野田洋次郎さんと言えば、ロックバンドRADWIMPS(ラッドウィンプス)のギター、ピアノ、ボーカルとして、又、フロントマンとして活躍されていますね。
ラッドウィンプスにおいての楽曲も多くは、野田洋次郎さんによるものです。2016年8月に公開され国内で250億円を超える大ヒットとなったアニメーション映画『君の名は。』の中で、
『前前前世』や『スパークル』『なんでもないや』が映画主題歌もしくは挿入歌となり、オジサン世代でも野田洋次郎やラッドウィンプスと言う名前を知らなくても、楽曲は耳にしたことがある方は多いと思います。
今回はそんなラッドウィンプスと野田洋次郎さんのキーワード検索で自動で出てくる『頭おかしい』とか反面『天才』とかそんなキーワードを探ってみます。
野田洋次郎、頭おかしい?父はエリート。幼少期はアメリカ暮らし。
野田洋次郎(のだようじろう)さんは1985年7月5日 に東京都で生まれました。現在(2025年9月)40歳ですね。
幼稚園が世田谷区の春光幼稚園となっているので、恐らく世田谷区のご出身のようです。血液型はA型で、身長は180cmだそうです。確かにすらっとしたイメージですね。
さて、野田洋次郎さんのお父さんは父はのちに欧州日産の元副社長を務める日産の社員の野田昇さんと言います。純粋な日本人ですが、フランスの国籍を持っています。
母は、ピアノ講師をされていたそうで、世田谷の豪邸に住んでいました。
のちのエピソードなどを顧みると母や兄とは仲が良いようですが、野田洋次郎さんとお父さんとはあまり関係は良くないようです。
野田洋次郎さんが、幼稚園の年長であと3か月で卒園となるという時に、アメリカ合衆国テネシー州のナッシュビルに転勤となり、引っ越しました。
その為、小学校はScales Elementary Schoolに2年間通ったのち、家族がカリフォルニア州・ロサンゼルスに引っ越したのに伴ってSoleado Elementary Schoolに転校します。
その3か月後、本来行くはずであった自宅近くのSilver Spur Elementary Schoolに定員が一人空いたため再び転校とアメリカでは3度の転校を経験します。
10歳の時には日本に帰国し、世田谷区立桜丘小学校に転入しました。日本に帰国すると間もなくの小学5年生の頃からギターの練習を始めます。
慶應義塾湘南藤沢中等部と桐蔭学園中学校を受験しますが、合格した桐蔭に進学されています。中学時代の部活動はバスケットボール部に所属していました。
また中学・高校の友人で数少ない楽器仲間の一人に元・(第99代)内閣総理大臣の菅義偉さんの息子さんがいました。
高校は桐蔭学園高等学校に進みます。野田洋次郎さんの友人がギターを聞きたいと言われ、ギターを弾いて聞かせました。
その友人がそれを密かに携帯電話で録音していて、その音源を桑原章さんに聴かせます。桑原章さんは、野田洋次郎さんの腕前にほれ込み、バンドに誘いRADWIMPSが結成されました。2001年の出来事でした。
アメリカのスラングで『RAD』は、「凄い」、「いかした」等の意味があり、一方『WIPMPS』は「弱虫」、「意気地なし」等の意味を持ちます。
かっこいい弱虫なんて意味になるのでしょうか?なんとなく思いの中には、寄り添う気持ちと謙遜みたいなものを感じます。
野田洋次郎さんは高校卒業後、慶應義塾大学環境情報学部に進学していますが、中退してしまいます。
又、桑原章さんは、16歳の高校一年の時に「俺はRADで生きてゆく。」と高校を中退しています。
野田洋次郎、頭おかしい?高校の時から話題のバンドだった?
その後、2002年2月5日、RADWIMPSとしての初のライブを横浜の関内B.B.STREETで行ったのを皮切りに、
同じ年の8月27日になると、YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2002に出場して「もしも」でグランプリを獲得します。
2003年3月、FM世田谷が主催する高校生文化祭・青二祭に出演しています。
又、5月3日、1万枚限定で1stシングル『もしも』(100円)を販売すると即完売してしまうと言う人気を博します。※現在では、4万円以上の価格もついているのだとか。
7月1日には1stアルバム『RADWIMPS』をリリースします。まだ、野田洋次郎さんは17歳くらいの時だと思います。
2003年8月になると、野田洋次郎さんの受験勉強の為、てラッドウインプスは活動の一時休止。野田洋次郎さんの大学合格を受け、メンバーチェンジをしてバンド活動を再開します。
野田洋次郎さんが大学一年生の時の2004年の7月18日から9月3日までバンドのツアーを行い、インディーズで3枚のシングルと2枚のアルバムを発表しています。
2005年11月23日、4枚目のシングル『25コ目の染色体』を発売し、東芝EMIからメジャーデビューを果たしています。
その後は、主にFMラジオのレギュラー番組や、ライブを定期的に開催してファン層を広げて行き多くの若い人たちに支持されるようになりました。
そして、野田洋次郎さんにとっても、大きな衝撃となった2011年3月11日が訪れます。
野田洋次郎、頭おかしい?東日本大震災から10年送り続けた楽曲。
野田洋次郎さんは、ラッドウィンプスのボーカルとしてだけではなく、これまでも多くのミュージシャンに、楽曲提供をしています。
2008年にはCHARAさんに「ラブラドール」、2015年にはハナレグミさんに「おあいこ」、2016年にはAimer(エメ)さんに「蝶々結び」、 2024年9月20日に亡くなった、さユりさんに「フラレガイガール」、
2017年にはadieuこと上白石萌歌さんに行定勲監督の映画『ナラタージュ』の表題曲「ナラタージュ」などを楽曲提供とプロデュースされています。
そして、野田洋次郎さん自身に強い衝撃を与えた『東日本大震災』を受け、東日本大震災直後に義援金プロジェクト「糸色 -Itoshiki-」を立ち上げ、毎年楽曲を発表して2021年まで続きます。
何故と聞かれても、解らない感情だったのだろうと思います。野田洋次郎さんの中にあの日、あの夜の一日中を、どうする事も出来ない不安感と悲しみ、
どこにもぶつける事も出来ない怒りやもどかしさを抱えているものを曲作りに打ち込んだのだと思います。
そんな感情が10年間に及んで毎年3月11日に「白日」を皮切りに、「ブリキ」、「カイコ」、「あいとわ」、「春灯」、「空窓」、「夜の淵」、「世界の果て」、「かくれんぼ」、「あいたい」と続きます。
野田洋次郎、頭おかしい?の理由と竹馬の友、桑原章との軋轢と脱退
2024年になると、ラッドウィンプスの中で、少しずつ燻っていた不協和音が、表面化します。
10月17日になると「RADWIMPS」のギターを務める桑原彰さんが脱退することをバンドの公式サイトで発表しました。
ファンにとっては、驚きだったと思います。15歳の時から39歳までの24年もの間、一緒に活動していた訳で、バンドをやろうと野田洋次郎さんに呼びかけたのが桑原章さんだった訳ですから。
「20年以上にわたり活動を共にしてきた中で、メンバー間において少しずつ考え方や想いに相違が生まれ、話し合いを重ねてきましたが、このような結論に至りました」
と脱退の経緯が語られましたが、「ラッドで生きて行く!」と高校まで辞めて打ち込んできたバンドを脱退するには、断腸の思いもあったのでしょう。
のちに、野田洋次郎さんとの軋轢が見え隠れする桑原章さんの「X」の投稿も見られます。
「昨年のアリーナツアー1公演あたりのギャラが少な過ぎて体調悪くなってきた。運良ければパチンコで1日で稼げる額です」 2025年1月13日『X』より
その他、チケットの売れ行きがそれほどでもないとか、歌が入らない方が音楽の質が良いと言うように、野田洋次郎さんにぶつけるように投稿しています。
”野田洋次郎”で検索すると『頭おかしい』と言う自動で出てきますが、野田洋次郎さんの歌詞の中には、女性に対する恋愛の実体験と、自らの遺伝子へのこだわり方見え隠れします。
そんな歌詞に対して、ちょっと重く感じたりする方もいて、その辺から発生したキーワードなのかな?なんて思います。
又、バンドの掛け持ちを面白くないと思っている元メンバーの方や、わざと遅刻をしていったりと言う事に『頭おかしい』と思ってしまう関係者もいたのだと思います。
逆に『天才』とも出てきます。
想像ですが、クールに見える反面、思いが次の場面に行ってしまう方なのではないだろうかと思います。
その結果、人とのコミュニケーションの取り方に違和感があるのかもしれません。そんな野田洋次郎さんは現在独身。
今まで、噂になった方、著名な方だけでも、モデルの臼田あさ美さんや吉高由里子さん、馬場ふみかさん、波留さん、長澤まさみさんなど。
殆どは、週刊誌のネタのような話で、根拠は不明ですが、なんとなく、結婚という方向性には行かないような・・・。余計なお世話ですね。
個人的には、熱い想いと、クールな俯瞰を持っている方だなと言うのが感想です。現在、人気を博しているNHKの朝ドラの「あんぱん」の『賜物』をラッドウィンプスが歌っています。
聞き取れない歌詞に、微妙に酷評もありますが、歌詞の最後は、
命を生きよう 君と生きよう
RADWIMPS 『賜物』歌詞
そこに集結されることを野田洋次郎さんは伝えているようにも思えます。
多少、プライベートでは人に伝わりにくい所もある方なのかもしれませんが、その分、音楽で人々の心に響くのかもしれません。
いかがだったでしょうか?今回は野田洋次郎さんの『頭おかしい』『天才』なんてキーワードを探ってみました。
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