久保田利伸の年齢は?驚きの若い頃の出会い、奥さんと現在の暮らし!

ラップ

1986年年末から、1987年初頭にかけて、久保田利伸さんの名前が『TIMEシャワーに射たれて…』と言う楽曲と共にテレビやラジオから流れてきます。

ラップが取り入れられたこの曲は、日本のR&Bやブラックミュージックの先駆者となる久保田利伸さんの2枚目のシングルでした。

時代は、バブル期と呼ばれる時代の入り口、ブラックミュージックは、既に鈴木雅之さん率いるシャネルズ、のちのラッツ&スターがドゥーワップ(Doo-wop)を日本のテレビの歌番組などでお馴染みになり始めた時代でした。

さて今回は、久保田利伸さんの年齢や、若い頃の出会いや結婚、又、名曲のエピソードなどを綴ってみました。




久保田利伸の年齢は?身長や血液型。実家はファンキーな父の八百屋

久保田利伸(くぼた としのぶ)さんは、1962年〈昭和37年〉7月24日生まれ。静岡県庵原郡蒲原町(現:静岡市清水区)のご出身です。血液型はO型だそうです。

今年2025年8月現在63歳です。身長170cm、体重59kgと言う事ですが、これは10年ほど前のインタビューで

「体重は20年くらい57、58キロくらいで変わっていませんね。運動はジムに週1、2回行くくらい。夜更かしもしますし、お酒も飲むときはいっぱい飲みます(笑い)。唯一、健康的なのはオーガニックの野菜と玄米を食べていることかな。これはN・Yにいるときからです」

と答えていて、恐らく現在も変わりないのかと思います。

そんな、野菜にもこだわりのある久保田利伸さんの実家はマルキューストアと言う明治時代から続く八百屋さんを経営していました。

昔、タモリさんの『笑っていいとも』に出演した時、お父さんはファンキーな性格で、お客さんが来ると指パッチンで、「いらっしゃーい!」と出迎えるような方だそうです。

 ご実家では父母と姉が二人の5人家族だったそうです。お姉さん二人もファンキーな方だと言う事です。久保田利伸さんご自身も「ファンキー久保田」と巷では呼ばれております。

静岡県蒲原町立蒲原西小学校(※現在は静岡市立蒲原西小学校)、静岡県蒲原町立蒲原中学校(※現在は静岡市立蒲原中学校)卒業後、静岡県立静岡商業高等学校を卒業されています。

その頃まで、音楽よりは、一貫した野球少年でした。子供の頃からプロ野球選手を夢見て、練習に励んでいたのだそうです。

しかし、そんな長い野球少年時代も、高校野球でレギュラーになれなかった事で、挫折。高校2年の時に退部してしまいます。

プロ野球選手の夢を諦める事になりました。のちにリリースされる『虹のグランドスラム』がその時の心境が反映されているのだそうです。

しかし、その頃も音楽を全く聴いていなかった訳ではなく、中学・高校と毎日、スティービーワンダーの楽曲を聴いていたそうで、後にそれが音楽の原風景みたいなものになっているとインタビューでお話されていました。

音楽のエピソードとしては、5歳の頃、熱海の後楽園遊園地(現在は閉園)のイベントで「ちびっこのど自慢大会」をやっていて、司会者の呼びかけに、姉に後ろから押され、飛び入り出場する事になり、

なんと、優勝してしまったのです。その時、歌ったのはその頃のヒット曲で山田太郎さんの歌う『朝刊太郎』だったそうです。

どうもそれが癖になったようで、人前で歌う事が好きなったそうです。

 


久保田利伸の年齢は?大学時代は、学業、バイト、音楽活動を熟す

高校卒業後、駒沢大学経済学部経済学科に入学しています。軽音楽部ロック研究会に所属します。

大学で知り合った羽田一郎さん(現在・作曲家)と組み「HOTTENTOTS」(ホッテントット)を結成というバンドを結成して、

1982年に行われたヤマハ主催のコンテスト「EAST WEST ’82」に出演し、ベスト・ボーカリスト賞を受賞します。

子供の頃から、夢見がちな性格で、何の根拠も確証もなく東京に出ればプロになれる。なんて思っていた久保田利伸さんは、駒澤大学入学に伴い上京し、少しずつ夢に近づきます。

大学時代は、バンドとアルバイトと学業を熟していました。

アルバイトは楽器店に勤めていましたが、楽器に触る事が無く、店舗の裏の省エネで薄暗くなっている部屋でオバさん方と、譜面台を組み立てる作業をオバさん達の笑い声の中で行っていたのだそうです。

そんなバイト先の店長が、「バンド頑張りなよ!」と鍵まで渡してくれて、閉店後の楽器店のスタジオを無料で貸してくれたのだそうです。

信頼を受けていたのですね。

久保田利伸の年齢は?偶然の出会いで、誰もが知るあの名曲が生れる

大学を卒業後、おいそれとは、歌手デビューできたわけではないのですが、キティミュージックと音楽プロデューサー兼作曲家として契約して、本格的にプロとして活動を始めます。

田原俊彦さんを始め、多くのアイドルや、鈴木雅之さん、とんねるずまで幅広く楽興曲提供を行っておりました。

まだ、メジャーデビュー前の1984年頃は、

「(※連載と同時期に)ちょうど『GUITARHYTHM』っていう布袋さんのアルバムがあったんだけど、この時代、俺たち一緒の建物に住んでたんだよ。“布袋がいて吉川(晃司)がいて俺がいて”みたいに、それぞれフロアが違う。よく入口で一緒になった。」

(※雑誌ポパイで連載された久保田利伸さんの「リズミズム」の事)

J-WAVEWAVE ROAD TO INNOVATION 2025年6月27日 放送

凄いエピソードですね。確かに、その後、布袋寅泰さんと吉川晃司さんのユニット・COMPLEX(コンプレックス)も話題になりましたね。

ご本人のデビューは1986年6月21日 シングル「失意のダウンタウン」で、メジャーデビューする事になります。

その後は、私が書くまでもなく、『TIMEシャワーに射たれて… 』、『Cry On Your Smile』などのヒット曲そして、

1988年2月26日にリリースされた『 You were mine』は、トレンディドラマの先駆けとも言うべき陣内孝則さんと浅野ゆう子さん、

そして三上博史さんが注目されたフジテレビ月9ドラマ『君の瞳をタイホする!』のオープニングテーマ曲となりドラマと共にこの楽曲が大人気となります。

そのドラマからおよそ8年後の1996年になると、再び月9のオープニング曲として注目を浴びたのは木村拓哉さん主演の『ロンバケ』でお馴染みの『ロングバケーション』でした。

今でも、時々紹介されることがあるので、若い方でもご存じの方もいらっしゃるかもしれません。その楽曲が「LA・LA・LA LOVE SONG」(ラ・ラ・ラ・ラヴソング)は、久保田利伸 さんとwith ナオミ・キャンベルさんとのコラボ曲。

ナオミ・キャンベルさんは、世界的なモデルさんで、日本でもCMなどに起用され人気を博していました。

ここでも又、偶然に当時ニューヨークに住んでいた久保田利伸さんのマンションにナオミキャンベルさんも住んでいて、エレベーター内で出会い、話をしたことで意気投合した事がきっかけだったそうです。

この曲はオリコンで1位を獲得するほか1996年の年間チャートでも3位になる大ヒット。しかし、この楽曲生みの苦しみがあったようで、

どうしても、歌詞が上手く出てこなく、ふと地元・静岡の方言で語尾に着く『ら』、又は『らー』と、「ら・ら・ら」と口ずさんで見て、しっくり来たと言う事でした。


久保田利伸の年齢は?NY舞台の恋愛は、まるでトレンディードラマ

先述の布袋寅泰さん、吉川晃司さんも、ニューヨークでのナオミ・キャンベルさんも偶然で、同じところに所に住む可能性を考えたら、ものすごく幸運の持ち主ではないでしょうか?

更にのちに衆議院議員となる自民党の副幹事長を務める宮内秀樹さんとは、大学時代に同じ下宿で隣同士の部屋に住んでいました。

大学時代は、しばしば一緒に酒を飲んだり、お金を借りたりしていた仲だと言うので、どんどん広がる人脈にも驚きです。

さて、時代はトレンディードラマが人気の時代。久保田利伸さんも、トレンディードラマのような恋をしています。

ニューヨークに住んでいた36歳の頃に出会ったノルウエィの企業に勤めていた11歳年下の一般女性と6年間の交際期間を経て、2004年の42歳の時に奥さんになる人が31歳の時に結婚しています。

そして、2004年の12月24日に長男が生まれています。2025年の今(8月)、二十歳でしょうか?

残念ながら、久保田利伸さんは、プライベートな時間を大切にする方のようで、奥さんも長男の画像や詳細は一切ありません。

しかし、久保田利伸さんの女性の理想像と言うのがあり、

1・髪の奇麗な人・髪型が似合う人

2・過去の事を持ちだして怒ったりしない人。

3・ごはんをモリモリ食べる人。

なんて風に言われていますが、自立した元気で前向きな女性が想像できます。久保田利伸さんを陰で支え続け、表舞台に微塵も出ないなんて、今の時代に貴重な存在です。

息子さんにしても、バリバリのSNS世代なのに、何一つ情報が探せない事も驚きです。

久保田利伸さんが自分と家族の関係に向き合い、自分の立場が、家族に影響しないように配慮されているのだと思います。

久保田利伸さんは、日頃から、家族の支えに感謝する発言をしています。又、不倫などの報道も一度もありません。

そんな、久保田利伸さんの気持ちに家族も呼応しているのかもしれませんね。

いかがだったでしょうか?今回は久保田利伸さんの名曲や若い頃のエピソード、現在の年齢やトレンディードラマのような結婚のお話でした。

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