クレイジーケンバンドメンバー!横山剣の妻や、逝去したメンバーは?

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クレイジーケンバンド、独特な野太くグルーヴ感あふれる、尚且つチャーミングな声で『タイガー&ドラゴン』がテレビから聞こえてきたのは、もう20年前くらいでしょうか?

その後、クレイジーケンバンドの横山剣さんと言うオジサンが「いーねッ!」を連発して、テレビ番組などに現れ、サングラスにスーツでビシッと決めたスタイルだったのを覚えています。

今回はクレイジーケンバンドの横山剣さん、実は若い頃からの面白い経歴やバンドのメンバーについても、亡くなられたメンバーの方の情報なども含めお届け致します。




クレイジーケンバンドメンバー!総勢12人の現メンバーを紹介!

先ずは、クレイジーケンバンドと言う名前は、先述の『タイガー&ドラゴン』で基金染みのある方は多いのかもしれませんが、メンバーが11人いると言う事は、あまり知られていないのかもしれません。

そんな訳で、11人のお名前と担当楽器などを簡単に紹介してみたいと思います。(菅原愛子さんは休業中)

🔵横山剣(よこやま けん)さん ボーカル・コーラス・作詞・作曲・編曲・キーボードを担当していて、圧倒的なフロントマンでもあります。

🔵小野瀬雅生(おのせ まさお)さん、1962年11月14日生れ。エレクトリック・ギター・キーボード・コーラス等など幅広く熟しております。愛称は、のっさん

🔵新宮虎児(しんぐう とらじ)さん、エレクトリック・ギター・キーボード担当。通称ガーちゃん。1963年3月30日生まれのAB型。

🔵中西圭一(なかにし けいいち)さん、サックス・フルート担当。通称ジャッカル。1966年12月2日生まれ。元GOLD WAXメンバー。

🔵洞口信也(ほらぐち しんや)さん、1964年11月12日生まれ。ベース・叫び担当。通称シンヤマンや、ドナルドダックダンシンヤと呼ばれてるそうです。

🔵高橋利光(たかはし としみつ)さん、1965年11月26日生れ。キーボード・編曲。通称ヨン様、トシちゃん。

🔵菅原愛子(すがわら あいこ)さん、ボーカル・コーラス担当。1981年7月4日生まれ。通称sgw、愛子ちゃん。2018年後半に第2子出産のため育児休業。

🔵スモーキー・テツニ、本名:高林 辰男(たかばやし たつお)さん。1965年10月10日生まれ。
ボーカル・コーラス、パーカッション担当。通称てっちゃん、ミスターGT。

🔵河合わかば(かわい わかば)本名は河合 伸哉さん、 1960年8月6日(66歳)トロンボーン・フルート。通称WAKABA。米米CLUBでも活躍してました。

🔵澤野博敬(さわの ひろのり)さん、1967年12月1日生まれ。トランペット・フリューゲルホルン担当。通称澤の鶴。

🔵Ayesha(アイシャ)、本名:永沼 アイシャ 幸子さん。1985年2月15日生まれ。ボーカル・コーラス担当。パキスタン人の父と日本人の母の元生まれる。スイス生まれの横浜育ち。通称アイシャちゃん。

🔵白川玄大(しらかわ げんた)さん、ドラムス担当。愛称はゲンタ。1985年7月10日生まれ。

20歳以上も年の離れたメンバーで、大所帯で活動されています。



クレイジーケンバンドメンバー!親しまれた『組長』の脱退と逝去!

その他に、旧メンバーとして、伊達弦(だて げん)さんと言うパーカッション担当の方と、2023年3月に脱退した廣石恵一(ひろいし けいいち)さんと言う1960年11月15日生まれのドラムス・パーカッションの担当の方がいらっしゃいました。

伊達弦さんは、『オルケスタ・デ・ラ・ルス』や『オルケスタ・デル・ソル』と言う日本の世界的に活躍するサルサバンドのコンガ奏者として活躍して、現在はミーシャさんなどのバックミュージシャンを務める方です。

廣石恵一さんは、神奈川県出身で、中学1年生のときに所属した軽音部でドラムを始めました。高校生で本格的な演奏活動をスタートすると、“のど自慢”イベントでのバック・バンドや、ディスコなどでドラムを叩いておりました。

音楽ジャンルを問わず、AORや演歌まで幅広い音楽ジャンルを経験し、何より実践型の現場で活躍しオールマイティなドラム・プレイを身に付け、20代の頃に杉山清貴&オメガトライブに参加します。

その後、1985年頃に横山剣さんと知り合い、同じ横浜に住んでいた事もあり、お互いの家を行き来するくらいの友人となります。みんなには『組長』と呼ばれ親しまれていました。

しかし、2022年8月末から膝関節炎療養のため活動休止を余儀なくされ、2023年3月にバンドとの方向性の違いから2023年3月を以て脱退してしまいます。

そして2年後の2025年3月16日、脳出血のため突然亡くなってしまいます。

横山剣さんは、葬儀告別式で、大人になってから中高生の様に、お互いの家でレコードを聴かせ合ったエピソードなどを振り返り、又、バンド活動に嫌気がさした時に、引き戻してくれた恩人が廣石恵一さんだったエピソードを紹介し、別れを偲びました。

段々、大人になり、本気でぶつかることが少なくなってしまった事を、もっともっと、本気でぶつかり合えば良かったと廣石恵一さんに詫びつつ、感謝の言葉を綴っておりました。

クレイジーケンバンドは、1997年に横山剣さんが適当に名付けた「ゲロッパ1600GT」(略称:ゲロG)というバンド名で結成します。

適当ではありますが、ジェームス・ブラウン(James Brown)の代表曲「Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine」の冒頭の歌詞「Get up!(ゲット・アップ!)」がそう聞こえている事は有名で、

更に横山剣さんが愛車として20代前半に乗っていたと思われる名車「いすゞ・ベレット1600GT」の1600GTだと思えば、テキトーの中にも好きなものが詰められてる気もします。

しかし、メンバーである小野瀬雅生さんが「もっとちゃんとした名前にしよう」「個人名のついたバンド名がいいのでは」という提案し、現在の「クレイジーケンバンド」へと改名されました。

横山剣さんの音楽活動はその前から続いていました。



クレイジーケンバンドメンバー!横山剣の両親。誤解して高校入学?

改めて横山剣さんの紹介をしますと、本名は横山 正佳(よこやま まさよし)さんと仰います1960年7月6日生れ(7日となってるものもあります)です。

2026年10月現在66歳です。横山剣さんは神奈川県川崎市の聖マリアンナ病院で産声を上げます。実父は茨城県、実母は熊本県八代市出身の方です。

父は美大出身で画家を志しており、広告関係や音楽関係のグッズを販売する会社を経営していました。

比較的、裕福な家系で育ちました。しかし、横山剣さんが横浜市立間門小学校の2年生の頃、両親が離婚してしまい、母親と暮らす事になります。

小学2年生の時に、腎炎と自律神経失調症を併発して東京医療センターに入院してしまいます。又、同じ時期に、初めて買ったのがいしだあゆみさんの『ブルーライト・ヨコハマ』のレコードだったそうです。

小学校時代から、横浜市内を転々と引っ越しを経験します。

離婚後、父が青山で一人で暮らしており、母親には内緒で遊びに行っては、父の好きなブラックミュージックを聞いたり、小学校5年生の頃には韓国や、香港、アメリカの旅行に連れて行ってくれたのだそうです。

小学生の頃から独学でピアノを弾き始め、小学6年生の時には曲が作れるくらいの腕前になっていたと言います。

その頃に、いとこに誘われて見に行った、慶應義塾大学のサークルが主催するフェスで財津和夫さん率いる『チューリップ』のライブのオープニングアクトに、矢沢永吉さんの『キャロル』が出演していて、そのルックスと演奏に大きな影響を受けたのだそうです。

横浜市立大正中学校に入学したあたりから、バンド活動を始めます。

高校は 堀越学園普通科に入学しますが、横山剣さんは堀越学園に芸能人が沢山行っている事から、堀越学園に入学すると、音楽のプロになれるのでは?と考えたそうです。

しかし、その事が思い違いである事などに気が付き、高校2年生の時に中退してしまいます。その時の同級生には、既に人気を博していた浅野ゆう子さんや、2年先輩には、岩崎宏美さんがいらしたそうです。

しかし、堀越学園は男女が完全に別々の校舎になっていたうえに、男女交際にも厳しかったので、上の階から浅野ゆう子さんが帰る時に、校舎に向かって一礼して帰るのを見たことがある程度だったとの事です。

浅野ゆう子さんは礼儀正しく、成績優秀な方だったと記憶されているとか。



クレイジーケンバンドメンバー!横山剣のバンド遍歴や妻と子供たち

横山剣さんは、堀越学園高校を中退すると横浜市立港高等学校に入学しますがやめてガソリンスタンドで働いた経験もあり、その後、都立青山高校の定時制に通いはじめます。

その頃に、カルフォルニアの友人の所に遊び行き、古着を沢山買い付け、原宿の『シカゴ』など古着屋さんに、卸す仕事をしていました。

神宮前で暮らし始めた横山剣さんのアパートの近所には『チョッパー』と言う、矢沢永吉さんの親衛隊的なメンバーで構成する『クールス』が経営する事務所を兼ねたライダーズファッションなどを展開するお店がありました。

クールスは、過去に舘ひろしさんや岩城滉一さんが所属していた事でも知られています。そのチョッパーに出入りしているうちに、

ある日お店の前を通ったら、舘ひろし(クールスの初代ボーカリスト)さんの次にリーダーになった佐藤秀光さんが僕のことを呼んでるぞと。お話を聞いたら、「明日からツアーに来い」と。「いや、でも学校があるんで無理です」「学校なんか行ってる場合じゃないだろ」「わかりました」という流れで、そこから3年間、クールスのローディ、マネージャー、ファンクラブ責任者と、いろいろ下働きをやりました。で、4回目の人事異動でリードボーカルになったんです。それが1981年、21歳のときですね。

出典:音楽ナタリー2026年10月8日付

横山剣さんのバンド経歴は、とても書ききれないので、ざっとまとめてみると下の様になります。(実際はもっと細かく分かれているかもしれません。)

• クールスRC(クールス・ロカビリー・クラブ)(1981年〜1983年)
スタッフ(ローディ)や楽曲提供を経て、ボーカリストとして抜擢されデビュー。
アルバム『Changelings~Born Busters Again~』や『ROCK’N’ ROLL JUNKIE』などで活動したが、方向性の違いやセールスの問題から1983年に脱退。

• ダック・テールズ(1985年頃〜)
元ラッツ&スターの山崎廣明さんらと組んだ「ダック・テールズ」筒美京平さん作詞作曲の「真夜中のサリー」で再デビュー。
本格的な歌謡曲やソフィスティケートされたポップス・歌謡の要素を取り入れたが、当時は自身の作曲家志望のスタンスが十分に理解されにくい時代だった。

• ZAZOU / CK’S など                                  ダック・テールズの後、ZAZOUやCK’Sといったバンド活動を展開。この頃のバンド仲間にDJ赤坂こと赤坂泰彦さんがいました。
会社員生活と並行した活動期間(1994年〜2002年頃)

一度プロのミュージシャン活動から離れ、34歳頃からスイス資本の輸出検査会社(SGS極東 Ltd.横浜支局)に約8年間勤める会社員時代。

又この頃、1995年自社レーベル「ダブルジョイレコーズ」を設立、現在は代表を務めています。

• クレイジーケンバンド(1997年〜現在)
1997年に横浜で結成し、会社員と音楽活動を並行しながら1998年にアルバム「PUNCH!PUNCH!PUNCH!」でデビューしたクレイジーケンバンド。            

地道にセルフカバー・自主制作などで音源を制作する中での『タイガー&ドラゴン』同名のテレビドラマの主題歌となり大ヒット。

それぞれに、多くのエピソードがあるようですが、会社員と夜のライブや作曲を熟しつつ、生活の基盤を安定させた事が窺えます。

がむしゃらにひた走る横山剣さんの中には、『ミス横浜』に選ばれた美しい奥さんへの想いも感じ取れることが出来ます。

 結婚された時期の詳細や馴初めは解らないのですが、恐らく1998年より以前に結婚されております。

 横山剣さんがクレイジーケンバンドとしてブレイクする前、下積みや音楽活動を続けていた時期から支え合っていたとされています。

10歳くらい年下の美人で、お子さんが3人娘さん二人と息子さんがいらっしゃるようです。横山剣さんも若い頃は、俳優さん並のイケメンでしたからお似合いのカップルだったのでしょう。

長女(琴子さん)が4歳の時の2002年にNHKの子供番組ピタゴラスイッチの「お父さんスイッチ」に横山剣さんは本名で娘さんと登場しておりました。

最近では娘さんが免許を取った事や娘さんの影響でK-POPにハマっている事などを、インタビューやラジオ番組でお話されています。

ご家族思いで、奥さんの手料理が大好きだと言う横山剣さんですから、プライバシーを守らなければと思うのかもしれませんが、お子さんの事になるとついついお話したくなるのかもしれません。

いかがだったでしょうか?今回はクレイジーケンバンドのメンバーの情報と横山剣さんのお話でした。

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