『ミスター・チルドレン』このバンド名を、聞き始めたのは、私moonがギリギリ20代の頃だったような気がします。
一度聞き始めたら、ラジオから、テレビから頻繁に流れてくる名前と楽曲が当時の印象として残っています。
あっという間に、『ミスチル』と言う略称で全国的にお馴染みになって行き、今では大御所と言う感じであります。ファンの方の熱が凄いのも感じます。
シャウトする桜井和寿さんの若い頃を思い浮かべながら、ミスターチルドレンの活躍を振り返ってみましょう。
ミスターチルドレン桜井和寿の若い頃。バンドのメンバーは4人!
それでは、早速、ミスターチルドレンの4人のメンバーの詳細を
🔵桜井和寿(さくらい かずとし)本名は櫻井和寿(読み同じ)さんです。1970年〈昭和45年〉3月8日のお生まれなので、丁度今月(2026年3月現在)56歳になったばかりですね。
出身は東京都練馬区で、身長は172㎝ 血液型はO型です。長年、ボーカルとギターを担当されている、いわばフロントマンとして活躍しております。
🔵田原 健一(たはら けんいち)さんは、1969年9月24日 生れです。出身は福岡県ですが、引っ越しを繰り返し、7歳の時に東京の中野区に引っ越してきます。血液型はO型です。
野球少年で、中学の頃から音楽への興味がありましたが、高校で同級生になった桜井和寿さんが、学校にギターを持ってきたところから、桜井和寿さんと仲良くなります。当然、ギターを担当しています。
🔵中川 敬輔(なかがわ けいすけ)さんは、1969年8月26日生まれです。ベースを担当されています。出身は長崎県。血液型はA型です。
やはり、東京都町田市に引っ越しされ、田原健一さんとは中学で同級生でした。中川敬輔さんと田原健一さんは高校になったら、バンドを組む約束をしていました。
田原健一さんがギターを選んだので、中川敬輔さんはベースを選びました。
🔵鈴木 英哉(すずき ひでや)さんは、1969年11月14日生れです。東京都は杉並区のご出身。
中学3年生の終わり頃からバンドを組んで、高校では掛け持ちでドラムスを担当するくらいの腕前に上達したと言います。担当は勿論ドラムスです。血液型はA型だそうです。愛称はジェン。
これは、
田原健一さんと中川敬輔さんと鈴木秀哉さんの3人は、同じ中学校の同級生でした。
ミスターチルドレン桜井和寿若い頃!実家や別荘、亡くなった兄は?
ミスターチルドレンの桜井和寿さんのご実家は、練馬区貫井にある『株式会社 櫻井工務店』2008年5月に桜井和寿さんのお父さんが、60歳で癌で亡くなるまで、お父さんが社長さんだったようです。
その後、同じ会社名のまま、恐らく従業員で、身内に近しい方が、会社を引き継いでいらっしゃるようです。
桜井和寿さんは小さな時から大工さんになろうと思っていて、実は、ミュージシャンの道を進み始めてからも、しばらくは、売れなかったら大工さんになろうと思っていたのだそうです。
お母さんは、喜久恵さんと言う方で、保母さんでした。お母さんの出身は山形県の鶴岡市という海辺の町で、幼い時から毎年夏休みなどは、この鶴岡の湯浜海岸に遊びに来ていたのだそうです。
桜井和寿さんは、この場所が好きで、「この場所が自分を成長させてくれた。」と言わしめるくらいの思い入れのある場所です。
ミスターチルドレンがブレイクを果たした1990年代の後半から2001年あたりに、母親の実家のある山形県鶴岡市の湯浜海水浴場にほど近い場所に、別荘兼スタジオを建設しています。
2002年に桜井和寿さんが、小脳梗塞と診断され療養に入った時も、この別荘で過ごしたと言い、名曲と言われている曲もここで作られているものも多くあります。
2018年8月の週刊誌では売りに出されていると書かれていましたが、2022年には、近所のお蕎麦屋さんを訪れていたサインなどがあるので、当初より頻繁ではないにしても、時々立ち寄っておられるのかと思います。
桜井和寿さんのご両親とも再婚で、桜井和寿さんの父は前妻との間に1人の息子で桜井和寿さんのにとっては、母の違うお兄さんがいました。
その方は若くして、癌で亡くなってしまったと言いますが、桜井和寿さんにとっては『最高に、かっこいい』方だったようです。
詳細を調べてみましたが、ラジオでその事に触れていたことがあったようですが、癌で亡くなったと言う事以外、細かな事は解りませんでした。
1998年10月21日に『終わりなき旅』を発売されておりますが、この曲は亡きお兄さんの為に書いた曲だと言われていますから、桜井和寿さんが28歳の頃です。
年齢差や、その曲を出すまでの経緯なども解らないので、何とも言えませんが、桜井和寿さんに影響を与えた方だったようです。
ミスターチルドレン桜井和寿若い頃!姉の一言と、名プロデューサー
ミスターチルドレンの中川敬輔さんと田原健一さんは、中学の時に高校になったらバンドを組もう!と約束をしていたそうです。
桜井和寿さんは、高校に入ってからの付き合いで、その為、ミスターチルドレンは、原型はそこからと語っております。
桜井和寿さんは、お姉さんから、ギターをもらい中学2年生の頃から弾き始めますが、お姉さんが始めたばかりの桜井和寿さんを「あなた、天才ちゃう!?」と褒めちぎっていたそうです。
当然、姉のお世辞だったと言いますが、始めて間もなくにそんな風に言われたら、誰でもうれしくなるはずで、そこでけなされていたら、続けていたかどうかは解りませんね。
軽音楽部の活動がある関東高校(現聖徳学園高校)を目指し、入学。そこで中川敬輔さんと田原健一さんと出会う事になります。
その頃、桜井和寿さんには、お付き合いしている彼女も現れます。桜井和寿さんが高校1年生だったのは1985年春、色々な事が動き出します。
この彼女とは、22歳の時まで、およそ8年間の交際が続きました。
桜井和寿さんが高校生だったのは1985年・1986年・1987年で、当初組んでいたバンドは軽音楽部内にバンド『Beatnik』を組んで活動していました。
高校を卒業した後の1988年に、ソニーのコンクールの予選通過しますが、そのタイミングで、ドラムスのメンバーが抜けた為、最終選考までに探した、田原健一さんと中川敬輔さんの同級生の鈴木秀哉さんをメンバーに加えます。
1989年、昭和64年で、平成元年となる年にバンド名を『THE WALLS』から『Mr.Children』に変更します。
バンド名はイギリスの『U2』のアルバムのジャケットからの影響や、子供たちと平和への願いなどを込められていています。
『Mr』ミスターは、大人のイメージ。『Children』チルドレンは文字通り子供。大人から子供まで枠にとらわれない音楽をと言う意味もあるのだそうです。
しかし、メジャーデビューまではもう少し下積みがあります。
1990年になるとメジャー契約が進み、元My Little Loverのメンバーで、サザンオールスターズなどのプロデューサーを務める小林武史さんとタッグを組みます。
小林武史さんも、山形の新庄市と言う鶴岡市から車で1時間ちょっとの場所のご出身なので、もしかしたら桜井和寿さんと山形の話で盛り上がったのかもしれません。
その後、1992年5月10日に1stアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビューを果たすと、1993年には4thシングル『CROSS ROAD』が初のミリオンセラーになり、
1994年には5thシングル『innocent world』発売するとバンド初のオリコンチャート1位を獲得。193万枚を売り上げ、年間シングル売上1位獲得と人気の上昇は留まる事を知りません。
ミスチルの代表曲ともいえる曲ですね。その後も快進撃は続き、『Tomorrow never knows』『シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜』等などの楽曲で日本中で知られる事になります。
ミスターチルドレン桜井和寿若い頃!子供たちへの思いの楽曲が!
さて、先程、ちらっと触れましたが、桜井和寿さんは、高校1年生からメジャーデビューの22歳の頃までお付き合いされていた方が居りました。
桜井和寿さんにとっては、その時代の礎になるような存在だったようで、考え方だけでなく、性格も変わったと言う程、桜井和寿さんに影響を与えた方です。
しかし、1992年の5月のメジャーデビューの頃にマネージャーとなる5歳年上のゆかりさんと言う女性と出会います。
およそ1年半後の1994年1月に、ゆかりさんと結婚します。同時にゆかりさんが妊娠されている事も発表されます。
1994年の10月になると、ゆかりさんが長女となる優歌(ゆうか)さんを出産します。その頃にはミスターチルドレンは「イノセントワールド」が大ヒットしていました。
1994年11月になると「Tomorrow never knows」が276万枚の大ヒットとなり、順風満帆に思えましたが、そんな幸せに見えた状況は、1997年の桜井和寿さんの不倫報道で一転します。
お相手はタレントの元ギリギリガールズの吉野美佳さんです。合コンのような場所の出会いだったようですが、意気投合して、会う機会が増え、徐々に・・・と言う事のようですが、
前妻とは関係がうまくゆかなくなっていたと言う事ですが、婚姻状態ではありましたし、当時は不倫報道として騒がれました。
その後、推定で5億円くらいに相当する慰謝料を支払い2000年5月に離婚、離婚から一カ月後の6月に、吉野美佳さんと結婚しています。
それでも、娘の優歌さんとは、定期的に合っていたと言う事で、そんなエピソードらしい歌詞も「優しい歌」や「my sweet heart」といった楽曲に垣間見え、娘の成長に思いを寄せているのが判ります。
現在の奥さんのとの間の長男は、2001年4月13日生まれの櫻井海音(さくらい かいと)さん。
2003年4月生まれの次男・愛音(まなと)さん、三男・奏音(そら)さんは2008年3月生まれと言う事なので、三男の奏音(そら)も17~18歳(2026年3月現在)でしょうか?
長男の櫻井海音さんは、「Kaito」という名義で活動し、ロックバンド『インナージャーニー』のドラマーとして音楽活動を行っていましたが、現在は、俳優としての道を歩んでおられる様です。
次男の方は、別の業界にいらっしゃるのか?一般人として自立されているのかもしれません。又、三男の方については、高校生くらいなのかもしれません。
現在、お子さんが4人おられると言う事で、見かけのクールさより、子供に対する愛情や想いの深い方なのではと思います。
それはご自身の子供だけじゃなくて、子供を持つ親や、日本中の子供たちに、世界中の子供たちに向けて。
私がそう感じるのは2004年に発表され、カップヌードルのCMソングになっていた記憶がありますが、『タガタメ』と言う曲です。一節に
子供たちを被害者に、加害者にもせずに、この町で暮らすためにまず何をすべきだろう?
でももしも被害者に加害者になったとき、出来ることと言えば涙を流し瞼を腫らし祈るほかにないのか?
でももしも被害者に加害者になったとき、かろうじて出来ることは相変わらず性懲りも無く愛すこと以外にない
この歌詞と、『もし明日晴れたら、広い公園へ行こう』と言う歌詞の対比が切なく、常に子供たちに何か起こるかもしれないと言う事を意識されているのかもしれないと思いました。
どんなにお金を積もうと命を失うような事件があった時、だれも責任なんて取れない。ただ涙を流すほか何もできないそんな思いが感じ取れます。
この曲が出来た2004年は佐世保で、小学生の女子児童が、同級生の女の子の首をカッターで切って殺害したと言う事件や、2001年に大阪の池田小学校で児童7人が殺害された事件の犯人の死刑が執行された事などがありましたが、この曲は出来たのはこれらの出来事の少し前です。
又、前の年の2003年にも、長崎市の幼児誘拐事件は、12歳の少年が4歳の女の子を誘拐して殺害する事件もあり、
子供たちが被害者にも加害者にもなりうると言う歌詞が、当時子育てをしていた筆者にも響いており、ミスチルの中では、一番好きな曲です。
報道される虐待や子供たちの事件に桜井和寿さんの子供さんと同年代の事件に心を痛めていたのだと思います。
いかがだったでしょうか?今回は、ミスターチルドレンの桜井和寿さんの情報やメンバーのプロフィールをまとめてみました。

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