斉藤由貴の若い時ヒヒット曲『卒業』スタジオアルタの思い出と尾崎豊?

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斉藤由貴さんは、私moonが、個人的に勝手な思い出があり、高校を卒業して、専門学校に通う為に上京した次の年1985年の春頃でしたか?

新宿の東口にいると、当時『笑っていいとも』の中継をやっていたスタジオアルタから、斉藤由貴さんがゴンドラに乗って、ビルの2~3階のあたりまで下りてきて、デビュー曲の『卒業』を歌っておりました。

このシーズンになると聞く機会の増える曲ですね。マツコ・デラックスさんも好きな曲と言っておられました。

斉藤由貴さんは、今はマルチに活躍されていますが、デビューはアイドル歌手でした。

18歳くらいの斉藤由貴さんを見たmoonは、可愛らしい方だなと思ったのでした。その後いろいろありましたが(笑)、改めて斉藤由貴さんの年齢やプロフィール、楽曲にスポットを当ててみます。




斉藤由貴の若い時、実家の家族はどんな人?姉弟はいるの?

斉藤 由貴(さいとう ゆき)さんは、本名です。1966年〈昭和41年〉9月10日に神奈川県横浜市南区で生まれます。現在(2025年2月)58歳になっておられます。

斉藤由貴さんのお父さんは、斉藤勉さんといい、お父さんは6歳の頃に、両親が離婚し、父(斉藤由貴さんの祖父)のもとで育ちますが、

大変苦労なさって県立高校を卒業、家具職人となり、神奈川県の水島淳(みずしま あつ)さんと結婚します。

お父さんは若い頃は、家具職人、妻の家業の帯の作りの職人修行、夕方からは自動車工場で、朝5時から日付が変わる頃まで働いたと言います。

お父さんは、結婚後に妻の家業である水島帯裁縫店の職人となりました。お父さんは敬虔なモルモン教徒である為か、家の中にルールが紙に書いて、張ってありました。

一方は母は、あまり子供を束縛したりしない様にされていたのだとか。

斉藤由貴さんの子供の頃は、神経質で内気で無口な子供で友人も少なかったと言います。それは高校に入る頃も同じでした。

斉藤由貴さんには姉、兄、弟がおります。姉は美人で明るく、男子からも人気があったのだとか。

斉藤由貴さんが内向的な性格だったのはそんなお姉さんに劣等感を抱いていた事もあったと言います。

斉藤由貴さんの引きこもりがちな性格は高校生になっても変わらなかったようで、坂の上にある高校まで、登るのがイヤになり、母に色々な言い訳をして、学校も休みがちだったようです。


斉藤由貴の若い時芸能界入りのきっかけは?姪っ子は芹澤優!

 そんな斉藤由貴さんは家で鏡を見て自分と話していると不思議にうまく喋れるといい、これは、のちの女優業の為には良かったのだとか?

しかし当時のお母さんからすれば心配になったのは当然でしょう。

斉藤由貴さんの事をお母さんが、娘が変わるきっかけになればと言う気持ちで少年マガジンの『ミスマガジンコンテスト』に応募し、なんとグランプリに選ばれ芸能界に入るきっかけとなりました。

先述の斉藤由貴さんの姉の娘さんが、現在声優や歌手として活躍する、元『i☆Ris』というアイドルグループでデビューした芹澤優(せりざわ・ゆう)さんです。斉藤由貴さんにとっては、姪っ子ですね。

2015年の11月に斉藤由貴さんが芹澤優さんが出演したラジオ番組に登場して、親戚である事が明らかになりました。

斉藤由貴さんの弟の名前は、斉藤隆治(さいとう・りゅうじ)さんといい、1968年8月26日生まれの方です。

弟・隆治さんは一時、ホリプロに所属して、斉藤由貴の弟と言う事も話題になりました。当時は歌手や俳優として芸能活動をされておりましたが、現在は芸能のお仕事はしていないようです。

デビューした斉藤由貴さんは、1984年の10月には明星食品の『青春という名のラーメン』というカップ麺のCMに起用され、テレビCMで広くお茶の間へ。

清純派路線のセーラー服姿とデビュー翌年の1985年2月にリリースされた『卒業』という曲がイメージ通りで、オリコンチャートでも6位のヒット曲になります。

翌年のNHKの朝ドラ『はね駒‐はねこんま‐』のヒロインに抜擢され、その連続ドラマも40%の視聴率をたたき出すヒットドラマとなります。

同時に音楽活動も波に乗り、カセットテープの「AXIA」CM曲となった7枚目のシングル『青空のかけら』では、斉藤由貴さん初のオリコン週間チャート第一位となりました。

時代はまだ昭和61年。斉藤由貴さんの快進撃は続きます。映画を立て続けにヒットさせ、二年連続で最優秀主演女優賞を獲得したり、映画内での楽曲がヒットします。

斉藤由貴さんの楽曲には、来生たかおさんや、原由子さん、井上陽水さんの『夢の中へ』谷山浩子さんの『土曜日のタマネギ』、玉置浩二さんの『悲しみよこんにちは』等々、多くの大御所からの楽曲が斉藤由貴さんを後押しします。

更に舞台や、エッセイ、作詞なども手掛け、マルチな才能を発揮します。そして昭和から平成に年号が変わります。


斉藤由貴の若い時相次ぐ不倫報道。モルモン教徒である彼女は?

1991年(平成3年)になると、週刊誌が、尾崎豊氏との不倫旅行の報道を大々的に流します。

尾崎豊さんは、二十歳の1985年にご結婚されていたのですが、1991年を前後して同時期に中村あゆみさんも、尾崎豊さんとの不倫交際をのちにテレビで語る事がありました。

尾崎豊さんは、中村あゆみさんのエピソードでもそうですが、あっけらかんとしていて、斉藤由貴さんと小樽のたくさん人がいる場所で仲良く買い物をしてるところを、観光客に撮影され、週刊誌で報道されています。

斉藤由貴さんの中で尾崎豊さんは、『同士』のような方だと語っておりました。

そして、報道の翌年、尾崎豊さんは1992年4月25日の未明に26歳の若さで肺水腫のため路上で倒れて亡くなっているという衝撃的なニュースが流れたのでした。

その後、尾崎豊さんの亡くなった翌年1993年に、斉藤由貴さんは、川崎麻世さんとの不倫報道があり、当時の川崎麻世さんの奥さんのカイヤさんが、夫の謝罪記者会見で横に仁王立ちとなり、会見を見つめる場面が話題になりました。

斉藤由貴さんは敬虔なモルモン教徒として、

自覚がない無責任な行動で(教会から)除名処分を受けても仕方がない覚悟でいます。

と泣きながら、反省の弁を語っていました。


斉藤由貴の若い時、結婚は?夫はどんな人?家族の言葉が秀逸!

斉藤由貴さんは1994年12月の28歳の頃に2歳年上の小井延安さんという方と結婚しています。

夫の職業は会社員と言う事ですが、アメリカの大学に留学したりしている方で、エリートの方のようです。

2人は、斉藤由貴さんの友人のモルモン教徒の方が、アメリカの大学に留学中の小井延安さんを紹介してくれたそうです。

当然のように小井延安さんも同じモルモン教徒で、意気投合し、付き合い始めて間もなくから、お互いに結婚を意識したようです。

アメリカと日本で遠距離恋愛の末に、知り合ってからおよそ1年後の1994年10月24日に会見を開き、「12月19日に結婚することに決まりました。」と公表します。

長女が1999年11月18日生まれに生まれ、次男は2003年10月生まれの男の子です。第3子は2004年11月生まれの女の子がおります。

斉藤由貴さんは、1男2女の三児の母親となります。

しかし、2017年に都内にあるクリニックの50代の院長とW不倫報道がありました。当初は否定していましたが、キス写真やお相手男性が斉藤由貴さんのパンティーを被らせられている写真が掲載されてしまいます。

その後、不倫報道を認め、離婚になるのかと思いきや、「子供たちのために離婚はしない。」と言っておりましたが、2024年の春頃に離婚された事が報道されてます。

一方、相手の医師の方も、報道後離婚されたとの事。

現在、長女は、水嶋凜という芸名で、大学在学中の2021年1月、『直ちゃんは小学三年生』(テレビ東京系)で女優デビューしています。

その後、NHKの朝ドラ「ちむどんどん」にも高校時代の料理部の大会のライバル校の生徒役で出演したり、最近ではテレビ朝日系の『相棒 season23』 第9話などにも出演されています。

水嶋凜さんは高校時代に、「スケバン刑事の刑事さんに似てる。」と同級生に言われ「あまりうれしくない。」と答えたと言います。

又、斉藤由貴さんが、「普通のお母さんがいいよね?ママみたいなお母さん大変じゃない?」と聞くと「普通のお母さんよりスリリングなお母さんが好きだよ。」と答えたといいます。

斉藤由貴さんが若い頃、仕事や恋愛で悩んで泣いていた時、母・淳さんが言った一言

あんたいい加減にしなさい。自分で選んだ道なんだから、正々堂々と不幸になりなさい。

と言い放ちます。そして、「それでも、何があっても味方だから。」

斉藤由貴さんの周りには、多くの愛情の溢れた人たちがいて、斉藤由貴さんは多少恋愛に奔放な部分があるのかもしれませんが、どんな報道も当事者しか解らないものだと思います。

今年、メジャーデビューから40年になる斉藤由貴さん。娘の水嶋凛さんの活躍も楽しみなところです。又、次女も幼い時から、女優志望だと言いますから、デビューも近いかもしれません。

いかがだったでしょうか?今回は斉藤由貴さんの年齢などのプロフィール、若い時の曲、ご家族の事などにスポットを当ててみました。

フジテレビ系ミュージックフェア・2025年2月8日出演予定

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