ル・クプルの死亡?噂?離婚から解散へ。そしてテレビ番組で語られた真実。

カバーソング

1997年5月16日に第5弾シングルとして発売された『ひだまりの詩』が人気ドラマ『ひとつ屋根の下2』で、挿入歌となりヒット曲となったル・クプルですが、現在、死亡説なども飛び交っていますが、実際はどうなのでしょう?

美しいメロディーラインと、優しい歌声のご夫婦のユニットの現在の活動などにフォーカスしてみたいと思います。




ル・クプルの死亡説はデマ、離婚後、解散と言う事になったようですがお二人ともお元気なようです。

Le Couple(ル・クプル、フランス語でカップルや夫婦を意味する)と言う藤田隆二さん、藤田恵美さんのご夫婦ユニットです。

先述のル・クプルの「ひだまりの詩」が代表曲のお二人ですが、インターネットで検索すると「死亡」と言う文字が出てきます。

あのドラマを楽しみにしてきた年代としては、心配なキーワードで、思わず調べずにはいられませんでした。

確かに、随分前から、ル・クプルをメディアでもお見受けしなくなりましたが、実際は離婚する運びとなり、ル・クプルも解散となってしまったようです。

それでは、なぜ離婚に至ったか?お子さんはいらっしゃるのか?現在はどのような活動をなさっておられるのか?ちょっと気になります。


藤田恵美さん、実は6歳から芸能界にいる芸歴は50年以上。

ル・クプルの藤田恵美さんは幼稚園のころから、お父さんの影響で、劇団ひまわりで子役として活動していました。

「やめてけれ、ズビズバ~」のフレーズで知られる左卜全さんとひまわりキティーズの「老人と子供のポルカ」にも参加していたようです。

弱冠6歳でデビューしてから50年以上もの活動期間があります。1976年には13歳で、英実加(はなぶさみか)名義として演歌歌手デビューも果たします。

方向性が変わったのか1978年には辞めています。

ブルーグラスやカントリーミュージックなどアコスティックミュージックに出会い、東京・新大塚で不動産屋に勤めるかたわら、アマチュア歌手としてライブハウスで活動を続けておりました。

一方、夫だった藤田隆二さんは中学2年の時にビートルズの影響を受けギターを始めました。

19歳の頃からカントリーバンドのベーシストとして活動が本格的になり、21歳の時、当時新宿にあったライブハウス「ウィッシュボン」のライブハウス専属バンドに加入することになります。


ル・クプルのお二人は、ライブハウスで出会い、ライブハウスでスカウトされた。

新宿・ウィッシュボンで二人は出会い、順調に交際を進め1990年に結婚します。その時、すでに藤田恵美さんのご両親とも亡くなっておられたと言う事です。

結婚後、一時音楽活動を断念していましたが、3年ほどして夫婦の趣味として再開しオリジナル曲を作り始める事になりました。

都内のライブハウスに出演中の所を事務所のチーフマネージャーにスカウトされ、ル・クプルとしてデビューに至ります。

1994年にモコ・ビーバー・オリーブ(ザ・パンチ・パンチ・パンチパーソナリティ三人娘)のカバー曲「海の底でうたう唄」がデビュー曲となります。

1995年10月から3rdシングル「7月の感傷」のプロモーションの一環としてル・クプルとして、全国の有線放送所をワゴン車で回るキャンペーンを敢行し、9ヶ月かけて全国631ヶ所の有線放送所を完全走破したと言うハードなプロモーションを成し遂げました。

1997年に発売したル・クプルの5thシングル「ひだまりの詩」は、作詞作曲は提供を受けたものながら、テレビドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌になり、180万枚の大ヒットを記録することになります。

同年、第39回日本レコード大賞優秀作品賞受賞、また、第48回NHK紅白歌合戦にも出演する事になりました。


ル・クプルの活動は順調に見えましたが活動終了。その8年後のお二人のテレビ出演で語られた真実とは。

ル・クプルは順調な音楽活動のように周りは見えておりましたが、2005年にル・クプルの活動を休止。2007年2月初旬に離婚届を提出して正式に離婚し、活動を終了してしまいます。

そして、活動休止から10年、活動終了から8年半ぶりの2015年9月11日に情報バラエティテレビ番組「爆報! THE フライデー」へお二人揃って公の場での再会を果たします。

『爆報!THEフライデー』では、元夫の隆二氏からの束縛や暴言があり、藤田恵美さんは「罵倒するような言葉とか、とにかく怖い」と語り、夫婦に亀裂が生じたことが報じられました。

お二人にお子さんはいらっしゃらないようです。

大ヒットとなった『ひだまりの詩』が、楽曲提供を受けたものであった事、妻の方が仕事が充実していたことで、夫の隆二さんには焦りや嫉妬があったのかもしれません。

さらに番組では両者が再会する場面となり、隆二さんから「まずは謝りたい。すみませんでした。家庭と仕事のバランスが分からなくなって……」と謝罪。そこで、活動休止から10年振りとなった「ひだまりの詩」を歌唱しました。

藤田恵美さんは、生々しい離婚の原因を明かさなかったのは、「ひだまりの詩を好きでいてくださる方々に対してこの曲の持つクリーンなイメージを壊してしまうことが申し訳ない、という気持ちがありました」と真摯に語りました。

しかし、そのような経験も乗り越えてさらに音楽活動に磨きをかけている藤田恵美さん。洋楽カバーの『camomile』シリーズを経験して、「洋楽はサウンド志向だけど、日本語を歌う時はより歌詞に意味が伝わることを意識するようになりました。きちっと発音して、人々に届けたい」そのように取材に応じております。

幼い時から歌い続けてきた藤田恵美さん、人々の心にメッセージは届いていると思います。又、元夫である藤田隆二さんや、親族間の交流は続いているという事ですから、お互いに大きなわだかまりは取れたのかもしれませんね。

以上、ル・クプルの死亡説の真偽、解散理由などを調べてみました。

 

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