ゆず(北川悠仁・岩沢厚治)のすべて!路上から国民的デュオへの軌跡

フォークソング

『ゆず』日本人なら誰でも思い浮かぶ、柑橘系の冬の果物ですが、自分がこの名前の歌手を知ったのは1998年の夏だったと思います。

場所は渋谷ロフトの確か最上階のフロアは当時、CD売り場になっていたと思いました。そしてその一角に大きく場所を開けてゆずの特設された紹介のコーナーがあり流れていた曲は『駐車場の猫は~♬』で始まる『夏色』でした。

冬の果物のゆずと、『夏色』と言う曲名が微妙にミスマッチでしたが、伸びやかな声と、覚えやすい、親しみのある曲だなと思いました。

さて今回は、今やビッグネームとなったゆずのお二人のお話を。




ゆず(北川悠仁・岩沢厚治)のすべて!プロフィール、子供の頃は?

ゆずのメンバーでありますリーダーの北川悠仁さんと、サブリーダーの岩沢厚治さん。この辺から、二人なのにサブリーダーと言う肩書がついている辺りもちょっと面白いのですが、

この北川悠仁さんと岩沢厚治さんはお二人とも、神奈川県横浜市磯子区のお生まれです。

🔵北川悠仁(きたがわ ゆうじん)さんは本名です。誕生日は、1977年〈昭和52年〉1月14日と言う事なので2026年2月現在、49歳ですね。

身長173cm、体重57kg 血液型はA型です。

愛称は「悠仁」「悠ちゃん」「仁くん」「仁ちゃん」なんて呼ばれております。

🔵岩沢厚治(いわさわ こうじ)さんも本名で、1976年〈昭和51年〉10月14日の生まれなので49歳です。

身長 165cmで血液型は O型だそうです。

「厚ちゃん」「岩ちゃん」の他に、何故か「チー坊」や「お父さん」なんて呼ばれています。

デュオと言う事で二人ともボーカルで、ギターを担当しています。他に北川悠仁さんは、タンバリンやドラムス、ピアノなども、岩沢厚治さんも、マンドリンやバンジョー、ハーモニカを奏でることもあります。

 北川悠仁さんは姉が3人と兄が1人いる5人兄妹の末っ子です。一番上のお兄さんとの年齢差は17歳だと言う事なので、かなり年の離れたご兄弟だったようです。

 北川悠仁さんのお父さんは北川和男さんと言い、早稲田大学卒業後に、部品製造業の北川精密工業代表を務めておりましたが、2008年6月10日に76歳で、北川悠仁さんが31歳の時にお亡くなりになっております。

これは有名な話ですが、奧さん(北川悠仁さんの母)の慈敬さん(本名・敬子さん)は新興宗教団体の宗教家として、活動されていらっしゃる方です。

一方、岩沢厚治さんのご両親は実家で接骨院と道場を営んでいます。ご兄弟は4歳年上のお兄さんがいらっしゃる4人家族だったと言う事です。

岩沢厚治さんの父親は岩沢ひろしさんと言い、接骨院を営むかたわら道場で柔道を教えておりました。

その為、岩沢厚治も幼少期から父親に習って空手と柔道をやっていました。2013年10月放送の「ゆずのオールナイトニッポンGOLD」第193回で、

リスナーから、兄から関節技を掛けられると言う話を皮切りに、岩沢厚治さんも自分も兄からかけられたり、かけたりしていたとお話しております。


ゆず(北川悠仁・岩沢厚治)のすべて!音楽へ進むきっかけは?

 北川悠仁さんは、幼い時は体が弱く、食べ物も好き嫌いが多かったのですが、小学3年生の頃にお兄さん夫婦の所で、好き嫌いを無くす為に修行に出されたのをきっかけに太り始めたのだそうです。

 このゆずのお二人、小学校、中学校と一緒の学校だそうですが、中学3年生の時に初めて同じクラスになり、徐々に仲良くなったそうです。

北川悠仁さんは、中学生の頃、X・JAPANのヨシキさんに憧れドラムを始めます。又、可愛い先輩がいた軟式テニス部にちょっとだけ在籍していたそうです。

2人の中学時代の音楽の思い出としては、キャンディーズの「春一番」を、一緒に歌ったことがあるそうです。

中学を卒業すると北川悠仁さんは 横浜高等学校。岩沢厚治さんは、神奈川県立富岡高等学校(現・神奈川県立金沢総合高等学校)へと別々な高校へ進みます。

北川悠仁さんは、漫画の『スラムダンク』に憧れバスケ部へ。岩沢厚治さんは、ラグビーをやっていたそうです。

その後、岩沢厚治さんは 国立(くにたち)音楽院ピアノ調律科に進学します。ピアノ調律科と言うの、ちょっと意外ですが、ピアノの造詣も深いのだともいます。

北川悠仁さんはと言うと、高校でバスケを始めると、ぽっちゃり方だった体系も見る見るうちに、すらっとした体形になり、高校卒業後は劇団に籍をおき、活動していました。

当時テレビ東京の『エコエコアザラク』の棟丘丈人と言う高校生役で出演しています。又、どんな役柄かまでは解りませんが、アダルトビデオやVシネマなどにも出演する事もあったようですが、

のちに、『ゆず』がブレイク後も、準主役級の役で『イノセント・ラヴ』に出演している事などからも、この頃の活動も役に立っているのかもしれません。

高校を卒業後、同じ頃、岩沢厚治さんが中学の友人も加えて、バンドを結成し、北川悠仁さんを誘います。

 岩沢厚治さんは学生時代から長渕剛さんの大ファンだそうで、子供の頃から歌が上手かったそうです。

事前に兄と見に行った、路上ライブで一人で歌う岩沢厚治さんの歌声を聞き感動して、一緒にやりたいと思ったのだそうです。

北川悠仁さんはドラムス、岩沢厚治さんはボーカルを務めるバンド結成していましたが、他の2人と合わずに結局、岩沢厚治さんと北川悠仁さんで音楽活動を始めます。

はじめはユニット名は「Light’s」(ライツ)(当時二人が吸っていた恐らくハイライトから)と言う名前だったそうですが、北川悠仁さんは、ダサくて違和感を感じておりました。

ある時二人のアルバイト先の食事会で、デザートで食べていたのが岩沢厚治さんはバニラアイスと、北川悠仁さんは、ゆずシャーベットを食べていて思いついたのだそうです。


ゆず(北川悠仁・岩沢厚治)のすべて!ストリートの軌跡!奇跡?

お二人は、地元である横浜は伊勢佐木町の横浜松坂屋前(現・カトレヤプラザ伊勢佐木前)を舞台に選び、ストリートミュージシャンとして、始めの一歩を踏み出します。

世の中は、1996年の春の頃でした。前の年に『Windows95』が発売されたばかりで、一般家庭ではまだそれ程、パソコンが一般的ではない時代。SNSなどもない時代です。

活動を始めたお二人でしたが、オリジナル曲を織り交ぜて歌い続けます。当然と言えば当然ですが、初めの内は殆ど聴いてくれる人がいない状態でした。

 それでも、主に毎週日曜日の夜10時から(定例ライブ)を路上で続けたと言います。続けて行くと、少しずつお客さんが増えて行きます。1年くらいするとファンの方も現れます。

1997年10月25日、インディーズアルバムで「ゆずの素」発売します。

始めてファンになってくれた女性は、

「出来すぎた話なんですけど。初めてファンになってくれた人が『ももよ』と『はなよ』っていう女の子2人組だったんですよ」と回顧。彼女たちに「デモテープとかないの?」と問われたことがあり、「来週録ってくるよ」と返答したそうだ。

出典:スポニチアネックス 2022年4月30日

2022年4月30日放送の日本テレビ「1億3000万人のSHOWチャンネル」に出演した北川悠仁さんのお話だと、次週のライブの時までに、始めて岩沢厚治さんとスタジオを借りて撮ったデモテープを準備して持っていきました。

会場に行くと「仕事で今日は来れなくなっちゃった」と書かれた張り紙があったのだそうです。「そうか」と思い、

ライブを始めると、たまたまそこに、現在の事務所の社長さんが通りかかって、「デモテープある?」・・・・そんな偶然ある?って思うようなエピソードですよね。

しかし、その後『ももよ』さん『はなよ』さんにたどり着けないようで、名乗り出ない奥ゆかしい方なんだろうと思います。

ライブ活動を始めておよそ2年半後には、観客が増えすぎて、危険だと言う安全上の理由で、終了を余儀なくされます。

最後の路上ライブとなった1998年8月30日は、台風が直撃する荒天でした。しかし、会場には7500人ものファンが押し寄せると言う中、ライブは終焉をむかえたのです。


ゆず(北川悠仁・岩沢厚治)のすべて!誠実な二人の今のご家庭は?

デビューからは、『夏色』『桜木町』『栄光の架橋』『虹』等など人気曲を上げたらきりがありません。

そんなお二人の現在のご家族はと言うと、

北川悠仁さんは、元フジテレビのアナウンサーの高島彩さんと2005年頃から、お付き合いを始めます。

きっかけは、2005年10月からフジテレビ系の朝の情報番組『めざまし土曜日』で、ゆずの楽曲『陽はまた昇る』が起用された事がきっかけだったと言います。

結婚願望が強かったと言う高島彩さんですが、実はお父さんは、俳優の竜崎勝[りゅうざき かつ]さん(本名:高島史旭)と仰る方で、昭和時代にグルメレポーターなども熟す方でした。

しかし、高島彩さんが5歳の時に44歳でお亡くなりになっています。その為、高島彩さんは、父の記憶はほとんど残っていないと言います。お兄さんは、元俳優の高島郷さんです。

そんな芸能一家で、小学校から大学までのエレベーター式の名門校からフジテレビに入社された方です。しかし、幼い時に父を亡くいている事などから人知れずご苦労はあったのだと思います。

先述の様に、北川悠仁さんの母は、古くからある『解脱会』と言う信者で、小学生の頃から色々な宗教の事を学んだと言います。

お母さんは、11歳から解脱会に身を置き、熱心に活動をしており、解脱会の中でも重要なポストを担っていました。

しかし、実際の事件を元にした「女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち」に俳優時代の北川悠仁さんが出演し、事件に関わった少年役についた事で、教団内で立場が悪くなったと言います。

そこから、しばらくして北川悠仁さんのお母さんは解脱会から離れ、”むながらのみち”を創立。基本的な理念は解脱会に基づいているようです。

高島彩さんと北川悠仁さんは、”むみながらのみち”が、山梨県では非常に知名度も高く人気の神社でしたが、苦境に陥っていた山梨県の身曾岐神社(みそぎじんじゃ)を買収し、(実際には北川悠仁さんが推定で7億円で購入したようです。)

2011年10月20日に身曽岐神社で、お二人は挙式を挙げ、2014年2月17日には第一子の女の子が生まれています。高島彩さんのお誕生日と一日違いでした。

その後、2016年6月1日に二人目の娘さんが生まれた事が報告されています。

岩沢厚治さんは、北川悠仁さんが結婚する一か月前の2011年9月に12年間交際した同世代の一般女性の方と結婚しました。

横浜市中区の赤レンガ倉庫にある飲食店で凡そ100人が集う結婚披露パーティーを行ったと言う事なので、お二人とも、35歳の頃の様です。

元々、路上ライブの頃からのファンの方の様で、みんなで食事に行ったり飲みに行ったりしながら、愛を育んでいたようで、ファンの間でも愛妻家である事は有名です。

結婚式には、「長年、自分の音楽を聴いていてくれた経緯がある。」と長渕剛さんもお祝いに駆けつけてくれたそうです。

お二人とも、6年、12年と長い間、恋愛期間がある事などは、『ゆず』の本質的な誠実な部分を感じるエピソードだと思います。

いかがだったでしょうか?今回はゆずのメンバーの北川悠仁さん、岩沢厚治さんのお二人にスポットを当ててみました。

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