Awich 本名や娘の存在・夫の死因と彼女を救った沖縄と父の言葉

ラップ

Awichさんと言っても、moon世代には、よくわかりませんよね。大体なんとお読みするのか?

日本人なのか?はたまた、外国人なのか?あの頃の方ではないのですが、Awichさんの生み出すラップは、日本国内でも、特に女性に人気の唯一無二とたたえる方がたくさんいます。

実は、彼女の心を打つラップの裏側には、Awichさんの受けた酷い心の傷と、大切な人との約束があったのです。

そんなAwichさんとはどんな方なのでしょう?ご一緒に覗いてみませんか?




Awich本名は?読み方 年齢?沖縄出身女性ラッパーの家族!

Awich(エーウィッチ)さんは、1986年12月16日生まれの沖縄出身の女性ラッパーの方です。2024年9月現在37歳でしょうか?

身長は155cmと言う事です。

Awichさん、ラッパーと言う職業柄、英語は堪能ですが、それには小学4年生から米軍基地内の英会話教室に通って、英語を学んでいた事も功を奏しているのではと思います。

又、当時からヒップホップなどの洋楽に慣れ親しんでいたようです。

当時、やっていたテレビ番組『ポンキッキーズ』に出演していたスチャダラパーのBOSEさんをきっかけにヒップホップにはまります。

中学生になるとレンタルCDで、ラップ界のレジェントとも言われる『2PAC(2パック)』のアルバム『All Eyes On Me』を借りて聴いた事で、よりラップを聴くようになります。

※2PACことトゥパック・アマル・シャクールは、2度目の銃撃で25歳の若さで命を落としています。

その頃から、ラップのライム(韻、又は韻の踏み方)やリリックを書き留め、更に英語力を自分のものにしてゆきました。

沖縄にある昭和薬科大学附属高等学校在学中にアメリカ・ミズーリ州への留学を経験すると、19歳で渡米しています。

母は、米子さんといい、料理上手な手先の器用な方だという事です。

お父さんが45歳、お母さんが38歳の時に生まれた、両親の年齢的に遅くに出来た子供が、Awichさんと言う事です。

そんな事からも、Awichさんの叔母さんを始め、周りには沖縄の戦争を経験してきた方もいらっしゃって戦禍を搔い潜ってきた方のお話を幼い頃から聞いていたそうです。

 丁度、Awichさんの中高生の頃の沖縄と言えば、同世代の方々の『ダ・パンプ』や『speed』の活躍する時代でしたから、Awichさんも沖縄アクターズスクールに入りたかったそうです。

Awichさんの父親は、浦崎直行さんと言い、真珠湾攻撃の翌日に南洋諸島のパラオで生まれた方で、当時、高校で生活指導などを担当する教師のお仕事をされていて、厳しい方だったそうです。

芸能界への理解を得られず、猛反対され、断念したそうです。

当然、ラッパーと言う職業についても、理解してもらえず激怒されたと言います。


Awich本名は?芸名は本名から母の想いを受けて付けた!

Awichさん、英語に堪能で、ホリが深く、日本人離れしたお顔立ちなので、外国人の方なのか?と思われる方もいらっしゃると思いますが、日本の沖縄の方です。

Awichさんの本名は浦崎 亜希子(うらさき あきこ)さんと言います。

Awichさんの本名の亜希子と言う名前は「アジア大陸のように大きな希望を持つ娘に育ってほしい」とお母さんが名付けました。

亜・・・・亜細亜(アジア)・・・・Asian

希・・・・希み(のぞみ)・・・・Wish

子・・・・子供(こども)・・・・Child

という風に、ご自身の本名を英語にして頭文字を組み合わせ、芸名にされているという事です。

Awichさんは、2006年、EP『Inner Research』で、インディーズデビューを果たし、アメリカのアトランタで経営を学びます。

Awichさんの中には、『沖縄の音楽シーンをこの先広めていくためにビジネスも学んでいきたい。』と思っていたからです。

Awichさんは、学生時代19歳の頃、とある男性にナンパされます。お互いに入れたタトゥーの話をきっかけにして、距離を縮めてゆきます。

男性はアフリカ系アメリカ人で当時33歳、14歳の年の差を越えて、お互いにひかれあい恋愛関係になります。

Awichさんは、留学先のインディアナポリス大学では起業学・マーケティング学の学士号を取る知識をもつというから、なかなかの才女です。

Awichさんは、大学卒業と同時に、その男性と結婚します。そして、時を同じくして娘が誕生します。

娘にはトヨミ・ジャミラと言う名前が付けました、子育ては忙しくても、夫が裏社会の人だと言う事はなんとなくわかっていたようですが、とても幸福な日々だったのだと思います。


Awich本名は?結婚から3年。突然の夫の衝撃的な死因!

しかし、そんな幸せの中、夫が銃殺されます。もちろん、今のアメリカ社会でも、そう多い死因ではありません。

実は、Awichさんの夫は麻薬の密売などを行うファイブ・パーセンターズのメンバーの大物の人物だったと言われています。麻薬密売人をハスラーと呼びます。

ファイブ・パーセンターズとは、端折って言うと、ストリートギャングのコミュニティです。

「システミック・レイシズム」と呼ばれるアメリカ社会が抱える、システム化された人種差別がある中で、やるか?やられるか?を繰り返す犠牲だったのでしょう。

娘が生まれ、一時的に沖縄に里帰りをしていたAwichさんを突然訃報が入ります。彼は、娘が出来たことをきっかけに、真面目に清掃員の仕事に就いたりしてはおりましたが、もうすぐ家族で日本で暮らそうという矢先でした。

ギャングから、足を洗おうとしたAwichさんの夫に、ギャングたちの報復は甘くはありませんでした。経緯は解りませんが、凶弾に倒れる事になります。

生前、Awichさんの夫が言っていた「死んだら海に流してほしい」という遺言通り、沖縄の海に遺灰を流しました。生前、Awichさんに夫はもう一つ言葉を残していました。

そうやって、僅か3年のAwichさんは結婚生活に終止符を打ちます。

Awichさんは願います

「誰もいないビーチで、二人きりで灰まみれになりながら、その灰が風になり、水になり、娘の肌に、ここになるようにと願った。」

多少、危険なところは見え隠れしていたとしても、夫が麻薬の密売人だったという事は、亡くなった後に聞かされたと言います。

Awichさんにとっては、かけがえの無い人が、突然、銃弾に倒れるという現実を受け入れる事が出来ないまま、落ち込んでしまいます。


Awich本名は?父の言葉と、夫の生前の言葉、沖縄への感謝!

そんな時、厳格な、自分にとって理解が無いと思っていた父が、声を掛けます。

「ウチナーンチュ(沖縄の人)は全員そうだからな。戦争で大事な人や家族を失ったんだ。お前1人だけじゃない」

Awichさんは、父からのその言葉を聞き、幼い頃から聞かされた沖縄のリアルな戦争経験をした肉親の声を思い出します。

その言葉にAwichさんは、沖縄の人、みんな乗り越えられたのだから、自分にもそういう力が備わっているはずだと、もう一度、自分で立ち上がろうとします。

そして、生前、Awichさんの夫が言っていたもう一つとの言葉は、

「歌う事を辞めるな、どんなことがあっても絶対に歌い続けて欲しい」と言っていたそうです。

そんなメッセージを胸に、再び、自身を奮い起こし、活動に入ります。2020年にメジャーデビューすると、2022年には日本武道館で単独ライブを開催。

2023年にはアジアで初開催されたアメリカ最大規模の HIP HOP フェスティバル『Rolling Loud Thailand(ローリング・ラウド・タイランド)』に日本人として初めて参加、メインステージを沸かせたというのです。

秘めた実力だったのでしょう。

Awichさんの娘トヨミ・ジャミラさんは2008年生まれなので、2024年の現在は16歳になります。

トヨミ・ジャミラ(toyomijahmira)さんもtoyomijahmiraのyomi jahとしてモデル業を、鳴響美(トヨミ)として音楽活動をされているようです。

まだまだ、ふり幅のありそうなクールな親子ですね。メディアで取り上げられることも多くなりそうです。

Awichさんの言葉は胸に響くものがあります。インタビュー記事からですが、

あたしがラップしないで、誰がこのカルチャーを引っ張っていけるんだ──Awich

 

『“成功”の反対は“失敗”ではなく、“なにもやらないこと”』      Awich

 

以上、Awichさんの夫が亡くなった原因や娘さんの情報。Awichさんの沖縄愛のお話をまとめて調べてみました。

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