小沢健二と深津絵里、嫁と出会う前のラブリーは彼女にささげた曲?

カバーソング

小沢健二さんは、渋谷系、1980年代から1990年代のJ-POPの話をすれば、必ずこの方の名前が、浮上するであろう。そんな代表的なミュージシャンとしてです。

渋谷系とは何か?あの時代のバブル景気の空気感は独特なモノでしたが、おしゃれなカフェなどのブームは、今も少し姿を変えていますが、あの時代の面影を残しています。

東大出身という事も話題になった小沢健二さんでしたが、それ以上に楽曲は、今でもメディアで流れる事も多いですね。

小沢健二さんのご家族が学者や文化人が沢山いらして、小沢健二さんの奥さんも女流カメラマンの方だそうです。

又、奥さんと出会う前に、恋人だったと言われる深津絵里さんとの関係も楽曲に影響があったのでしょうか?




小沢健二と深津絵里、空前のムーヴメント『渋谷系』音楽とは?

かつて音楽業界には『渋谷系』と言う一つの大きなムーブメントがありました。

これは音楽の種類と言うよりは、渋谷周辺にはタワーレコード、WEVE等の既存店がひしめき合い始めた頃、1990年11月16日、外資系大手レコードショップHMVが渋谷に一号店が出来て、大きく流れが変わります。

宇田川町界隈はレコードを求める若者が多く訪れるようになった為に渋谷の流れを変えたと言っても過言ではないでしょう。

多くは、学生でミュージック配信が行われるずっと前のお話ですから、皆さん、レコード店に並ぶ試聴用のヘッドホーンで、お気に入りの音楽を聴いてCDを購入すると言うのが主流でした。

そんな若者たちに支持されたのが、『ピチカート・ファイヴ』、『オリジナル・ラブ』、『スチャダラパー』、『カヒミ・カリィ』等です。

そしてなんと言っても小沢健二さんと小山田圭吾さんの『フリッパーズ・ギター』です。

小沢健二さんと小山田圭吾さんを軸にしたバンドの『フリッパーズ・ギター』ですが、実際には、このバンドは1989年から1991年までの足掛け3年間と短い期間で解散となっています。

その為、正確には解散後、ソロでシティポップの路線を進んでいた、小沢健二さんと、実験的な音楽に歩みを進めた小山田圭吾さん(コーネリアス)としてそれぞれ活動を始める事になります。

厳格な決まりが無いのですが、当時の若者たちが、自然と彼らを代表する音楽を『渋谷系』と呼んでおりました。

軽やかで、軽快な音楽で、尚且つインパクトのある音楽で、特に小沢健二さんは”渋谷系王子”などと呼ばれていました。


小沢健二と深津絵里、両親とも学者、叔父は小澤征爾と言う家系だが

小沢健二さん自身も、東京大学の文学部を卒業している秀才ですが、小沢健二さんが生まれたのは1968年4月14日 。

神奈川県相模原市にてドイツ文学者の父・小澤俊夫氏と、心理学者の母・小沢牧子さんの次男として生まれ、小沢健二さんは父親の仕事の都合ですぐにドイツへと引っ越すことになります。

ここまででも、小沢健二さん。結構な経歴ですね。

小沢健二さんの父方の親族には、祖父に戦前の民族主義者・小澤開作氏、伯父に彫刻家の小澤克己氏、叔父に(お父さんの弟)指揮者の小澤征爾(せいじ)氏、

および俳優の小澤幹雄氏、従弟に俳優の小澤征悦氏、従妹に作家の小澤征良(おざわせいら)氏(どちらも征爾氏の子)と言う文化人の家系ですね。

一方、小沢健二さんの母は心理学者の小沢牧子氏(旧姓・下河辺)。

母方の親族は、曽祖父に日本鉱業(現:ENEOS)元社長の下河辺建二氏、祖父に下河辺牧場の創業者である下河辺孫一氏、叔父に下河辺牧場代表の下河辺俊行氏。

大叔父に下河辺三史氏、下河辺三史の三男に音楽プロデューサーの下河辺晴三氏がいらっしゃると言う、こちらは財界の大御所も多いようです。

一方で、小沢健二さんは、当時の風潮の中で、万引きを自慢するようなインタビュー記事もありました。

優等生が見せるイキった感覚なのでしょね。今となっては黒歴史ですよね~。


小沢健二と深津絵里。嫁はカメラマンで映像作家のアメリカ人。

そんな小沢健二さんがデビューしたのは、1993年7月21日 『天気読み』と言う楽曲ですが、

3枚目のCDシングル1994年3月9日に発表した、スチャダラパーさんとの『今夜はブギー・バック :ni小沢健二 featuring スチャダラパー』が大ブレイクします。

その後も『愛し愛され生きるのさ』や『ラブリー』等ヒット曲を連発しています。丁度、その頃恋人だったと言われているのが、深津絵里さんでした。

深津絵里さんは、13歳から芸能界のお仕事を始め、15歳の時にJR東海のCM『クリスマス・エクスプレス’88』で、一気にスターダムにのし上がった女優さんです。

1994年の発表された楽曲でも『ラブリー』は、深津絵里さんの為に小沢健二さんが書き上げたと言われていました。

又、1994年にリリースされたアルバムの「LIFE」の8曲目に収録された『おやすみなさい、仔猫ちゃん!』と言う曲も深津絵里さんの事を歌った歌と言われていました。

あくまでも、1995年の頃にマスコミに騒がれだした時代の一コマとしてのお話で、言及されているモノがある訳ではありません。

一時は、結婚秒読みとまで言われ、一部では公認の様な仲でしたが、お互いに多忙になりすれ違いから破局を迎えたようです。

具体的に、名前は出していませんが、小沢健二さんは、インタビューなどで「恋人の存在が楽曲制作に大きな影響を与えた」と話しています。

曲作りに深津絵里さんの存在は大きかったのだと思われます。

小沢健二さんが伴侶として選んだ方が、アメリカ人写真家のエリザベス・コールさんと仰る方で、2009年末にご結婚されています。

小沢健二さんの結婚から3年が経過した、2012年12月25日、公式サイトで小沢健二さんの妻のエリザベスさんの妊娠を発表しました。

2013年6月に小沢健二さんの長男・凛音(りおん)君が、2016年10月に次男・天縫(あまぬ)君が誕生しています。

現在は小沢健二さんの妻のエリザベスさんは、写真家、映像作家として、数年前から東京を拠点にご家族で住居を構え、活動なさっております。


小沢健二と深津絵里『今夜はブギーバック』は国や世代を超えて。

そんな小沢健二さんが紡ぎだす音楽は、洗練されていて、しかも豊富な曲調がありますが、それぞれ頭の中に残る音楽であります。

当時を代表するミュージシャンは多く、洋楽であれば、ブルーススプリングスティーンや、エアロスミス等々、それまで多かったブリティッシュ系ロックと、アメリカのややハードなロックが行きかうような時代でした。

小沢健二さんの曲は、すぐに思い浮かぶのだけでも、『愛し愛され生きるのさ』、『カローラⅡに乗って』、『ラブリー』、『今夜はブギーバック』等々、大音響で流れてくると言うより、子供でも口ずさめるような優しい曲調のモノが印象的です。

特に1994年3月9日に発表された『今夜はブギーバック featuring スチャダラパー』は、当時、子供番組に出演していたヒップポップグループのBOSEさん率いるスチャダラパーさん達と小沢健二さんの共作で50万枚以上を売り上げました。

その時の売り上げとしては、オリコンで15位でした。

当時としては、大ヒットではなかったのですが、今日まで沢山のミュージシャンが、カバーしています。

KICK THE CAN CREWのメンバーのKREVAさん、R&BシンガーののRYOCOさん、ボカロの初音ミク、

フジパブリック、ハナレグミ、TOKYO No.1 SOUL SET、女性ユニットHALCALI(共演)等など、更に日本だけにとどまらず韓国の人気グループBIGBANのD-Liteもこの名曲をカバーしています。

その他、多くのミュージシャンが歌い続けています。プロとして歌う側の方をも魅了する楽曲なのではと思います。

「ダンスフロアーに華やかな光 僕をそっと包むようなハーモニー」~から始まるワクワクするような小沢健二さんのメロディは今年30年経ても、まだまだ新しいままですね。

以上、小沢健二さんの恋人だったと噂されていた深津絵里さんとアメリカ人の奥さんの情報と渋谷系音楽について、ちょっとお話してみました。

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