椎名林檎の若い頃、生まれた時からデビューまでの学生時代

カバーソング

椎名林檎さんが若く、メディアに出始めた頃、世の中は世紀末でした。1978年生まれの彼女が二十歳くらいの事ではと思います。確か1998年から1999年頃だと思います。

椎名林檎さんのデビュー当時は、『speed』や『モーニング娘。』等のダンス系やアイドル系ユニットと、『B’z』や『GLAY』等のロック系のバンドが全盛の時期でした。

そんな中、高い存在感を持って、単身分け入ってきた若い頃の椎名林檎さん。

椎名林檎さんは、どんな生い立ちだったのでしょうか?若い頃、中学、高校時代からデビューまでの情報をちょいと調べてきました。




椎名林檎の若い頃。生まれてすぐに二日間にわたる大手術!

1978年11月25日に、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)で生まれた椎名林檎さん。

先天性食道閉鎖症と言う状態で生まれてきた椎名林檎さんですが、この症状は赤ちゃんの中には、食道が1本の管としてつながっていない事があり、 2500人に1人くらいおられるそうです。

その為、椎名林檎さんは生後すぐに新宿区の慶應義塾大学病院まで搬送され、2日間にわたる大手術を受ける事になります。

椎名林檎さんの父親は、その頃、外資系石油会社に勤めておりました。父親の転勤により2歳のとき椎名林檎さんは、静岡県清水市(現・静岡市清水区)に移り住み、のちの約10年間を過ごす事になります。

椎名林檎さんは、4歳の頃におばあちゃんにお願いしてピアノを習い始めたと言います。幼い頃から音楽好きであったことは間違いないようですね。

1990年、椎名林檎さんは小学6年生のときに父親が福岡支店の勤務となり、福岡県福岡市早良区へ引越しすることになります。

幼少時から10年以上ピアノとクラシック・バレエを習っていた椎名林檎さんでしたが、生後まもなく手術を受けた際に体の左右均等に力が入らない後遺症が残ってしまったと言う事です。

椎名林檎さんのこの後遺症が徐々に悪化したため、バレエとピアノは断念せざるを得なくなったと言います。

しかし、それは椎名林檎さんが中学生になるとバンドを結成する引き金になったのかもしれませんね。



椎名林檎の若い頃・中学時代は、あの女優さんと仲良し

中学生になった椎名林檎さんが通う福岡市立百道中学校では友人とバンドを結成して学園祭などで何度か演奏する傍ら、体育祭では女子の応援団長を務めていたと言うので、

今のアンニュイな雰囲気とは違い、活発で活動的だったのだなと意外に思えます。

この椎名林檎さんが通う福岡市立百道中学校には、女優の山口紗弥加さんが1学年下の後輩として在学していました。又、お笑いコンビの「どりあんず」堤太輝さんも同級生だったと言います。

椎名林檎さんは、山口沙弥加さんの中学時代、同じ演劇部に所属していたそうです。椎名林檎さんが山口沙弥加さんについて『明るい子でアイドル性もあった』と言う話をすると、

それを伝え聞いた山口沙弥加さんは、『椎名先輩。かわいかったですよ、先輩は文化祭とかでガールズバンドを組んで歌ってました。ドリカムの歌とか歌ってましたね。めっちゃかわいかったですよ』と中学時代の思い出を振り返っておりました。

又、椎名林檎さんが考案した踊りの振り付けを山口沙弥加さんが踊ったりしていたりもしていたようで、仲良しだったことがうかがえます。

椎名林檎さんは、山口沙弥加さん出演のドラマの曲を書いて、山口沙弥加さんに歌わせるのが夢なんだそうです。


椎名林檎が若い頃、高校生活と高校退学理由

椎名林檎さんの高校は福岡県立筑前高等学校だと言われています。

成績の優秀な高校だそうですが、その中でも、学級委員なども務める椎名林檎さんの成績は優秀だったそうです。

椎名林檎さんが高校一年生当時、『第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン 放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤル』と言うオーディションに応募しております。

椎名林檎さんがある地方局のラジオで、中学校の卒業式の後、友人たちと訪れたカラオケ店で、賞金百万円に惹かれてカラオケコンテストに全員でエントリーしたと言うお話をしていて、

登録したところ、後日、ホリプロからタレントスカウトキャラバンの九州代表として椎名林檎さんが選ばれたという連絡があって全国大会に出場することになったのですが、

椎名林檎さん自身はアイドルを発掘するイベントだという事を知らずに「全国大会に進むまで、水着審査があるなんて知らなかった。」と話していました。

因みにその時の、グランプリは上原さくらさんだったと言います。

かなり、路線の違うお話なので、そこで椎名林檎さんがグランプリになる事は無かったかと思いますが、もしそうなっていたら、今のアーティストとしての椎名林檎さんは居なかったかもしれません。

1995(平成7)年5月11日 西日本新聞の紙面に下記のような記事が載っています。

音楽好きの10代の若者たちが、歌や演奏の腕前を競う「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル95全国大会」に、福岡市の女子高校生バンド「マーヴルス・マーブル」が福岡ブロック代表として出場する。メンバーたちは、14日、東京で行われる大会に向け、最後の練習に励んでいる。

同バンドは、ドラムス時津梨乃さん(17)をリーダーに、ボーカル椎名裕美子さん(16)、キーボード末永いづみさん(16)、ベース中川愛さん(16)、ギター津田由貴子さん(17)の5人組。福岡市内の県立、私立高校に通う2、3年生で、中学時代のバンド仲間や高校のクラスメート、音楽教室の友人などが集まって、昨年末に結成した。

ボーカル椎名裕美子さんこそ、誰あろう16歳の椎名林檎さんであります。

この「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル95全国大会」において、福岡地区で1位となり全国大会に進出、奨励賞を受賞しています。

この時のティーンズ大賞・文部大臣奨励賞(グランプリ)はaikoさんでした。

椎名林檎さんは「ティーンズミュージックフェスティバル」でaikoさんに会った日のことを、のちに雑誌でaikoへのコメントとして「一生忘れません」と語っておられます。

椎名林檎さんとは、タイプは違うミュージシャンですが、その当時から感じるものはあったのかもしれませんね。

そしてその直後、椎名林檎さんは高校2年生の3学期が終わると高校を退学してしまいます。

進学校だった高校で校長先生が、大学進学者の名前を読み上げていて、自分に大学進学の意志が無い事、椎名林檎さんにおいては、そこに意味を見出せなかったのでしょう。

「音楽活動に専念する為、自分の人生に関係のない勉強はしたくない」という理由から高校2年生の3学期が終わると同時に中退してしまいます。

バンドの仲間や友人もいらっしゃったのでしょうが、とかく群れを成す女子高生の中でありながら、椎名林檎さんは群れを成さないところが、椎名林檎と言う感じがして、かっこいいですね。


椎名林檎の若い頃から、デビュー前まで椎名林檎こそ椎名林檎。

高校を退学してからの椎名林檎さんは、ピザ屋さんや警備員等のアルバイトで食いつなぎながら、デモテープを作る日々を送っていたと言います。

椎名林檎さんは、音楽教室に通っていて、芸名を『林檎』か『りんご』かで迷っていた為、ギター講師に相談して『椎名林檎』になったそうです。

元々は高校時代に「ここでキスして。」「ギブス」「茜さす帰路照らされど…」「虚言症」などの作品を初めてJASRACへ著作者登録をする際に筆名が必要となり、あくまで一時的なつもりで使ったそうです。

なぜ「林檎」と命名したかについては、自分が最初に始めたドラムスだった事でビートルズのドラマーだったリンゴ・スターの名前や、また名前が人の名前とは思えない、漫画家の吉田戦車さんのペンネームの影響もあるのだとか?

しかし、本当の由来は、子供のころはかなりの恥ずかしがり屋で、学校で先生に指されるとすぐほっぺたが真っ赤になってしまっていたからだと言うのは、なんか可愛らしいですね。

1996年、フリーター生活をしながらも、「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会にふたたびバンドで出場します。

しかし、大会関係者にソロ転向を勧められて決勝の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」には「椎名林檎」として「ここでキスして。」を歌って優秀賞を獲得します。

地方予選の段階で、引く手あまただったようですが、中から東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)を選んで契約と言う運びになります。そしてシングル「幸福論」でデビュー。

しかし、デビューにこぎつけるまでには、大きな違和感を感じると言い楽曲の大幅な手直しをと言う外部ディレクターの意向と、それを断固拒否する椎名林檎さんとの間で衝突が起きたと言います。

その為その体制では出来なくなってしまいました。

もちろん、製作者の意向に沿わないものを、出すのは物を作る人間にとっては、苦痛以外の何物でもないでしょう。

しかし、レコード会社である東芝EMIの担当者の方は、『吉田拓郎』がデビュー当時、年配者から否定されていたのに、デビューしたら若者の間で大ヒットした事が前例となったと言います。

それまで経験したことがないほどの違和感は大化けの予兆かもしれないとも思った。と言い、椎名林檎さんの個性を生かすには旧来のディレクションは無視して自由にやらせるしかない。

という決断になったのだそうです。そしてそれはそのまま大化けとなりました。いつの時代も新しいものは、少なからず年配者には違和感を感じるものですね。

あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守り通します。 『幸福論』

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と言うフレーズが椎名林檎さんのデビュー曲『幸福論』の中にあります。魂を感じます。

さてこの後、椎名林檎さんは知人の伝手をたどって、単身イギリスに渡り、自分と向き合い、見つめなおします。

今回、椎名林檎さんの若い頃と言う事で書いてみましたが、あまりに面白いエピソードがたくさんあり、垣間見える可愛さに、印象が随分変わりました。

交友関係、親族、親戚の方などのお話も面白そうなので、又、是非、調べてみたいと思います。

以上、椎名林檎さんのデビューまでの学生時代のお話などをお送りいたしました。

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