THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)は、4ピースバンドとして活動していました。
「洋服の並木」でオーダーメイドされたと言うビシッと決めた細身のモッズスーツがトレードマークでした。
活動期間は12年間とそれほど長くもなく、楽曲も多いという訳ではありませんが、日本のロックシーンに大きな影響を与えます。
又、二人のメンバーが、亡くなっている事なども、広く衝撃を与える事になりました。今回は、厳つくかっこいいミッシェルガンエレファントの亡くなられたチバユウスケさん、他のメンバーの事をチェックしてみたいと思います。
ミッシェルガンエレファントメンバー若い頃!まさかのリーダー交代
ミッシェルガンエレファントは、チバユウスケさんが、明治大学に在学中の1988年頃に結成したバンドです。
元々は大学の音楽サークルの『ソング・ライツ』の中で結成されます。では早速、メンバーのプルフィールを紹介いたします。
🔵チバユウスケさんは、ボーカルとギターを担当。 神奈川県藤沢市出身で1968年7月10日生まれで2023年11月26日(55歳)で食道がんの為に鬼籍に入っております。血液型はA型です。
公式に本名は公表されていません。
実家の父は、大手の広告代理店で数々の有名なCMの制作に携わっていたと言います。幼稚園から高校まで一貫校であった「湘南学園」で剣道部に所属していました。
青山学院大学出身の妹さんがいらっしゃって、母も早稲田大学を出ておられるそうです。恐らくお父さんもお仕事柄、大学出身者ではと想像できます。
幼少期に音楽との出会いについて、冗談半分なのか『犬のおまわりさん』や『飛んでったバナナ』を挙げておりましたが、恐らく本当に小さな頃からご両親が、聴かせていたのではと思います。
又、バイオリン教室に通っていたと言うあたりも、裕福なご家庭だったのだろうと想像できます。
🔵クハラ カズユキさんは1969年4月3日(2026年10月現在)57歳です。ドラムを担当されています。北海道北見市出身です。
クハラカズユキさんは、大学受験をすべて失敗して、単身上京し浪人暮らしの後に、明治大学に入学していて、浪人時代は”暗黒時代”だったそうです。
愛称は『キュウ』と呼ばれています。
バンドのリーダーを務めていたチバユウスケさんは、売れてきて取材などが入りだすと、クハラカズユキさんに
昔話過ぎて詳しく思い出せませんが、
「矢面に立って取材するのイヤだし」
「お前早起きだし」
くらいの理由で「今日からお前がリーダーって事にしない?」
って流れだったと思います、
冗談半分どころか全冗談でのリーダー交代劇、
で、取材か何かで「今日からリーダーになりました」みたいな事軽く言ったら、
ソレがいつしか一人歩き……、出典:クハラカズユキ ブログ 日々もろきゅうより抜粋
と言う理由で、バンドリーダーを務めていました。
🔵ウエノ コウジさんは本名は未公開です。1968年3月27日生まれで (2026年10月現在)57歳です。広島県広島市出身。身長182cm、血液型はA型です。
ウエノコウジさんは、中学の頃から、地元広島出身の矢沢永吉さん率いるキャロルの影響を受け、ギターを始めますが、明治大学の「世界民族音楽研究会」という別のバンドサークルでは、ベーシストが不在だったのでベースに変更します。
後輩だったクハラカズユキさんに誘われミッシェルガンエレファントに参加します。初めはプロ志向ではなかったのですが、徐々にバンド一色の生活になります。
卒業が近くなり広告代理店の内定も貰って、就職とバンドとで進路を悩んでいる時に、居酒屋で酔っぱらったチバユウスケさんに、「俺についてくれば大丈夫だから。」と言われ、ついて行く事にしたそうです。
🔵アベ フトシ(本名:安部 太)さん。1966年12月16日のお生まれで広島県広島市中区のご出身です。ミッシェルガンエレファントのギタリストとして活動されていました。身長187cmで血液型A型です。
2006年4月にロックバンド「THE 5.6.7.8’s」のベース担当(山ちゃんことヤマグチリコ)と結婚したとの事です。
ミッシェルガンエレファントの解散後は地元の広島で、ペンキ屋さんとして生活していましたが、同じ広島出身の吉川晃司さんから信頼を得ていて、2008年12月29日〜31日の代々木第二体育館で行われた吉川晃司さんのライブに出演の為に上京します。
しかし、会談の際に盛り上がり、酔っぱらった二人は、殴り合いの大喧嘩になってしまいます。翌日、吉川晃司さんに謝罪して、ライブに出演します。
それ以来吉川晃司さんのことを「アニキ」と呼ぶほどの仲になったのですが、吉川晃司さんのそのライブ盤のアルバムが発売された日。
2009年7月22日に42歳の若さでお亡くなりに合っています。原因は急性硬膜外血腫だったと言う事です。
葬儀の次の日のフジロックのステージから、ミッシェルガンエレファントの解散後のバンド『The Birthday』と言うバンドのボーカルとしてチバユウスケさんが「今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。」と追悼しています。
ミッシェルガンエレファントメンバー若い頃。初期のメンバーは?
初期のバンドのメンバーは、定まっておらず、解散の時のメンバーは 1994年の6月にギターを担当するアベフトシさんが加入して、今の4人になりました。
1990年11月に、明治学院大学の学園祭「白金祭」で行われたライブを見たクハラカズユキさんがのチバユウスケさんの後ろでドラムを叩きたいと直談判。
チバユウスケさんは、クハラカズユキさんのやる気を熱く感じ、先に居たドラムの担当をクビにしてクハラさんを採用します。
チバユウスケさんは、大学時代に一年留年していて、学年が一つ後輩のクハラカズユキさんと同級生になり、バンドを続ける事になります。
1991年4月3日、下北沢屋根裏にて初ライブハウス公演を行いましたが、この頃のメンバーは、チバユウスケさん、クハラカズユキさん、ウエノコウジさんに、シガケイイチ(志賀圭一)さんと言う方が、ミッシェルガンエレファントの初代ギタリストでした。
1991年をミッシェルガンエレファントの結成の年として広く認識されています。1994年1月24日 渋谷CLUB QUATTROにて、ウィルコ・ジョンソン( Dr. Feelgood)のフロントアクトを務めます。
しかしこの後に、シガケイイチさんが脱退してしまい、数か月の間、3人での活動が続きます。シガケイイチさんの脱退理由は明らかになっていません。
当時のミッシェルガンエレファントのスタッフを介し、チバユウスケさんとアベフトシさんが白楽のファストフード店で会い、1994年の6月、アベフトシさんが加入します
シガケイイチさんは現在、バンド「THE WATTER(ザ・ウォーター)」のギタリストとして活動する傍ら、ソロでのアコースティック弾き語りなどの音楽活動を継続しています。
ミッシェルガンエレファントメンバー若い頃!偶然の広島出身2名
クハラカズユキさんは、北海度の北見市出身で、子供の頃からエレクトーンを習っていたと言う事もあり、すんなりとドラムを叩く事が出来たと言います。
小学生時代に、既にRCサクセションの曲に目覚め、ドラムを始めます。この辺りは3歳年上のお兄さんの影響もあったのかもしれません。
大学を卒業後、地元の北海道に戻るとご両親と約束していましたが、両親を説得して1年間だけバンド活動に力を注ぎ、何も変わらなければ、故郷に帰ると約束して1年間を過ごします。
しかし、泣かず飛ばずの中、1年が過ぎ去り、クハラカズユキさんは、北海道の北見市の市役所職員となります。
市役所職員をやりながら、東京のライブに駆けつけと言うような生活を10ヶ月続けますが、どうしてもバンドがやりたくて、デビューも決まっていないミッシェルガンエレファントの為に勘当される勢いで実家を出ます。
ミッシェルガンエレファントのデビューが決まった頃に、復縁できたようです。
その後、ミッシェルガンエレファントの北海道公演があると、クハラカズユキさんのお父さんが、メンバーが見るのもイヤになるくらいの大量のカニを振舞ってくれたのだそうです。
ベースのウエノコウジさんは、大学になるとギターをベースに持ち替えて活動を続けます。ウエノコウジさんの実のお兄さんはウエノトモノリさんは、地元の広島でドラム・スクールの主宰を務めています。
ウエノコウジさんが広島でGOING UNDER GROUND(ゴーイングアンダーグランド)の松本素生(まつもとそう)さんとの共演などでご一緒にライブを行っているようです。
アベフトシさんもウエノコウジさんと同郷ですが、当時、故郷では全く面識が無かった様です。しかし、高校時代、2人はすぐ近くにある隣り合わせの高校に通っていました。
年齢はアベフトシさんが2歳年上です。
• アベフトシさんは広島工業大学高等学校(旧・広島工大附属工業高校)卒業
• ウエノコウジさんは広島県立広島井口高等学校 卒業
となっており、両校は広島市西区・佐伯区の境界近くに位置し、非常に近い距離にありました。デビューすると、二人とも同じ広島出身の吉川晃司さんやミッシェルガンエレファントとして、奥田民生さんとも交流があったようです。
ミッシェルガンエレファントメンバー若い頃!解散理由は述べずに!
ミッシェルガンエレファントと言うバンド名は、イギリスのパンクバンド、ダムド(The Damned)のアルバム名『マシンガン・エチケット(Machine Gun Etiquette)』を結成当時のメンバーが筆記体文字で読み間違えた事に由来しています。
そして、イギリスのガレージ・ロック・バンドであるザ・ヘッドコーツ(Thee Headcoats)などの影響から、頭に古語的なニュアンスを持つ「THEE」を付け加えたと言う事です。
この両バンドは、チバユウスケさんが大きく影響を受けたバンドだそうです。
1991年に結成され、1993年には、インディーズ・デビュー、1996年2月1日にシングル「世界の終わり」でメジャー・デビューを果たします。
【気になったので調べてみましたが、バンドの『SEKAI NO OWARI』(セカオワ)はこのアルバムタイトルとは全く関係なく違う意味で付けられた名前だそうです。】
★大きな出来事としては、2003年6月27日、音楽番組『ミュージックステーション』の生放送中にその頃人気を博していたロシアの女性デュオ「t.A.T.u.(タトゥー)」が突然出演を拒否して控室から消えると言う珍事が起こります。
その時、一緒に出演していたミッシェルガンエレファントが急遽もう1曲『ミッドナイト・クラクション・ベイビー』を追加で演奏し、生放送のピンチを救った伝説的な放送事故(ドタキャン騒動)がありました。
譜面もリハもなく歌詞の字幕スーパーなども出ずに、4人はノリで切り抜けたものだと思います。
その出来事は、ロック好きの間だけでなく話題となります。しかしおよそ4カ月後の2003年10月11日に幕張メッセで行われたライブLAST HEAVENをもって惜しまれつつ解散します。
話は前後しますが、ロッキング・オン社長の渋谷陽一さんが、初期のミッシェルガンエレファントのライブを見に行き、下の様に語っています。
横浜アリーナで初めて行われたミッシェル・ガン・エレファントのオール・スタンディングのコンサート(1999年1月)を見たとき、僕は本当に日本にロックという表現が根付いたと思った。音楽評論家を始めて30年、いつか日本にもこういう日が来るのではと夢見てきたが、本当に来た、と思わず涙ぐみそうになったのを覚えている。
変な表現で申し訳ないが1万数千人もの人間で埋まった会場には、明らかにロック的な空気が満ちていたのである。それは独特の開放感であったり、グルーヴ感であったり、熱気であったり、そうしたものが有機的に結合した場のエネルギーだったりした。
あの渋谷陽一氏にそこまで言わしめる実力を感じます。
解散の理由は明らかにされていませんが、チバユウスケさんが動物が死ぬのと同じように、バンドもいつか死ぬ・・・と言うようなお話や、ミッシェルガンエレファントのメンバーのそれぞれのソロ活動や、別のバンドでの活動に重心が傾いた事。
何よりも、彼らの持つ美学に基づいているのではと想像します。
2009年7月22日にアベフトシさんが、まだ記憶に新しい2023年11月26日にチバユウスケさんが、亡くなってしまうと言う悲しい出来事があった解散後のミッシェルガンエレファントですが、
ブランキージェットシティを始め、ハイスタンダードや、アジカンの後藤正文さん、アレキサンドロスの白井眞輝さん、キタニタツヤさんや、ボカロの須田 景凪(すだ けいな)さんなど若い方達からも年代、ジャンルを越えて大きな影響を与え続けています。
いかがだったでしょうか?今回はミッシェルガンエレファントのメンバーの若い頃についてのお話をお届けいたしました。

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