HYは、沖縄出身のヒップホップや、ラップ、ロックを織り込んだ4人組のミクスチャーロックバンドです。
抒情的な詞と、女性ボーカルの澄み渡り、尚且つ、力強い声で多くのファンを魅了します。
初期の頃は5人組だったような気がしますが、現在は4人のようです。ちょっと謎めいていて、ボーカルの方以外のメンバーの事も気になるところです。
今回は、皆さんと一緒に、HYのメンバーの事などをちょっと垣間見てみるとしましょう。
HY仲宗根泉とメンバー!全員が沖縄の出身!5人が4人になった訳
HY(エイチワイ)は、全員が沖縄県うるま市の東屋慶名(ひがしやけな)と言う地域のご出身です。
「HY」というバンド名は、メンバーの地元「Higashi-Yakena」の頭文字から取っています。早速メンバーを見てみましょう。(年齢はすべて2026年9月現在・全員1983年 昭和58年生まれ)
又、メンバー全員が作詞・作曲を熟すというバンドもそう多くはありません。
🔵新里英之(しんざと ひでゆき)さんは、1983年4月12日生れの43歳です。「ひーで」と呼ばれています。
HYのリーダーでギターと、ボーカルを担当しています。沖縄の楽器である三線も熟します。
🔵名嘉俊(なか しゅん)さんは、1983年5月10日生れで43歳です。通称は「しゅん」(Shun)ですが、作詞・作曲時は「TUN つん」と言う名義を使用してます。ドラムの担当です。
🔵許田信介(きょだ しんすけ)さん、1983年7月17日生れの43歳。「しんちゃん」と呼ばれています。ベースを担当しています。
🔵仲宗根泉(なかそね いずみ)さんは、1983年11月1日生れの42歳です。「いーず」と呼ばれています。キーボード、ボーカルを担当していますが、フロントマン的な存在でもありますね。仲宗根泉さんと、名嘉俊さんは従兄弟同士です。
そして、HYの立ち上げのメンバーで2019年9月5日に脱退してしまった旧メンバーのギターリスト、🔴宮里悠平(みやざと ゆうへい)さん、1984年1月2日生れの42歳の方がいらっしゃいました。
当時35歳の宮里悠平さんでしたが、2019年5月に体調不良を訴え、病気療養の為活動を休止していましたが、同じ年の9月5日に正式に脱退を表明する事になってしまいました。
尚、病気の詳細は語られておりませんが、幾度となく話し合ったと言う事ですが、宮里悠平さんが、
「これ以上メンバーやファンに心配をかけたくない。」「一度音楽から離れて治療に専念したい。」と言う宮里悠平さんの意志を組んだ形になりました。
HY仲宗根泉とメンバー!父が突然言い出した家族バンドがきっかけ
元々は宮里悠平さんと新里英之さんは、幼稚園からの幼馴染でした。又、新里英之さんの父は、バンドマンだった事も、ギターに親しむきっかけになったのだろうと思います。
2人は音楽に目覚めた中学の頃からギターで遊んでいたのだそうです。
名嘉俊さんと中学で出会い、3人ともギターを弾いていましたが、三人がギターでは面白くないと言う事で、名嘉俊さんがドラムを叩き始めたら面白さに気が付いたと言う事で、素直にドラムスに変更します。
高校は、沖縄県立与勝(よかつ)高等学校と言う高校です。そこで初めて、許田信介さんと仲宗根泉さんと出会い、5人が揃う事になります。
仲宗根泉さんは、小学校3年生の頃、お父さんは音楽好きのトラックの運転手さんでした。母は、教会の聖歌隊等で歌っていたそうです。姉弟は弟さんが一人いらっしゃるようです。
ある日、仲宗根泉さんのお父さんが「家族でバンドやるぞ!」そして、「お前はピアノだ。」と言われ、次の日ピアノよりも安価なキーボードが買ってあったのだそうです。
仲宗根家のお父さんは、家の中では圧倒的な存在で、お母さんも音楽好きではあったのですが、仲宗根泉さんは、その頃は引込み思案で、ピアノやりたいなんて言った事もありませんでした。
毎日、練習させられて、友達と遊んで練習しないと怒られるような毎日。
しかも、ピアノ教室などではなく、お父さんはピアノが弾けるわけではなく、楽譜もなく、ひたすら曲を聴いて、いわゆる『耳コピ』での練習を強いられたのだそうです。
コードなども手探りで探していったと言うかなりスパルタな教え方でした。
父がギターとボーカル、母がコーラス、仲宗根泉さんはキーボード、弟さんはベースと言うメンバーだったそうですが、幾つ違いの弟さんか解りませんでしたが、少なくても小学2年生以下で、ベースってすごいですよね。
父の趣味のベンチャーズ等の楽曲は馴染みも薄く、その頃の事を仲宗根泉さんは、「苦痛でしかなかった。」とインタビューでお話されています。
しかし、父の意向には逆らえず、ひたすら練習を一年間続けると色んな曲が耳から聞いただけで弾けるようになってきて、みんな、こうやって覚えるんだと自身の特殊な勉強法に気が付いてなかった様です。(笑)
小学4年生のある日、何気なく学校のピアノで、その頃に人気があった曲を弾いてみると、みんなが集まってきて、「泉ちゃん!すごい!」「この曲、弾ける?」なんてリクエストに応えると、あっという間に話題の中心になります。
引込み思案だった仲宗根泉さんは、今までそんな風に言われる事もなかったのでしたが、音楽でみんなが楽しそうにしているのと、みんなに認めてもらった事で段々音楽が好きになります。
その頃に、友達とカラオケに行くと言うと保護者として父がくっ付いてきたと言います。
本人はそろそろ親がなんとなく恥ずかしい年代なのですが、明るいおちゃらけたお父さんで友人からは、人気があったのだそうです。
そして、歌っていると後ろから、足を叩いてきて、後で歌唱指導が入るのだそうです。お父さんは、全くの素人でしたが、サビの盛り上げ方、歌詞の意味をとらえてどの辺に感情を持って行くか?
と言うような、小学生にとってはハードルの高い指導に応えるのですが、HYの仲宗根泉さんが歌う感情の周波数の捉え方の様なものは、その頃、培ったものの様です。
HY仲宗根泉とメンバー!高校時代に思い出に作った楽曲がヒット!
そんな訳で、高校で出会った5人が、音楽活動を始めます。バンド名は東屋慶名(ひがしやけな)の地名のまま『東屋慶名』が2000年、高校2年生の時に結成されます。
初めの内は2週間に一回、「セブンスヘブンコザ」と言うライブハウスで活動していました。このライブハウスは、道路拡張などの影響で来年2027年12月で取り壊され閉店してしまう予定なのですが、
『オレンジレンジ』もインディーズ時代に舞台を踏んだライブハウスです。HY結成と同じ時期にオープンした老舗のライブハウスです。
2001年に高校3年生になり、バラバラに進路を見出す事になりました。最後の思い出にして、新たな道に進むつもりで、新里英之さんと名嘉俊さん、仲宗根泉さんの三人で『ホワイトビーチ』と言う曲を作ります。
スタジオのスタッフに、いい曲だからちょっと路上ライブでやってみたらいいと促され、北谷町(ちゃたんちょう)の美浜タウンパークという施設の中の観覧車前で、路上ライブを炎天下の中1日3回公演したそうです。
始めはたった1人のお客さんの前で歌う事もあり、それぞれ友人などに声を掛け、少しずつ動員数を増やし、高校の授業が終わると、スタッフが待っていて、北谷町の会場に向かう日々でした。
徐々に動員数が大きくなり360度つまり、周り全部囲まれるような状況になりました。みんなとの思い出のつもりで作った『ホワイトビーチ』でしたが、メンバーを音楽の道に進む決心させた曲になったようです。
そこからは、学校とスタジオと会場を行き来する日々で、寝る間もないほど、作詞作曲、レコーディングやライブを熟していました。
それぞれのメンバーの中にも、葛藤はあったようですが、仲間と一緒なら何とかなると言う気持ちが下支えになったようです。
2001年9月22日にアルバム『Departure』で高校3年でデビューを果たし、初めは沖縄限定発売だったにも拘らず、瞬く間に1万枚を完売してしまいました。2002年の4月に全国発売になります。
全員が沖縄が大好きで、地元に住んだまま活動を続けていますが、フランス政府からの働きかけでパリ音楽祭出場や、2枚目となるアルバム『Street Story』が、4週連続1位と言うインディーズではありえない快挙を成し遂げます。
沖縄がメンバーにとってどのくらい大事かと言うエピソードとして、長丁場のツアーで沖縄にずっと帰る事が出来ない時期があり、その時は小さな事でけんかになったり、険悪な状況になるのだそうです。
サードアルバムが出たあたりの全国ツアーとレコーディングで沖縄に戻れないストレスで、みんなの頭の中には解散の文字まで過ったと言います。
一番しんどい時期だったとインタビューで答えています。しかし、誰も解散の文字は口に出しませんでした。どんなに辛くても、次の曲を仲間と作りたいと思えたのだそうです。
ランキングよりも、売り上げよりも、自分たちのスタイルを貫いている事を若いうちから続けている事が解ります。
HY仲宗根泉とメンバー!『366日』の背景と中学生と出会いから?
デビューから5年半ほどで世界ツアーを成功させ、2008年に発表された5枚目のアルバムの中の収録曲『366日』がフジテレビ系ドラマ・映画「赤い糸」主題歌に決定すると配信累計が450万ダウンロードを超える大ヒットとなります。
「366日」については、別れた恋人を忘れられないというファンレターが多かったことから、それをテーマに歌詞を書くことを決めたと明かした。
しかし、当時恋人がいた仲宗根は「ラブラブだったんですよ。だからその人たちの気持ちが分からない」とファンに共感できなかったという。そのため「幸せな人がそういう人たちの歌を歌うのは失礼」「だから私も別れて」と当時の恋人と別れ、ファンと同じ気持ちを作ったと説明した。
出典:2024.06.04 model press
その後、復縁したそうですが、うまく行かなくなりお別れする事になったそうで、そんな背景も影響したのでしょうか?
心を揺さぶる仲宗根泉さんの声と共に全国のお茶の間に届きます。それと時を同じくして、アルバム「HeartY」をリリースします。
又、HYがプロデュースするナチュラルブランド「HeartY」(ハーティ)を設立します。「美しい自然をずっと残したい、子どもたちに何かを伝えていきたい」そんな想いだそうです。
ハーティは、自然と子供、環境保全をテーマに、海岸の清掃を通じて拾った空容器や漂流木などを利用して楽器を作り、子供たちと演奏したりするワークショップを積極的に行われています。
さて、仲宗根泉さんには、ドラマチックな結婚歴があります。出会いは、沖縄の友人が中学の教育実習をしており、生徒さんと食事会があり、その食事会に誘われたのだそうです。
その頃、既に地元では有名人だったと思います。仲宗根泉さんが20歳で、お相手は高校生1年生(15歳)の伊波広貴さんと言う方でした。
仲宗根泉さんの中のインスピレーションが、働いたのかもしれませんが、何故か気になる存在で、5歳年下の子供ともいえる年齢の伊波広貴さんと「将来結婚するかも。」と思ったのだそうです。
何度か連絡を取ったり、会ったりしているうちに、伊波広貴さんが仲宗根泉さんの事を好きだと言う事に気が付きます。
仲宗根泉さんは、真剣に悩み、未成年である彼のことを思い、別れを切り出します。
「あなたのことは好きだけど、やっぱり今は付き合えない。でもあなたが20歳になった時、もしまだお互い好きだったらその時は付き合いましょう。」
仲宗根泉さんは、伊波広貴さんことを諦めようと、2006年に自分の気持ちを歌詞にしたためたのが、2006年に『Song for…』と言う楽曲でした。
「あなたに逢いたい。」とリフレーンされる切ないラブソングでHYの楽曲の中でも、特に切なさを感じるのは、そんな背景からかもしれません。
仲宗根泉さんも、別れを忘れようと別な彼氏もいた頃、なんと5年間もの間、伊波広貴さんは、仲宗根泉さんの事を想い続けて、20歳になるとすぐに連絡をします。
その後、前の彼氏とは別れる事になり、2年後に沖縄で再会すると、お互いにまだ思いが同じであり、2012年に7年越しの恋愛が実を結びます。
おなじ年の2012年11月2日に、仲宗根泉さんの誕生日と一日違いの日に第一子の女の子「あかね」が誕生します。
仕事と育児に、両立しながら慌ただしく5年の月日が経った2017年12月26日第二子の妊娠の報告をします。本来なら2018年の夏頃には、生まれる予定でした。
しかし、胎児の内に医師に、臓器に異常があると告げられ、死産で生まれてきたのは男の子でした。
仲宗根泉さんの落胆と悲しみは、相当なもので、仕事もプライベートも閉ざされた感じでしたが、再び、メンバーと音楽を再開し始めたら徐々に心が晴れていったようです。
2020年に入ると、世界はコロナの暗雲に包まれます。そんな中、仲宗根泉さんはYou Tubeの中でファンの方との話の中で、割とさらっと離婚した事が告げられます。
原因は明らかにされていませんが、コロナ禍の生活の変化の中で、お互いのペースが変わってしまった事などもあったのではないでしょうか?
現在は、娘さんと暮らされているようです。
メンバーは、5人が4人にはなってしまいましたが、それぞれの心の下支えになっているとお話されているメンバーの皆さん。
これからも、多くの人の心を揺さぶる楽曲は、感動を与えてくれると思います。
いかがだったでしょうか?今回は、沖縄を地元に全国に声を届けるHYの皆さんのお話でした。

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