キャンディーズと聞いて、ピンとくる世代は、40代後半より上の方が多くなってしまったのでしょう。
しかし、キャンディーズの楽曲は、今もまだCMや音楽紹介の番組、又はバラエティ番組などで時折、耳にすることも多いです。
又、当時は、珍しかった解散を宣言して、解散コンサートを行うパターン、キャンディーズと、親衛隊の正直な気持ち。
キャンディーズが終焉を迎えたその日までの周りの動きなどを深読みしてみたいと思います。
1970年代を彩った、スーパーアイドルとキャンディーズから始まったという元祖アイドルヲタクである親衛隊の姿を振り返ってみたいと思います。
キャンディーズ、ランちゃん、親衛隊は、時代を変えた。
キャンディーズのメンバーは、伊藤蘭さん(愛称はラン)1955年(昭和30年)1月13日生まれメンバーカラーは赤でした。
藤村美樹(愛称はミキ)1956年(昭和31年)1月15日 メンバーカラーは黄色です。
田中好子(愛称はスー)1956年(昭和31年)4月8日 生まれです。2011年(平成23年)4月21日に55歳歳の若さでお亡くなりになってます。メンバーカラーは青。
この当時はグループのメンバーにイメージカラーを持たせるのが、流行しておりました。キャンディーズのメンバーは、3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身。
NHKの歌番組でマスコットガールとして3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」を意味して「キャンディーズ」と名付けられました。
1972年4月、ラン(伊藤蘭)、スー(田中好子)、ミキ(藤村美樹)の3人で結成されたキャンディーズは公式に渡辺プロが手がけた最初のアイドルです。
キャンディーズの歌手デビュー曲であるシングル「あなたに夢中」のリリースから後楽園球場で行われた解散コンサートまでの期間はわずか1676日間でした。
年数に直せば、凡そ4年半の月日の中で生まれた楽曲たちと彼女たちの軌跡とその時代に生まれた親衛隊を振り返ってみます。
キャンディーズの楽曲はシングル・アルバム被るものも併せて262曲にも及びます。元GSアウト・キャストのメンバーで作曲家の穂口雄右氏が初めから手掛けています。
初めてのシングルは『あなたに夢中』で1972年9月にリリースされますが、今一つの伸びだったのです。
その後の3枚のシングルも鳴かず飛ばずで、5枚目にマネージャーが起死回生の決断と共に、それに呼応したキャンディーズの底力が、5枚目のシングル『年下の男の子』で見事に開花する事となりました。
キャンディズのレコードのリリース前から、ザ・ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』にレギュラー出演していたこともあり、すでにお茶の間では人気を博していました。
しかし、キャンディーズの音楽性、歌唱力についてこの『年下の男の子』がオリコンで9位になった事をきっかけに、多くの大学生のファンが、ファンを公言します。
(当時・男性がアイドルを公にファンだと伝える事が少なかったのです。ちょっと恥ずかしい行為だったのです。今の時代とはずいぶん違います。)
男子大学生がメインになって親衛隊を結成されるほどでした。アイドルの親衛隊と言う言葉が出来たのはその頃でした。
そこから約20年以上はアイドルに男性ファンの『親衛隊』のいる時代が続くことになりました。
その頃は、親衛隊の衣装は、普通の姿でしたが、徐々に特攻服と言う長い丈の派手な刺繍が入ったアウターに身をまとい、イカツイ姿の親衛隊が見受けられるようになりだしました。
時代が変わって、現在はアイドルを推す人たちを『おっかけ』『ヲタ』なんて呼ばれているようですが、当時の親衛隊の風貌などとはまるで違うものになっています。
キャンディーズ。ランちゃんを意識した楽曲がヒット!
先述の5枚目のシングル『年下の男の子』は、ランちゃんが、他の二人より男性のファンの比率が大きく幅広い年齢層のファンを獲得している事に気が付いた当時のマネージャーが、
『ちょっと年上の素敵なお姉さん』をイメージして狙ったと言うから正しい読みだったのでしょう。
それを皮切りに、も~うすぐ春ですねぇ!で始まる『春一番』、すぎやまこういち氏の作曲の『ハート泥棒』吉田拓郎氏の『やさしい悪魔』。
『暑中お見舞い申し上げます』は作詞の喜多條忠氏など、有名なアーティストが、キャンディーズの元に集まりだします。
人気歌手グループとなったキャンディーズでしたが、バラエティ番組への出演は変わらず、出演を続けていました。その為に幅広い層から支持され続けていたと思われます。
親衛隊の方々は、それぞれに今で言う『推し』はいたのでしょうが、いわゆる『箱推し』と言われる方達だったと思います。
キャンディーズ、ランちゃん。メンバーの言葉から流行語が?
そんなキャンディズが1977年の夏、突如解散を発表します。
キャンディーズは同年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、ランちゃんが大勢の観客に向かって「皆さん、今日は本当に、どうもありがとう」と一言感謝の気持ちを伝えます。
そしてミキちゃん、スーちゃんと寄り添いつつ、泣いていました。
みんなのざわめきの中、一呼吸おいて、3人は涙を流し続けながら、ランちゃんが「私たち、皆さんに、謝らなければならないことがあります」、
ミキちゃんが「ごめんなさい」と言うと、
スーちゃんが「許してください」と、ファンに向かって謝罪を始めました。
そして衝撃の一言が・・・「私たち、9月で解散します」と、まさかの解散宣言。
その時に、ランちゃんが泣きながら発言した言葉は「普通の女の子に戻りたい!!」と言う言葉でした。
この「普通の女の子に戻りたい!!」と言うキャンディーズの言葉は多くのマスコミで取り上げられ、当時の流行語にもなっています。
1977年9月で解散すると公言したキャンディーズでしたが、プロダクションに相談の無いままの公言だった為、(当時はかなり自由。)
スケジュールなどの調整で折り合いがついたのは半年後の1978年の4月4日となりました。
解散コンサートは、ファイナルカーニバルと銘打って後楽園球場で行われました。(当時はドームではなかった。)
このコンサートは、ザ・ピーナッツに続き二例目の解散公演でもあり、又、女性歌手グループの初のスタジアムコンサートとなりました。
キャンディーズの発信した「私たちは本当に幸せでした。」と言うセリフが、多くの人に感銘を与えました。
もちろん、親衛隊の皆さんの胸が引き裂かれる思いだったのでしょう。当時の新聞には『男子が泣いた』と言うような意味合いの見出しで、大きく報道されていたのを、小学校を卒業したばかりのmoonは、覚えております。
それはそのくらい悲しい事なのだと肯定的に思ったのも覚えています。
当時、アイドルグループが居なくなるくらいで、多くの男子大学生が嗚咽を抑えられずに泣く姿を見て、マスコミは時代が変わった事を鮮烈に伝えました。
まだ、時代は男と言うものに今とは大きく違う枠組みをしていたともいえます。自分たちの気持ちをアイドルが好きだと公言して、解散コンサートには号泣する。
今では、何の不思議ではない光景が当時のオジサンたちにとっては、大きく時代が動いたことを感じたのだと思います。
そんな日本男児が、ちゃんとそれが自分たちのスタイルであるという事が出来たのは、当時のキャンディーズの親衛隊の皆さんのピュアな心だったのではないかと思います。
小学生から中学生に移るときの筆者も切ない思いをしていたのは、間違いなく、小学校を離れる寂しさと、キャンディーズの解散にありました。
キャンディーズ、ランちゃん、スーちゃんの死因、ミキちゃんの想い。
2011年の4月に田中好子さんこと、スーちゃんが55歳の若さで乳がんの為亡くなられました。最後の時はランちゃん、ミキちゃんも一緒に看取ったという事です。
30代から病を抱えておられ、19年間もの間の闘病生活を続けていた事をその時に知り、みんなが驚いたと言います。
それだけ、スーちゃんがみんなに心配されないように、努力なさっておられたのではないでしょうか?
各々、結婚されていましたが、解散後もずうっと仲が良かったといいます。一年に一度くらいのペースで3人で集まっていたということは、ランちゃんの夫の水谷豊氏がお話されています。
葬儀の際には藤村美樹さんが「私たちは永遠にキャンディーズだから」と、又、伊藤蘭さんは「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と弔辞を読みました。
2023年12月31日の第74回NHK紅白歌合戦、代々木NHKホールには、150人を超えるキャンディーズの親衛隊が伊藤蘭さんのステージを取り囲んでいた。
「キャンディーズ50周年紅白スペシャルメドレー」「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」の3曲を、キャンディーズ当時の映像をバックに伊藤蘭さんが熱唱しました。
それに応えるように、150人を超える当時からの親衛隊の皆さんが熱烈なコールを送るという光景を目の当たりにした現役の「ドルヲタ」と呼ばれる若者たちの目に神々しいものに移ったようです。
Xの書き込みには
「同じように歳とったファンのおじさん達が『らんちゃーーーん!!!』って叫んでるのアイドルオタクの理想すぎて泣ける」
「50年応援してるんだぜ面構えが違う…」
「50周年ってことは推しと50年の人生をともにしていて今もなお現役で現場で大声出してるのよすぎる。尊敬する」
なんてのもありました。
キャンディーズの親衛隊。一つの時代を作り、今も尚、文化として日本の若者たちからリスペクトされるというのは、ある意味かっこよいですね。
今でも、『微笑み返し』と言う曲が流れると、春の温かく強めの風が、小学生だった自分の前を通り過ぎて行く感覚になります。
あのキャンディーズが、お茶の間を沸かせてくれていた時代にもう戻る事はないのは、解っているのだけど。
以上、キャンディーズ親衛隊が時代を作ったというお話でした。
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