚当時は常葉大学の教授でしたが現在は副学長にまで昇進していらっしゃいます。
山本リンダさんとの夫稲葉光彦さんの出会いは、「共通の知人の紹介」だったそうですが、趣味も合い意気投合した二人は、ともに、早くから結婚を意識したと言う事です。
現在新宿のご自宅で二人暮らし、少し前に18歳まで生きた飼い猫が亡くなって心を痛めているそうです。
山本リンダさんの夫は、一通りの家事を熟し、料理の腕前が上がっているのだとか。又、ご一緒に散歩にも出られるそうですが、7歳年上であるにもかかわらず、健脚過ぎて山本リンダさんがついてゆくのに必死なんだとか。
いずれにしても、ご夫婦仲睦まじく過ごされているようで、何よりだと思います。
山本リンダ学歴は、小学生から高校まで仕事と勉強の両立!現在若手とのコラボ!
歌手としては、15歳から『こまっちゃうナ』(この歌詞は、ご自身の発言からタイトルになったとの事)でヒットを飛ばし、15歳の時大学生からプロポーズされたと言う山本リンダさん。
鳴かず飛ばずの時期も経験されておりますが、およそ7年後、歌い方や、ボイストレーニングで声の質を変えて、再出発の意気込みで歌った歌が『どうにも止まらない』でした。
その『どうにもとまらない』が現在若手のシンガーソングライターで俳優の寺西優真(てらにし ゆうま)さんとのコラボレーション映像がYouTubeで流れております。
寺西優真さんは、シンガーソングライターとして、俳優として非常に評価の高いお仕事を熟されております。
2023年12月21日に、ワーナーミュージック・ジャパンから初編曲「どうにもとまらない2024」をリリースしており、山本リンダとデュエットされてます。
2024年1月には、BSフジ連続テレビドラマ『~if~警視庁捜査一課 剣木善治』で主演の剣木善治を務めることが発表された。オープニングテーマ「どうにもとまらない2024」を担当されています。
若い頃は、初めは山本リンダさんは男性ファンが多かったのかと思いますが、仮面ライダーに出演して、子供たちの間でも大人気になります。
現在は、さくらももこさんの『ちびまる子ちゃん』で、まる子が、振り付けをまねたりするため、現在の子供たちにも人気があると言うので、驚きです。
どんなに人気が出ても、母の教えの『天狗になるな!』と言う言葉は常に山本リンダさんの心には生き続けてい居るのでしょう。
以上、山本リンダさんの学歴と若い頃の活躍についてのお話でした。
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